東京タワー | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

あれからもう五十年が経った。

半世紀。

1964年~東京。

私は、まだ小学校の五年生だった。

深夜、日付は既に変わっていた。

車窓から見上げた東京タワーはあの頃は想像することも出来なかった見事なライトアップが施され、夜陰の中に輝いていた。

五十年間、彼は其処に立って東京を見下ろしていたのだ。
そして、私達はずっと彼を見上げてきた。

今は、スカイツリーにその座を譲ってはいるが、私達には東京タワーに変われるものなど有りはしない。

風格が違う。

半世紀と云う歴史の重み。

スカイツリーは足下にも及ばない。

太平洋戦争が終結し、日本は敗ける。

敗戦の焦土から日本は奇跡的な復興を遂げ、わずか二十年にして東京オリンピックを開催する。

世界の若人達が嬉々としてやって来た1964年。

彼は、やはり其処からその風景を見下ろしていた。

そして、2020年。

再び東京オリンピックが開催される。

初冬の夜、冷たい風には雨が混じり、彼はやはり其処にいた。

眩いばかりの輝きに飾られて。

『チェッ、こんな派手なお仕着せ着せられちゃあ照れ臭くって仕方ねぇよ、寄る年波のせいか近頃はよぅ、あっちこっち痛いところばっかで、エッ、東京オリンピック⁉︎またやんのかい、そりゃあ見届けなくっちゃあなんねぇなあ』

そんなことを彼が言ったように私には聴こえた。