バリ島に行って来ました。
と云っても、観光旅行ではありません。
南の空と海を眺めているうちに、気がついたことが有ります。
livedoorの頃から、何度となく私のblogに登場する父のことです。
縁もゆかりも無いと思っていた熊谷に越してきた十六年前、生前の父は私に言いました。
『熊谷か、懐かしいなぁ、士官学校が籠原に在ったんだ』
父は、旧制中学を卒業し、法政大学へ進み、そこから一期(年)8名という難関を突破して籠原にやって来ました。
寡黙な父は、多くを語ることは無かったのですが、父と同世代の人に聴くと、当時の若者達の憧れの的の、エリートだったことは確からしい。
その、父親ゆかりの熊谷で、プロレス団体を興し、億を超える負債を抱え、一念発起で、水商売の道へ進み、負債は完済。
これで、穏やかに老後を迎えよう、迎えられると思ったのが5年前、数店舗の経営も、まあ~順調だったのはこの頃迄、気がつけば、すべての店を手放し、また一文無し。
Benz、BMWを乗り回していたのが、今は自転車に跨がり、路線バスを乗りこなし、財布の中にはSuicaを忍ばせる変わり様。
それでも、結構気楽な毎日を送っています。
苦労を掛けている家族には言えませんが…。
話を戻しますが、私は、店舗経営の他にも仕事をしていました。
その関係で、数年前から、海外に出る機会が増えています。
台湾、タイ、グァム、サイパン、インドネシア、ついでに沖縄。(海外ではない)
この十年間、仕事以外の海外は、ハワイだけです。
バリ島の夕暮れが迫って来る空を見上げながら、この空を、60年以上も昔、私の親父が飛んでいた のかと思うと感慨深いものが有りました。
そういえば戦時中、台湾も、タイもインドネシアも、他の処も、みんな親父が日の丸を付けた飛行機で飛んでいた地域でした。
ホテルのバルコニーから、遠く、デンパサール空港へ着陸態勢に入ろうとしている旅客機の機影を眺めながら、私は父親を懐かしく思い出していました。