どうなっとんねん | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

秋の行楽シーズン真っ只中の日本列島をかけめぐった恐怖の報道。
パリで勃発した《イスラム国》のテロ。
卑劣、残虐、非道、悪辣、卑怯、暴虐、悪逆、愚劣、冷酷、冷血、狂気、鬼畜。如何なる表現を用いたとしても、彼らの所業の罪悪をしっかりと表現することは出来ない。

百数十名の命を一瞬にして奪い。

得意顔になっている、世界最低の人間達。

産まれる権利。

生きる権利。

愛する権利。

学ぶ権利。

私達は、いろいろな権利を持っている。

そして、さまざまに責任も持っている。

その最たるものが、生命の尊厳を堅持することではないだろうか。

生命を大切にすることから、すべての発想は始まる。

その観点から見れば、テロなどというものは、論外中の論外だ。

彼らには、革命などという言葉を使う資格などない。

資金を調達するために、罪のない人達を誘拐して金を取る。
交渉が決裂すれば、人質は無残な方法で殺す。
それを、公開する。

子供達を売買し、資金増やす。

侵略した街々で女性を犯す。


悪魔の所業を『神の思召し』だとほざく。

すべての生きとし生けるものに無限の愛と慈しみを与えるのが『神』の存在意義だろう。
彼ら、いや、テメェ等が『神』の神託を受けたつもりでいることが、テメェ等の馬鹿者の証明だ。

間違いなく言えることは、テメェ等に殺された人達は
確実にテメェ等より、生きて行くべき人達だった。
テメェ等より、生きて行くべき使命があった。
テメェ等より、生きていて、世界のためになった。

テメェ等を語り、思うことがもっともくだらないと思うから、止めよう。

汚い言葉を使い、不愉快な文を書いたことを、いつも読んで下さっている皆さん、今初めて読んでくれた方、申し訳ありません。
頭を冷やしてやり直します。

でも、一言だけ最後に言わせて下さい。

無関係な市民を《無差別》に殺戮した先に待つもの理想社会などではない。

多くの人々の拭うことの出来ない、悲しみと怒りと怨み以外にはない。

不愉快なBlogだったことをお許し下さい。