凍てついた朝に思うこと。 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。



まあ、寒い。
熊谷は、夏の暑さが有名だが冬もかなりなものがある。
以前経営していた会社の業務の時は北関東エリアが活動範囲の大半を占めていた為にあまり気にはならなかったが、年齢の所為もあるのだろうか、都内から戻って降り立つ熊谷の外気は都内とは一段寒さがキツイ。
と、感じる。
この写真は、我家の角に有る外水道の水栓の下に置かれたバケツではなく、何故か寸胴なのだが、しっかりと凍っている。

寒いので部屋に戻って、炬燵にあたりながら、ボンヤリ朝の情報番組を眺めていた。
メールを確認したり、朝刊に目をやったりしながら眺めていたのだが、テレビから耳に入って来た言葉に気持ちが動いた。

『景気のいい時代を知らない』
『国に何かを望んではいない』
『未来に大きな夢を見たりしない』

少し、背筋が寒くなった。

私も、人に誇れる青春時代を過ごして来たわけではないので、偉そうなことを言うつもりも無いのだが、若者が身の程を知り、高望みもせず、確実性を尊び、己の力量の分析に長け、
自らの能力が届く場所に夢を置き、絶対的に挫折せずに達成出来る夢を掴む、多分それは、失敗しない人生なのだろう。
傷付くことなく、絶望せず、敗北しない若者達。

それでいいのかなあ。

若者と周囲から呼ばれる時間は長くはない。

その時間に、身の丈に合わない夢を紡ぎ、それを目指し、無謀にも突進する。
そして知る、焦燥感、敗北感、挫折感、絶望感。

時代や、社会の仕組みに押し潰され、叩きのめされてボロボロになった先に、必ず掴み取るものが有るんだと、声を大にはしないが、言いたい。

私は、破天荒な生き方をしてきた覚えがないのだが、結果、人様からすれば、『波瀾万丈』『破天荒』な人生を歩んで来たことになるらしい。

私は、『青年よ、大志を抱け!』等と言う訳ではないが、青春時代のどんな不幸な体験も、必ず人生全般の武器を産み、体力を養う事は間違いないと言える。

失敗しない生き方が出来るなら、そんな幸福な事はない。
誰しもそうありたいと思う。

大人っぽい子供より、子供っぽい大人の方がいい。

賢い青年より、危なっかしい若者がいい。

冷静沈着な青年より、熱き情熱がたぎる若者が好きだ。

正しいとは言わない。

私の、あくまでも私観だ。

私は今、還暦を過ぎ、未だ安住の生活を手に入れていない。

このまま行けば、私の人生の収支決算は敗北に成ってしまう。

このブログに綴った私の主張も説得力を失う。

だから、まだまだ悪足掻きを続けようと思う。

きっと、死ぬまで続くのだろう。

私は、こんな生き方しか出来なかったが、それを後悔しながら臨終を迎えたいとは思わない。

私の根拠の無い確信だが、私は幸せに包まれて死んでいく、間違いない。

貧乏していようが、独居老人になろうが、私は、幸福のうちに死んでいく。
死に顔は、必ず微笑みを浮かべている。

その時を実現する為に、綱渡りの悪足掻きを乗り超えながら今年も頑張って行こうっと。






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