『永遠の0』観賞記 外伝 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

引きこもりがちに病弱な幼少期を過ごした私の父は、そのせいも有ってか、小学校に入学した頃には、心密かに画家に成りたいと云う思いが生まれたようだ。
美術の教科書にも載る、世界的な洋画家の一門で油絵を学び、やはり著名な日本画家の基で水墨画を学び、
さらに彫刻の勉強もしていたと聞いている。

私は、父が描いた絵を見たことはない。
無いが、幼い頃、包装紙の裏や、何かの紙に、父が手早く描いてくれた動物の絵や、飛行機、自動車、漫画のキャラクターなどは子供心を躍らせる素晴らしいものだった事を憶えている。

こんな、エピソードを叔父から聞いたことがある。

父が十五歳頃の事だと思うが、私の祖父が【父の父親である】ある団体の【大日本帝国発展の為に協力しようと云う趣旨で建築、土木業者、博徒が結集した団体】幹事長のような職を拝したときに、その団体事務所の表に掲げる団体名を記した看板の文字を著名な書家に書いて貰ったそうだ。
そして、その文字を大きな欅の一枚板に彫り込んだのは、なんとまだ、十五か十六歳の私の父だった。
そのぐらいの腕前だったのだろう。
その様な評価を得ていた父の事なので、家族も周囲の人達も、父は画家か彫刻家に成るのだろうと思っていたようである。

そんな父に人生の大転換の時が訪れる。

生前の父の話では、たしか十四歳の時と言っていたのだが。
父は、ある日、当時はまだまだ一般の人に観る機会さえ中々無い飛行機を、同級生達と立川の飛行場に写生に行く事になる。

そして・・・・


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