私の好きな映画監督の一人に井筒和幸氏がいる。
作品も好きだが、トーク番組などでの歯に衣着せぬ物言いが好きだ。
しかし、その好きだは、だった。に変わってしまった。
まあ、世の中になんら影響力を持たない、立場も肩書きもない私が何を言おうがごまめの歯ぎしりにも成らないのだが。
昼休みの一興に気楽に聞いて貰えたらと。
氏は週刊誌の連載コラムに、この作品についての批評を載せた。
私は、前述したように氏のファンなので立読みだったが、当然読んだ。
最近では、ラジオ番組の中でも、言葉で酷評したそうだ。
その番組を私は聞いていないが、週刊誌の連載コラムの内容は、酷評という言葉でも足りないほどのものだった。
人の顔もそうだが、見る角度や方向で時には別人の様に見えることもある。
絵画も文章も音楽も、すべての存在には、捉え方、好き嫌いの違いが有るし、それでいいと思う。
だから批評も、表現の自由の範疇だと思う。
私自身も、好き嫌いの激しいタイプだと思うし、そんな私だから井筒和幸氏のファンだったのだと思う。
しかし、今回のは頂けない。
まず思うことは、私の認識が間違っていないのなら、氏は今も現役の映画監督の筈だからだ。
同じ生業の人間が、同業の人達の作品を批判するのは、私的な場ならまだしも、公的な場では如何なものだろうか。
と私は思う。
『0』に感動する人もいれば、特攻を美化、礼讃するとして嫌悪感を感じる人もいるだろう。
私は、井筒和幸氏と同年齢、子供の頃から戦時中のことは
iPhoneから送信