8月の終わり近く、私はその残暑の中にいた。
ひとつ気がかりな事があった。
旗揚げ以来、営業活動を続ける中で、支援してくれている人、いろいろな面で強力をしてくれていた人、その人達への報告はどうすればいいのだろう。
団体が潰れた訳ではない、私が経営している訳ではない。
ひとつの組織の一員が辞める度に、いちいち周囲に報告することの方が珍しい。
支援者も応援してくれている人もSPWFの選手があってこそなのだから、その人達の態度に変化が有るはずもない。
本心を言えば、金銭的な支援や大量のチケットを購入してもらう時、その受け渡しは私が担当していたのだ、そういう相手に挨拶に行くのが辛かった。
そんな頃、Mさんから連絡が来た。
私の仕事についての話だった。
『どうだい、龍チャン、疲れは取れたかい。』
新しい事業を考えているので、それを私に任せたいという、有難い話だった。
電話を終わろうとした時に、Mさんから質問があった。
『ところでオマエは足利の人に挨拶したのか?』
私は、連絡をとっていないと答えた。
Mさんは、『それはまずいよ、何であれ1年間世話になったんだから、何処でまた世話になるとも限らないんだから、挨拶はしなくちゃな。』
私は、Mさんとの電話を終わってからすぐにその人へ電話を入れた。
栃木県足利市に、拠点を置き当時は、群馬、埼玉を含めた北関東地域に数十店舗を経営している実業家だった。
私は、個人的な事情でSPWFを辞めたことを伝えた。
多忙な人のこと、非礼とは思ったものの、電話の方が先方にとっても都合がいいはずと考えた私は、簡単に済ますつもりだった。
しかし、そういう訳にはいかなかった。
残念がる相手に恐縮はしたものの、もう決まったことだったので、これ以上私から話もなかった。
現在この人とは、1年間くらい交信が途絶えている。
最後に会ったのは3年以上も前になる。
だから、氏名は公表するべきではないと思い、K氏としておく。
K氏は、何を思ったのか私と会おうと言う。
丁重に辞退したものの、K氏は諦めずに時間を作ってくれの一点張りだった。
お世話になっている人の誘いを断わることも出来ない。
私は、K氏に会うことにした。
そんな頃、茂木正淑から連絡があった。
彼は私が辞めたあとのSPWFの状況を、あれこれと話してくれたが、終わったことだという思いが強く、集中して話を聞く事は出来なかった。
ただ、その中で耳に残ったのは、代表とその他の選手、会員との関係がかなり険悪になっているという事だった。
いち早く、自分が辞めておいて言えた義理ではないが、SPWFの出現で諦めていた自分の夢が叶った会員は多いはずだ。
しかも、旗揚げして一年がやっと過ぎたばかりである。
代表達を批判している連中の思いと、私のそれとは違う、絶対、違う。
当時はそう思っていた。
では、今はどうなのか?
辞めた事は、後悔していない。
いないが、自分と彼らとの差異はあまりないと思っている。
所詮、周囲から見れば、五十歩百歩なのだ。
会員達の不義理を責める資格は私にはない。
資格があるとすれば、それはSPWFを代表だけだろう。
『局長!聞いてます?もうみんな限界なんですよ。辞める奴も増えますよ。髙田さんが団体作って下さいよ。みんな喜びますよ。髙田さんがその気になってくれたら、皆んなのことは俺がまとめますよ。』
『バカなこと言うなよ、団体作るなんて俺に出来る訳ないだろ。』
私は、電話を切った。
Kさんとの待ち合わせ場所へ向かう車中で、どう言う説明をしたらいいのかと、そんな事ばかりを考えながら、私はクルマを走らせていた。
その1時間後に、自分の人生の中でも特筆すべき出来事が待っているなどとは、想像すらしていなかった。