恒例の贈り物が | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。


昨日、ある方から季節のご挨拶が贈られてきた。



贈り主は、ある企業のオーナー。



この方と知り合ったのは今から十年以上前。



私が関わった『WJ』というプロレス団体の旗揚げ直前の頃。



その団体の社長の友人ということで紹介されてからのお付き合いである。



大きな立場で事業を展開されている方なので

実際には会う機会は殆どなかった。



その年の暮れにお歳暮を頂き、それから盆暮れには欠かさずお心遣いを頂き続けている。



特徴は、贈られてくる時期が早いことだ。



その方にとっては、その当時も現在も私に心遣いをする必要はない。



損得で全てを考えるものではないが、世間一般では、仕事を介して知己を得た場合は、やはり仕事にプラスに成ったとか、協力関係にあるとかのことが影響するのは否めない。



実際、私の家の仏壇の有る和室には、会社経営に私が忙しくしていた頃は、梅雨が明けた頃と年末には、彼方此方から届けられたかなりの数の進物が積み上げられていた。



私が、会社を畳む前年だった。



その和室に毎年贈られてきた進物は激減した。

これが現実だと実感したものだ。



私宛に今も欠かさずにお心遣いを続けてくださる方は、まだ三人いる。



その三人の方のひとりは、もちろん今回話題にしている方だ。







他の二人も、やはり私を必要とするような方々ではない。



だから無性に有難い。



三人の方に共通するのは、頂いて嬉しくなる物が届けられるということだ。

気持ちがこもったとでも云うのだろうか。



今の私は、私を知る人にも信じられないようだが、人生の残り時間に対しての不安が、それを超えて恐怖心に近く、元気のない日を送っている。



私は、今から二年前に『我が人生最後の十年計画』を立てた。



来月には三年目がスタートする。



計画は思うような進展がない。



私は、よく『そんな歳に見えない』と言われる。

自身も年齢から三十引けば、まだ三十そこそこだなどと嘯いていた。



しかし、老いを感じるようになったのは事実だ。



老いを実感する度合いがどんどん心に拡がっている。



『こんな処で終わるか』



『ここから勝負だ』



『俺は最期は幸福に終わる』



『諦めなければ、必ず道は拓ける』



そんなことを言い続けてきた。



心に囁く声がする。



『ここまでかも知れない』



『諦めなければ、と言っても、それにも限度は有るさ』



『諦めろ、もう無理だ』



そんな囁きを振り切るように生きているのが今の私だ。



恥ずかしいが、弱くなった。



未来を描けない。





そんな私には、この贈り物は大きな意味がある。



贈り主の方の思いが伝わってくる。



『へこたれんじゃないよ、龍さん』



わかりました。



あがいて、あがいて、悪あがきして生きていきます。



なんぼ倒れても、生きてる限り立ち上がります。





さあ!残された時間と真っ向勝負だ!





カラ元気 ため息交じりに また一歩



字余り。