書き終えた時には、明日になっているのだろう。
昨日の投稿は、『阿蘇山』と久しぶりに電話で話しているうちに急に懐かしくなって、一気に書き上げました。
あのWJが崩壊してから、今年で13年。
レッスル夢ファクトリーが消滅してから16年(?)
だったろうか。
いずれにしても遠い過去の事である。
夢ファクが消滅してからの年数には、異論を唱える方もいるかもしれないが、私が北関東グループという企業のスポンサードを受けて発足した団体の旗揚げから、所沢市で行なった興行迄がレッスル夢ファクトリーの活動期間だ。
その後、私の知らない間に代表を名乗った人間が、着ぐるみショーの様な興行をしばらくやっていたようだったが、それは、私の目指したものでは無いし、夢ファクトリーではない。
今更、当時のことを穿り返しても意味の無いことなので、多くは語らないが、まったくの虚偽で犯罪者に仕立て上げられたり、随分と不愉快な思いをしたことは、事実である。
首謀者の人間は、私に謝罪した。
私は、彼がプロレス界を去ることを条件に謝罪を受け容れた。
彼は、震えながら約束を守ると誓ったが、約束は守られることは無かった。
私は、それ以上追求することはしなかった。
SPWF《社会人プロレス連盟》に所属していた時には、会費を使い込み、仲間達に問い詰められると通帳を紛失したと稚拙な言い訳をし、夢ファクトリーの時には私を不動産詐欺の犯人にし、私の前に立てば、視線も定まらないほど怯えて、しどろもどろ。
そんな奴が、約束など守るはずもない、またこんな社会常識の欠如した、小心者のオタクと同じ土俵に立つのも恥ずかしかったからだ。
彼は、レッスル夢ファクトリーが瀕死の状態に陥った時、道場に寄り付くことは無かった。
あの熊谷の道場で、食費も事欠く状況の中、命掛けで夢を追い続けていたのは、今では故人となってしまった福田雅一と小坪弘良の二人だけだった。
二人は、最後まで夢をすてなかった。
夢を追うことと、夢を見るということは抜本的に違うと私は思っている。
私は、福田と小坪を今でも誇りに思っている。
夢ファクの興行の開始時にいつも流していた曲の歌詞の中にこんな言葉がある。
《命の限りを尽くし、夢を追いながら》
夢を追うことは、遊びでは無い。
レッスル夢ファクトリーは、私の心の中にある。
今も、これからも。
この名を名乗ることは出来ても、精神は受け継ぐことは出来ない。
あの夢ファクを懐かしく思い出してくれる方達がいる限り、私はレッスル夢ファクトリーを再開させることはしないと、10年前に決めている。
無謀にも、メジャー団体へ挑み続けた弱小中の弱小といわれた団体、レッスル夢ファクトリー。
《愚かしい夢と笑え、滅びる定の人生ならば》
福田と小坪は、青春を賭けた。
私は、人生を賭けた。
貧しく苦しくても、私達は夢を追っていた。
来月、福田雅一の命日がやって来る。
小坪を誘って、福田に会いに行こうかと思う。
あゝ、やっぱり明日になってしまった。