玄関の名残 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

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久方ぶりに、息子が休暇で帰って来た。

親の私が云うのもどうかと思うが、ますます精悍さを増したように思う。
やはり、親の欲目だろう。

身体つきも、見事にBuildUpされていて頼もしい限り、大学時代の、レスリング部で鍛えられたそれとは、違った逞しさを感じる。

近々、制服の警官から私服の刑事に変わるらしい。
無事安穏を、祈るばかりだ。

外へ出ようと、玄関先に立った時だった。

息子の脱いだ靴が、私の目に止まる。

少し、内股気味に脱ぎっぱなしに成っているそれは、私の中に、懐かしい風景を一瞬にして甦らせた。

私の父に連れられて、散歩から戻って来た三、四歳頃の息子の姿が浮かぶ。
少し鼻にかかった高い声で、私を呼びなから玄関に駆け込んで来る息子の、おもちゃの様に小さな靴は、決まって内股気味に脱がれていた。

大人に成った息子に、あの頃の面影を見付けるのは、年々、難しく成るのは当たり前のことだが、ハイカットのスニーカーの時も、ピカピカに磨き上げられた革靴の時も、玄関先の息子の靴は、いつも、あの頃と同じ様に、少し内股気味脱がれている。

事件、犯罪という特異な空間で、被害者と加害者の両極と対峙して行かなくてはならない人生を選択した息子にとって、靴の脱ぎ方だけでなく、花の美しさを好み、摘み取った名も無いような草花を、眠りにつくまで、しっかりと握りしめていた優しさを、二階の窓いっぱいに拡がった夕焼け空の色に声を出して感動し、飽きることも忘れて見とれていた情緒豊かな心を忘れること無く、居てほしい、幼い頃の無垢の人間性をいつまでも、いつまでも持ち続けて行って欲しい。

偉い人になど成らなくてもいい。

おまえが、幼い日に握りしめていた草花や、おまえの心まで茜色に染めていたであろう、夕焼けの空の様に、犯罪被害に打ちひし枯れ、悲しみの底で絶望している人達、いつの間にか、荒んだ心に支配され、悪事に身を染めてしまった人達。
おまえは、これからの人生で関わるであろう、そんな人達の為に、道端の名も無い草花や、明日への希望を思い起こさせる夕焼けの空の色の様な人間に成って欲しい。

それが、おまえの父の願いである。