2011.5.16のブログを自ら死を撰んだ貴方に捧げる | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

私は、2011年の5月16日に自殺について書いている。
自殺に関したブログは今迄にも何度か書いてはいるが、今朝方記憶にも無かったこれを見つけて読み返してみた。

世界中から驚きと賞賛の喝采を受けた彼は、やがて週刊誌やテレビの格好のネタにされる。

死の知らせは突然だった。

私如き、無名の高齢者になんの力も無いことは承知の上で、この過去の拙文を捧げたい。

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また、若い命が自ら命を絶った。 

自身の人生の整理。

自身の行いに対する贖罪。 

自身の人生からの逃避。 
いずれにせよ、自殺からは、何も生まれない。 

根本的な解決は出来ない。 

《輪廻転生》を肯定するならば、自殺という手段で宿命の縛を絶ったつもりでも、来世の人生で、中断していた宿命の道程を、また歩かなくてはならない。 

それより、東日本を中心に、何万と云う人達が、一瞬にして、なんの心構えの準備も許されずに、死ななくてはならなかったこの時期。 

生きていることの意味を、多くの人達が見つめ直している今。 

生き残った事、その事実を厳粛に受け止め、震災後の日本の復興を、理不尽に人生を取り上げられた多くの人達から託された思いで、国民が総立ちになろうとしている時、 何故なんだと思ってしまう。 

きっと、辛く、悲しく、堪え難い苦しみの重さだったのだろう。 

それでも、生きなくてはいけない。 

私達は、生きなくてはいけない。 

声を大にして言いたい!

若いあなたには、何度でもやり直す時間は有る。 
挫折さえ、人生の肥やしになると云うこと。 

格好良く生きれなくても好いじゃないか。 

還暦間近で、何もかも失い、それでもやり直そうともがいてる親父だって居るのだから…。


聞けば、この分野の権威で、ノーベル賞の候補にも上がっていたとか、世界的な損失であることは疑いないことだろう。

メディアの執拗なバッシング。

それを鵜呑みにする大衆。

しかも、ワイドショー受けのいい部分だけが膨張し、独り歩きする。

週刊誌を先頭にメディアはスキャンダラスな話題を捜す。

学問の世界を歩き続けた人は、私のような薄汚れた道を歩いていない。

靴底に泥が付こうが、中に砂粒が入ろうが、お構いなしに歩くことなど考えようもない、清廉な人生を来たのだろう。

過去のブログの結びに書いたように、今回の事で一旦失墜するようなことが、たとえ有ったとしても、やり直す場面はいくらでもある筈。

自分の探究心、研究に対する情熱さえなくさなければ、貴方の出番は間違いなく来た筈。

もったいない。もったいない。もったいない。
そうしか言いようがない。

老若男女、誰もがイジメ。

老若男女、誰もがイジメられている。

イジメが原因の死があとを断たない。

イジメた人間の予測の一万倍、イジメられた人間の心は傷ついていることを知れ。

ブログの中で何度となく言ってきたことだが、イジメを受けた側には、一欠片の原因も無い。

明確なイジメの対象にされたきっかけが被害者の側に有ったとしても、それを被害者にも責任有り、などとしたり顔で言う馬鹿者が、イジメ社会の温床なのだ。

被害者が命で償う原因など、イジメにあろうはずもない。

イジメ社会は、また一人かけがえ無い命を、かけがえの無い知性と共に葬ってしまった。


                                                         合掌。