生きる意味 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

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我が家の近くで撮った写真二枚。

春から夏へ、すべての生命が躍動する時。

みずみずしい花や葉を見ているうちに、生命についてを考えてみた。

考えるうちに、自分の生命について考えた。

そして、自分の人生について。

生きる意味について。        


考えた。


私自身の生きる意味とは、なんなのだろうと。

生きる意味~生きるなかで私がやるべきこと。

『使命』

私の使命は。

なんなのだろう。

《人には、その人でなければならない使命が必ずある》

若い頃、この言葉と出会い、ずっとこの言葉を信じ、
私は常に胸にたずさえて生きて来た。
 
古い言葉を使えば、私の『出世の本懐』は何かと。

若き日に出会った言葉は続く。
《その使命を果たす中に、確固たる自身の幸福を得ることも出来るのだ》

私は、小学校にあがる直前にタクシーにはねられた事がある。

死ななかった。

二十代の前半に遭遇した交通事故では、医師を含めた周囲の人々は、私が死亡することを確信した。

右前額部から私の脳ははみ出していた。

家族が病院に呼ばれ、医師から悲痛な状況を告げられた。

医師が伝えた診断は、意識を回復する事なく終わるだろうというものだった。

私は、死ななかった。

退院の日が来たとき、白髪の院長は私に言った。

『この病院の誰ひとりとして、君が今日の日を迎えると思った人間はいなかった。これは、医学の勝利というべきものでない』

病院をあとにするタクシーの中でその運転手は言った。

『あの事故の方ですか、ええ、知ってますよ。この街の人はみんな知ってるんじゃないかな、みんな死んだなんて聞いてましたよ。』

見ず知らずの私に、この運転手は身内のように喜んでくれた。

私は、生きて帰宅した。

私の家族や仲間は、奇跡だと言った。


その数年後、マイクロライトと呼ばれる超軽量機を操縦中、六百米の上空でエンジンが停止し、滑空しながら山の斜面に激突した。

私は、死ななかった。


やはり、周囲の人々は奇跡だと言った。



私には、嫌いな言葉がある。

それは、『生かされている』という言葉だ。

どこか神がかっていて、嫌いだった。

今年、四月。

私の姉が逝ってしまった。

ほんとうに突然のことだった。

姉の身体の状態が、積極的な治療法をとれないというジレンマの中で、自ら運転する車で訪れた病院を出る事はなかった。

その顛末を見ていた私の脳裏に浮かんだ言葉。

それは、『生かされている』だった。

私は、生かされてきたんだ。

還暦も過ぎて、まだ我が使命をまっとうしていない私は、そのことのために生かされてきたんだという思いが胸いっぱいに拡がった。

そして今、私は苦しんでいる。

私の心は葛藤している。

使命を果たす人生をまっとうするには、現実の社会を生き抜かなくてはならない。

順風満帆ではない生活。

順調ではない健康。

孤独。

ほんとうに私を必要とする、我が使命が待っているのだろうか。

悩む。

悩む。

悩む。

老いるとは、そいいうことなのだろうか。

老いと孤独の中で、自ら死を選ぶ人のことが、理解できるようになってきている自分が怖い。

五月晴れの空は、どこまでも明るく碧く。

吹く風は清々しく、生気にあふれている。

さあ、私も一歩足を踏み出そう。

敗けたくない。

敗けたくない。

敗けない。

敗けない。

敗けるもんか!

敗けてたまるかッ!