悲惨な連鎖 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

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八月が始まり、暑さも更に厳しく成った。

韓国の船舶事故あたりから、国の内外を問わず悲惨な事件が連鎖している。

中には、事故と云うべきのものもあるが、
その事故を、人的な原因から悲惨極まる大事故に増大させた事実から、私は事件と思う。

無責任。

怠慢。

無関心。

自己中心。

利己主義。

こういった目には見えない心を蝕むウイルスが、人の心を確実に壊している。

そして、根本に根付いているのは臆病だ。

自身の職務に対する意識を持ち、責任を全うする行動を取ることは、時としては大変な労力を伴うし、勇気を必要とする。

怠慢もまた、臆病の為せる技だろう。

いろいろな理由付けは出来る。

だが、被害者達の尊い命と天秤にかけた時には、何の説得力も無い。

臆病者 には他人の苦しみや困難に関わる勇気は無い。

理不尽に自分の生活環境や心情を破壊しようと云うものへ抗う勇気は無い。

敗北感や挫折感が産み出すストレスの発散を自分より確実に弱い者へぶつける。

傷ついた自分を哀れむことは出来ても、自分の身勝手なストレスのはけ口にされた者達の悲しみや恐怖、絶望感を理解する人間らしさは持たない。

親に、『死ね!』と言われた少年の思いを考えると胸が苦しい。

義務の履行を最小限に抑えることを賢いと考える、利己主義者達。

怠けることが利益だと考える愚鈍な怠慢の輩。

通信手段の進化が招いた悲しみ。

親達は、携帯から伝わって来る、我が子の断末魔の叫びをどのような思いで聴いたのだろう。

大勢の子供達を置き去りしたまま、船から逃げ出した船長以下の心情など理解しようも無いし、したくも無い。

心を病み、幾つものシグナルを出しながら、ついに狂気の殺人者に堕ちてしまった少女の心を今更したり顔で分析したところで何が見えると云うのか。

かつて、この国には、心優しきお節介なオバちゃん、オジちゃんが町に溢れていた。

その人達によって、離婚を思い止まった夫婦。

虐めに屈しなかった少女。

貧困の中でも理想を持ち続け、やがては夢を掴み取った青年。

非行から立ち直った少年。

時の流れと共に、オジちゃんやオバちゃんは、町から姿を消してしまった。


反面、プライバシーを尊重し、他人の家庭に踏み込むようなことはしない行儀の良い人達は、自分の家庭の中で他人の噂話に明け暮れている。

『お節介焼き』のいなくなった町に平和と安全は訪れることは無いような気がする。
人と人との連帯が温もり有る社会を創るとは誰もが云う。

あの大震災のあと、『』と云う言葉が巷に氾濫した。

皆、何が必要で、何が有効かを知っている。

あとは、その『』を結ぶ行動に全ての人が『勇気』を持って踏み出すことだろう。

微力ながら、私も踏み出そう。