長州力のこと。 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

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ある意味、私の人生に大きく影響与えた人間のひとりとして、谷津嘉章の名前は欠かせないだろう。
彼に出会わなかったら、私は間違いなくプロレスの世界に縁することは無かった。

私の約7年間のプロレス人生は、それ自体が人生等と呼ぶことがおこがましい程に短く、そして不毛だった。

それは、業界がどうとかの問題ではなく、私自身の存在証明が希薄だった為に、不毛だと感じるのだろう。

きっとそうだ。

団体を潰したから云々の問題では無い。

あれから、10年という歳月を経て、気がついたことも多々有るが、今はそれを語りたい訳では無いので、話を進めることにする。

その谷津嘉章が今年、全国何カ所かを回って引退興行を行い、最後を新宿の会場で迎えた。
永く波瀾に富んだプロレス人生は、これで幕と為ったのである。

彼にゆかりの、沢山の関係者が彼の最期の花道に集った様だ。

私は行かなかった。

呼ばれなかったし、日程すら知らなかった。

もし、声をかけて頂いたとしても、丁重にお断りしたと思う。
彼と袂を分かった時から、二度と遇うことは無いと心に決めていたが、実際には、様々な柵の中で私の決意は、我が儘だと一蹴され、その後、彼とは何度となく会い、酒の席等を供にして来た。

引退興行の在ることを私が知った直後、ある人からMAILが来た。

谷津嘉章の引退興行が在るのだが、貴方は行かないのかと云う問い合わせだった。

私は行かないと返信した。
先方の人は、貴方が心安らかに成れることを祈るばかりであると、またMAILをくれた。
人を憎み続ける事は不幸だからだとも書かれて在った。

その人の気遣いは嬉しかったが、私の心を捉えてはいない。

何も私は、彼を憎み、それをエネルギーとして生きて来た訳ではない。

勿論、嫌な思い出は有るが、それを言えば、向こうも同じだろう。

私の心が狭いのかも知れない。