軽いこと。 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

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子供の頃、校舎のトイレで用を足し、手も洗わずに友達の身体に触れ、『えんがちょ!えんがちょ!』と、囃し立てたことがある。
その反対に、囃し立てられたこともあった。

私の子供の頃には、遊びとも悪戯ともつかない、こんなことが、結構流行っていた。

原発視察後の、新内閣の閣僚が、顔なじみのマスコミの人間を相手に、着ていた衣服を近づけながら、『ほら、放射能つけた』の様な、子供じみたジョークを飛ばしたそうだが、政権を担う党ともなれば世論の見方も厳しいのは当然。
ここのところ、政治の世界で軽はずみで心ない言動が目立つ。
民主党ばかりと云う訳でもないのだが、政権与党の、しかも総理大臣をはじめとする閣僚達の言動にはうんざりさせられてきた。

鳩山政権下では、なにより鳩山首相(当時)自身の 基地問題での嘘八百に始まり、政治資金の問題でも、この人が、国民について来た嘘のなんと多かったことか、今もって決着のついていないことが殆どだ。

その後の、菅政権のこと
は、改めて私がここで話す迄も無いだろう。

物事には、様々な角度からの見方が有るが、彼は酷すぎた。

嘘もつけば、責任転嫁も日常茶飯事。
その上、権力欲も旺盛なら、傲慢さも人一倍。

彼等の罪は、歴史が証明する筈である。

ともあれ、幼児性すら感じさせる閣僚達の言動はなにに起因するのだろう。

まったくの私見なのだが、彼等には、自身の職務が何なのか、本質が解っていない。

政治家は、所謂、職業ではないのだと、私は思う。

政治家は、志した時点で 、国家国民の下僕となる覚悟が必要である。

生活の基盤を固める為の 収入源を確保し、社会的な地位を確立するためなどと、微塵でも考えるのならば、政治家の道を選ぶべきではない。

さらに、日本の国の頂点に自分立つ、なども考える可きではない。

平穏な時間が積み重なり、経済も発展し続ける中で、多くの政治家はその事を忘れてしまった。

言葉にはしても、心に大志は失くなっていた。

今回の様な、緊急事態になっても、電光石火に国民を結束させ、守り支える事など、出来よう筈もない。

被災地の人々の事を思い、迅速に復興を推し進める事が出来るわけはない。
命を懸けることなど、やったことが無いのだから仕方ない、と云えばそれまでだが、本当に命懸けになる覚悟を決めなかったら、この国は滅びてしまう。

新たな政権も、早々に、心ない言動の為に閣僚が辞任している。

こうも、しかるべき立場の人の言葉に、重きものが欠けているのも、類を見ない。

泥鰌でも、鯰でもいいのだ、国民の為に生き、国民に寄り添い、そして、国民の中に死んでいく。
真の政治家の登場を私達は待っているのだ。