昭和世代が紡いだ平成プロレス〜序の七 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

   前回は、1990年代の多団体時代について書き、そのことに最も影響を与えたのは、これはあくまでも私の私観だが、SPWFなのではないかと思う。

何故、そう思うのかと言えば、前回の投稿で名前をあげたいくつかの団体は、表向き全員が専業のレスラーによって構成されていた。

あくまでも表向きには、ではあるが。


実際には、バイトをしながら、家業を手伝いながらのレスラーはいた。

メジャー団体とは違って、インディと呼ばれた団体には、資金力がない。

営業力が弱い。

従って興行収入もメジャー団体のそれと比べるとかなりの差が有る。

当然、固定経費の部分を圧縮しなくては運営が出来なくなってしまう。
そうは、言っても、水道光熱費や燃料費は、通常では割引や減額は許されない。

そのため、一番触れてはならない人件費が、直ぐに減額の対象になってしまう。


異業種でも同じことは言えるだろう。

そのためにインディ団体の選手の待遇はメジャーのそれと比べれると、話にならないほど違ってくる。

プロレスを続けたいという思いが選手達は強い。

どんなに苦しくても耐える。

厳しいトレーニングに耐えながら、厳しい生活環境にも耐えなくてはならない。

プロレスは、有る意味人気商売である。

常人には出来ない、激しい技の応酬、鍛え上げた身体だこらこそ可能になる、ぶつかり合い。

さらに、それらの観客を興奮と感動に包み込むドラマを創り上げる演出力も要求される。

私は、プロレスラー達がリング上で繰り広げる試合こそ、究極のエンターティメントだと思っている。

それは、人に夢を与えることでもある。

そんなレスラーという職業は、一歩間違えれば死に直面する危険と背中合わせの仕事なのだ。

彼等は、それに見合った収入を獲る権利がある。

しかし、インディ団体の選手にそれは許されない。

試合をこなしても、それだけでは生活が出来ない選手も多い。

彼等は、選手生活を続けるためにプロレス以外の仕事をする。

するしかないのだ。

1か月に二、三試合に出場し、残りの日は何か別の仕事をする。

このようなライフスタイルの人間を、はたしてプロレスラーと呼べるのだろうか?

彼等は、二足の草鞋を履いている。

彼等は、それを公言することはない。

だから、彼等は表向き専業のプロレスラーなのだ。

当然、メジャー団体の選手達とは収入だけではなくトレーニング環境も違ってしまう。

環境が整わなければ、クォリティが下がるのは致し方ない。

精神力でカバーしきれるものでもない。

そんなベールの向う側のことを前面に押し出したのが、SPWF社会人プロレス連盟だった。

プロレス業界は、アレルギーを起こしたが、プロレスファンの一部にはチャンスと思った若者たちがいたことも事実だった。

現在、プロレス業界には、とても団体とは呼べない集団が、いくつもあるようだ。

しかし、彼等に後ろめたさはない。

あの頃のインディ選手達とは違う。

彼等は、声高に働きながらプロレスをやっています、とは言わないまでも、隠すことにこだわることもない。

時代が違うのだ。

結局は、SPWFの出現によって働きながらでも、自分はプロレスラーですと胸を張れる時代の扉が開いたのだ。

設立記者会見の日、SPWFの代表はいみじくも、こう言っている。

『プロボクサーだってみんな職業を持っている、そのことをファンも知っている。ボクシングだけで喰えるのは、世界チャンプぐらいじゃないか、なんでプロレスだけは仕事をしながらやってはいけないのか。』

もっともな意見ではある。

いろいろな環境に生きてはいるが、少年期にプロレスラーになる事を夢見た日があった。

こんな人に、その環境の中で、今の生活を続けながらプロレス式のトレーニングが出来る。

技術を習得することが出来る。

あるレベルに達すれば、リングに上がって試合も出来る。

そんな道があると知ったら、その人は実現の可能性ゼロだと思って心の片隅にしまい込んだ夢を、忘れてしまっていた夢を、また見ることが出来るのではないだろうか。

それだけではない、体力にも運動神経にも自信はあったが、過去に華々しいスポーツ歴はない。

ましてやプロレスの門は狭い。

諦めるしかない。

そう思っていた人は、きっと人生捨てたものではない、こう思うのではないだろうか。

ごく一部の人にしか目指すことが出来なかったプロレス界は、誰もがやりたいと思いさえすれば、可能性のある世界に変わった。

そういう意味でSPWFは

多団体時代の流れに勢いをつけたとは言えないだろうか。

残念なことに、その勢いをつける必要があったのかどうか。
やりたければやれるという環境の改善は、やってはいけないような人もやれる環境の改悪にもなることを忘れてはいけない。

もの事は、何でも表と裏がある。

同じように、功と罪もあるのだ。

ともあれ、私は自分の意見をねじ伏せて、この社会人プロレス連盟のスポークスマンに徹することにした。

そうするしかなかったと言った方が正しい。

私は、社会人プロレス連盟の事務局長なのだから。