『永遠の0』観賞記2 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

引続き『永遠の0』の話です。
今回は、この映画からいろいろ思い出した事やなんやらを思いつくまま書いて見ます。

何と言っても、『永遠の0』を観ていて一番思い浮かんだ事と云えば、やはり私の父親のことだ。
かと言って、父の八十二年間の生涯を綴るには無理もある。
取り敢えず、主立ったエピソードを選んで綴ることにしょう。

父は、大正五年一月十二日、横浜で生まれた。
西暦で云えば、1916年。
存命なら、今年九十八歳。

平成十年三月四日、八十二歳。
宇都宮市内の病院のベッドで静かにその生涯を閉じた。

『頼むぞ』それが父の最期の言葉だった。
父が生まれて六年が過ぎた夏の終り、む関東地域に大打撃を与えた大地震が起きた。
1923年9月1日。

相模湾北西沖80kmを震源とするマグニチュード7.9
世に言う関東大震災である。

私が、二十代前半の時に亡くなった父の兄、私の伯父が生前話していた事だが、震災のさなか、奉公人に背負われて逃げる幼い父の姿を見て、『この子は、長生きはしないだろう』と思ったそうである。
それほど、幼少の父は病弱で虚弱だったそうだ。
虫に刺されれば化膿していつまでも治らず、一年中風邪をひくことが多く、よく下痢もしていたそうである。
家には頻繁に 医者が出入りしていたのだという。
旧制中学に通っていた伯父は未聞の震災の中で幼く虚弱な弟が、この震災下を無事に生き抜く事は無理だと判断したのだろう。
ところが、伯父や周囲の予想に反して、父は、成長するにしたがって健康になり、頑健な体躯を手に入れる。
旧制中学に入学してからは、テニス部に入部したようだが、時折、相撲部の大会に助っ人を頼まれ出ていたようだ。
生前、父から聞いた話だと相撲の全国大会に出場してかなりの成果を挙げたようだった。



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