桜樹の影無へ | ア-ルの写真記

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(日本写真家協会 会員)

西条市丹原町の山間の集落 影無集落に、、。

国道11号線からそれて、志古川ダムがある山手に向かって車を走らせる。

志古川ダム越え、さらにダム沿いに上流へと上っていく。

とびの巣橋バス停を通り越す。

とびの巣あたりには、対岸の方にも人が住んでいたので鉄製の赤い橋が架かる。

山間部を地図を見ていると、鳶の巣や鷹巣といった地名を、よく見かける。鳶や鷹が多くいて巣を作っていたのが名前の由来なのだろうか。面白い地名だ。 

 

神部も通り越して進んでいく。

『神部(かんば)』という地名、なんか神々しい名前だ。

 

さらに奥に。

川沿いに行けば借宿(かしじゅく)という集落を通り抜けていく。地名の漢字が面白い。

借(かり)なのに(かし)と読むようだ。

面白い地名だ。

借宿集落を通り越す。

半分宿のような役割を果たした家がここらあたりには古い時代から何軒かあったようだ。

ここは借宿という地名。

かつては専売品だった塩の看板プレートが柱に打ち付けてある。

古くから雑貨や食料品などを扱うお店だったようだ。

建物自体も大きくてお宿と店の兼業のような建物だ。

今度行ったら聞いてみよう。

 

大昔、役行者が神部あたりで荒釜の行を以て清浄な人を選んで、借宿にて宿をとり三ヶ森に登り、その付近に一番最初の蔵王権現を遷座したという。それ後、堂ヶ森、瓶ヶ森、石鎚山と移動していったという、いい伝えがこの地方に残るという。

 

楠窪の影無集落あたりに来たようだ。

今は影無の3軒に人が暮らしているそうだ。

かつては3~40軒程の家があったという。

藩政時代、このあたりは影無とよばれていた。

きっと遮られるものが無く日当たりが良かったから、この名が付いたのだろう。

 

 

影無からの景色は素晴らしい。

三ツヶ森方面が見える。

 

 

影無に地蔵堂がある。

火災があり焼失したが、その後明治23年に再建されたそうだ。

その横には六地蔵が並ぶ。

 

お堂の中にもきれいなシキミが供えられている。

 

お堂には奉納された絵馬がかかっている。33年?の数字がみえるような。お堂が再建されたのは明治23年。10年ほど跡に奉納された絵馬だろうか。

 

民家の軒下。大根に芋にトウモロコシが干してある。

昔ながらの干し方久しぶりに見た。

懐かしい。

 

 

人が住まなくなって久しい。

そろそろ屋根が落ちかけている。

 

 

ここ影無でも、江戸、明治、大正と発酵茶である黒茶が作られていたという。

お茶が山道沿いの方々に自生している。

 

このあたりはゆずの木が広範囲にわたり今でも沢山栽培されている。所々、ゆずの皮が散乱している。

猿のしわざだ。

近年はサルの被害が深刻だ。

 

 

かつて影無のなるい所では稲作が行われていた、と影無に住む人が話してくれた。

耕運機につけた車輪とすきぐわが放置されていた。

このあたりでも、稲作が行われていたようだ。

 

これは何だろう?

なんかをなめす機械?のような、、。? 

う~ん。?

この影無集落から山に向ってどんどん登っていけば、山を越えて小松の妙口や大郷、安井に行く道があった。

車が通る道が谷川沿いに完成するまでは、小松まで行く主要な道だった。

荷馬も行き来出来たそうだ。

今、古道の状態は、どうなっているのだろうか。

 

      影無から古道をとりあえずちょっと行ってみる

                  ↓ 

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