『インポッシブル』 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

『インポッシブル』って云うタイトルの映画知ってますか?
私は、公開時からこの映画の存在は知ってました。
良い映画だろうとは思いましたが、観ることはありませんでした。

DVD化されてからも、レンタル店で手にとっては見たものの借りることはありませんでした。

二日前の夜、地元のレンタル店で何枚かのDVDを借りました。
その中の一枚にこれが有りました。

有りました。と云うと少し変ですが、『インポッシブル』と云うタイトルを見ても、あの映画だとは思わなかったのです。

暇潰しに観る、アクションもの程度にしか思わずに借りたのでした。

長すぎる予告編のパレードの後に始まった本編に私は引き込まれました。

スマトラ沖地震。

あの大地震に遭遇した家族が極限の中で、互いに散り散りになった家族を捜して、幾つもの困難を乗り越え再び巡り会うドラマなんです。

津波のシーン圧巻。

何もかも押し流して行く情景は、CGには見えないほどの臨場感。

津波の後の瓦礫の街の風景も、大地震が起きた直後の被災地で撮影したのかと思える映像の連続で、文句のつけようがありませんでした。

しかし、映画自体はその 、凄まじい映像をメインに据えているのではなくて、主人公の家族が繰り広げるドラマの場所が大地震の状況下だったから、程度の位置付けにしているところが、この映画を単なるパニック映画にしないで、作品に品格を与えているように思えます。

ナオミ  ワッツも、ユアン  マクレガーも良かったけれど、子役三人が特に良かった。
その中でも、長男役の少年がいい。

苦労知らずの中学一年生くらいの細い男の子が、恐怖に押し潰されそうな中で、いろいろな困難を克服する度に強くなり、人間として成長して行く変化をしっかりと演じていて、好感が持てました。

もっとも驚かされたことは、この物語が実在の家族が体験した、まさに実話だと云う事です。

『インポッシブル』。
東日本大震災の後で、日本中が震災の重苦しい悲しみを引きずっていた頃に公開されたこの映画を当時は声高に宣伝することができなかったのでしょう。

大作の割に、静かに公開されたようです。

直接、被災された方々は、観るのが辛くなるようなシーンも多く、でもけして興味本位な視線で、この映画は作られていないと私は思いました。

家族の大切さ。

人の心の奥には、人間など圧倒的な力で木っ端微塵してしまうような大自然の力にも屈しない、強く、崇高な力がある事を改めて教えられました。

釈尊は、自らが説いた教えの中で、仏とは何かを、三十二の否定をもって証しています。
『その身は、有る訳でもなく、無いわけでもい。丸くもなければ、四角でもない。行ったり来たりもしない。色もい。・・・』
このような否定の羅列の最後に、普通の人々の正義感やそれに基づいた行動の積み重ねを因として生ずるもの、遠い彼方にいるのではなく、あなた方の心の更に奥に、見えないし、形も無いけれど、厳然として存在するもの、と結んでいます。
三十二の否定の全てがあてはまるものは
『生命』それ自体、 『仏』とは『生命』


普通の家族が予想もしなかった絶望の極致の中でとてつも無い力を発揮して再開を果たす。
映画の中に繰り広げられるドラマに、若い頃に聴いた、そんな事を思い出しました。

私の私的なランキングでは、現在ベストテンの一位。

後世に遺し伝えるべき映画だと思いました。