告別式の風景 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

知人が亡くなった。

多勢の弔問客が訪れていた通夜の夜とは違い、告別式の人の数は少なかった。

あまり、深い交流があった訳ではないが、身近な存在のご家族だったことは確かだ。

通夜も粛々と進み、弔問客の焼香も終わった。

棺が閉じられようとする前、遺族や友人達が故人と最期の別れをする時が来た。

誰かが啜り泣く声が聞こえる。

夫人が、屈み込むようにして棺の中の故人頬に手をあてながら、何か話しかけている。
私の処から、夫人が何を話しているのかは聴き取れないが、悲しみと慈しみと愛情が、混じり合った思いが、その横顔に映っていた。

《お疲れ様、ゆっくり休んで下さいね。》

《あなたが逝ってしまったあと、私は何を励みに生きればいいのかしら。》

《私のことは心配しないで》

《あなたと生きた時間は素晴らしい私の歴史です。ありがとう》

とって付けたような言葉は、いくらでも思い浮かぶが、故人と夫人の間のことは、夫婦の思いは、けして他人の解釈が入り込めものではない。

葬儀場を後にして、駐車場を歩いている時、私の脳裏に浮かんだことがある。

それは、夫人が故人を深く深く愛していたのだということと、私にやがて訪れるその時に、私の頬に手を当てながら別れを告げる人は、きっといないのだ。

駐車場の片隅に停めていた車に乗り込み、車窓から見た並木は、すっかり紅葉していた。