靴紐の意味。 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

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何故、片方だけ靴紐がないのだろうか。

昨年の四月一日、私に降りかかった不幸の証拠とでも言ったらいいのかも知れない。

一年間、この靴を履く気持ちにはなれなかった。

私は、スニーカーの色は素っ頓狂なものが好きだ。

だからこれも、買った時にはお気に入り。

それが、履けなくなった理由は、もちろん有るのだけれど。

少し前に『四月一日』のタイトルで書いたBlogがあるが、つらい思いをさせられたロサンゼルスに履いて行ったのがこのスニーカーだった。

片方だけ靴紐を通していない。

手錠をかけられ、ベルトを外され、靴紐を抜かれて、私は、留置場に入れられた。

その時から一年間、このスニーカーに靴紐を通さなかった。

四月になった時に、棄てるのも勿体無いからと、下駄箱の奥から引っ張り出して靴紐を通したが、片方を通し終わってから、なんとなく撮った写真がこれだ。

昔、初めて行ったロサンゼルスは、アメリカかぶれの若造には何もかもが輝いて、眩しかったものだ。

還暦を過ぎて訪ねたロサンゼルスは、ただ、ただ不愉快なだけの街だった。