三月四日~父の命日 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

今日はこのブログで何度も書いて来た私の父親の命日だ。
戦前、戦中を通じてアジアの空を翔びまわり、日本が太平洋戦争になだれ込んで行く様を、盧溝橋事件から終戦のその日まで最前線の中で操縦士という立場で見てきた。

見てきたという、言いようは適切ではないだろう。
父は、戦い、生き抜いたのだから。

私が、映画や、書物などで知った戦地の名称、作戦名、その殆んどの場所と作戦に父は居た。

ノモンハン、パレンバン、ラバウル、
シンガポール等々。

盧溝橋事件、ノモンハン事件、支那事変、インパール作戦等々。

私の知る幾つかの父のエピソードは、その大半は父の兄や父の戦友、部下達の方々に聴いたものである。

私が、たしか小学校の高学年くらいの頃だった。
父に、『そんなに、大変な場所で戦ったのに、どうして生きて帰って来れたの?』と聞いたことがある。

父は、いたずらっぽい笑みを浮かべて、答えてくれた。

『それはな、みんなと一緒に飛び立った後に、戦争してる方向と反対の方向へ飛んで行って、みんなが帰って来る頃、一緒に帰って来たんだよ。』
父から武勇伝のひとつも聴けると思っていた私は、落胆したものである。
しかし、それが父の冗談だという事は、子供のわたしにも判っていた。

晩年、同じような私の質問に、父は答えてくれた。
『こんな事で、死んでたまるかという強い思いだった。』
その時の父に、あの日のようないたずらっぽい笑みはなかった。

ウクライナで戦争の火種が燻り始めている。

人間は、悲しみの教訓を活かすことのできない愚かな動物なのだろうか?

『おじいちゃんが、お前に、先ず言っておきたい事は、戦争は絶対にやってはいけない。という事だ』

私の姪に、すっかり好々爺になっていた晩年の父が語った言葉である。



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