昨日は、イスラム国の悪魔の所業について書いている内に、腹が立って腹が立っ仕方なくなってしまい、文章にならなくなってしまい、訳のわからない内容になってしまった。
今朝も、テレビ各局はテロについての放映をしている。
一時の感情の昂りから武力で相手を制圧したとしても、それはテロを根絶やしにすることにはならないだろう。
殴られた恨みを、拳に込めてやり返して、相手に自分が受けたダメージの倍の被害を与えても、傷が治れば、また準備を整えてやって来る。
今度は、復讐という形で。
そうやって、恨みは、怨みを生み、繰り返す中で、増幅し、個の争いは、仲間を作り、拡がっていく。
それは、国境を越え、世代を超える。
中東戦争を見ても、その原点は遠い昔に始まる。
それが民族のDNAに刷り込まれているかのように、永い年月を超えても終わらない。
時々に、勝敗は着いても、必ず次のラウンドのゴングが鳴ってしまう。
近年では、大国の軍事介入が当り前になってしまい、殴り合いの規模は天文学的な数値に拡大した。
やられたら、やり返す。
この思考の先に平和はない。
何方かが、止めようという大英断を下さない限り、終わることはない。
歴史が証明していることだ。
第二次大戦の敗戦の後、日本は、米国を中心にした連合国の戦後政策を受け容れて、これに従った。
そうするしかなかったという事もあっただろうと思うが、二度と戦争をしない国になる事を決めた。
だから、日本は滅びなかった。
武器を棄てた日本は、頭脳と技術と文化と心を武器にして、平和国家の建設を進めて来た。
70年間という長い間、戦争をしなかった稀有の国になった。
日本は、復讐の心を棄てたからこそ、経済や科学や文化で世界に勝って来れたし復興した。
止めるという勇気と決断を、世界が真剣に考える時が来た。
破壊からは何も生み出す事は出来ないし、敵対する人間を殺し続けて、壊滅的なダメージを与えても、人の精神は、破壊できない。
その精神を継ぐ者は必ず出てくる。
『止める』と『辞める』が大きな平和へのキーワードではないだろうか。