今日は、命日。 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

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好い天気だ。
もう三月、ひな祭りも過ぎた。
ところで、今日の私の亡父の命日です。

速いものでも、もう十七年が経ちました。

享年八十二歳。

今朝、ツィートしましたが、ある集まりの場で小学生の我が子に、『尊敬する人は父です』と言われたお父さんが涙を抑えきれなくなってしまったという話。
これを読んで、私はこの子供と同じだと思いました。

還暦もとっくに過ぎた私ですが、未だに尊敬する人は誰かと訊かれれば、迷うことなく父ですと言ってしまう。

父の想い出を語れば、一週間でも語り続けるだろう。

私は、生涯ファザコン。なのだ。

恥じてはいない。
今さら、スタイルは変えられない。

冒頭のエピソードが書かれていたコラムに、

“人は一人だけで幸せになることは出来ない。
  嬉しい出来事があっても、それを分かち合う人がいな     
 ければ、これほどの不幸はないだろう。
 心から信じ、尊敬し合える人がいれば、喜びを倍に、 
 苦しみを半分にすることが出来る。“

父への思いに被る話ではないが、胸に刺さった。

そして、父の生前の言葉が浮かんでくる。

    『りゅう、誰だって一人は辛いものだ、だからって誰でも側にいればいいというものじゃない。同じ道を歩いて行ける人でなけりゃあ、気持ちを共有するなんて無理だよ。だから、戦争は悪い、絶対に悪いことだけれど、敵の弾の下をくぐって来た仲間や、同じ飛行機に乗って戦争した仲間は、他の環境で知り合った人達とは、根本的に違うんだよ。戦友なんだ。おまえも、人生の中で戦友のような人を見つけることだ。』

今夜は、父の好きだったものを仏壇に供えて想い出に浸ろうかと、そう思う。