『イスラム国』〜ついにの想い。 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

    遠い彼方の大陸の国々でくれひろげられている戦争は私達にとって対岸の火事どころか、まさに大海の向こうの出来事だった。

それでも新聞やテレビで、中東戦争やアラブゲリラに関する報道を見聞きして来たこの数十年。

その間には、ハイジャックや、テロに巻き込まれ被害を被った日本人が何人もいた、犠牲なった人達もいる。

それでも、一般の日本人には他人事のだったと思う。
少なからず、私はそうだった。

   だらしなく眠り、日の出前に目覚めた私。
つけっ放しのテレビの画面をボンヤリ眺めていた時だった。
ニュース速報が流れ、私の愚鈍な脳に後藤さんが殺害された事が伝わった。

それから数時間後、タブレットの画面の中に無惨な彼の姿を見た。

言葉がない。

殺害された二人の方に、序列をつける気持ちは無いが、戦争地域で軍事活動し収入を得ようとしていた人と、戦争地域で悲惨極まる生活を強いられている弱い立場の人達、特に子供の為に活動していた人とは自ずから違いが生ずるのは仕方ない事と思う。

そんな後藤さんが、最後に危険地域に向かった理由が先に殺害された湯川さんの救出の為だったという。
それが、いっそう悲しさを増す。

百万言の言葉で怒りと憎悪と悲しみを訴え、正義を叫んだところで、二人は帰っては来ない。

軍事力を行使出来ない国は平和を維持することが出来ないのか。

刃と、銃の下には平和を渇望する思想はなんの意味を持つことも出来ないのか。

いや、違う。

諦めてはいけない。

正義の人達の血をいくら流しても、正義の人達の屍をいくら積み上げても、正義の人達の精神は撃ち砕くことは出来ない。

人類の過去の歴史が証明している。

武器を持たない無名の庶民達を、軽んじ、踏み躙る者達が真の勝利を掴み取る事など出来る筈はない。

女性を犯し、幼い子供を殺すことを許す神などいない。

武器の下に、民衆を統率する様な指導者に思想を語る資格など断じてない。

身体の震えと、吐気が先程から止まらない。


後藤さんの遺志を継ぐ私達でありたい。