土佐源氏のふるさとを訪ねて | ア-ルの写真記

ア-ルの写真記

四国の山間(主に石鎚山系)で「人と自然」をテーマに
写真を撮ってます。
写真は記録!
旅は人生の肥やし!

(日本写真家協会 会員)

「忘れられた日本人」宮本常一著に収録されている「土佐源氏」。

そのモデルといわれている山本槌造翁。

お隣の県、高知県の梼原町に住んでいたという。

そこがどんな所かだんだんと興味が湧いてきて、車を走らせ行ってみた。

 

高知の山中を行く途中、「人生に、野遊びを。」と書いたシートが壁にはってあった。

「野」の文字が夜や女に変わるとちょっと問題があるが、と思いながらみた。

 笑 

でも良い文句だと思う。

 

槌造翁が住んでいたという「茶や谷」という所を教えてもらうために、まずは梼原町役場へ。

役場に到着するや一見、庁舎の外壁は木の板を何枚も貼り付けたようで、今まであまり見たことない建築デザインに圧倒された。

建物には地場の木がたくさん使われているようで、隈研吾建築都市設計事務所+慶應義塾大学理工学部システムデザイン工学科の設計によるものだという。

役場で場所を尋ねてから、梼原の町中から四万川川を遡って行った。

30分程山道を車で行っただろうか、竜王橋が見えてきた。

 

道しるべもある。

坂本龍馬の脱藩の道が横を走っている。

ここから韮が峠を越えて行く道があったようだ

 

 

 

土佐源氏では、山本槌造翁は竜王橋の橋下に

ねぐらを構えて、生活をしていたという。

 

この橋の下に住んでいたというが

今は護岸工事や橋梁工事後ですっかり様変わりしている。

宮本常一が訪ねてきたのは1942年の2月

もう80年も前のことになる。

 

山本槌造翁は竜王橋の下をねぐらとして

乞食生活していたというが

実は、乞食ではなかったようだ。

橋の向こう側の道路より2㍍程下がった所に家があり、そこに住んでいたみたい。

家の横には水車があり、水車を回し粉ひきをして生計をたてていたという。

そして、槌造翁は道を往来する旅の人をつかまえては、おもしろおかしく話をすることを楽しんでいたという。

 

宮本常一は、山本槌造翁の話を鵜呑みにしたのか、或いは、創作をしたのだろうか。

 

 

 

この橋は昭和56年竣工のようだ

 

 

 

山本槌造翁の娘さん(2005年逝去)が住まわれていたお家という。


 

 

 

近くの山に海の神さん、綿津見神社(龍王宮)がある。

山なのに海の神さん!と不思議に思った。

槌造爺さんがいたころ、綿津見神社は漁師たちの信仰を集め、

祭礼に愛媛の宇和島、高知の久礼、土佐清水などから

1000人もの参詣者が訪れたという。