本公演は2011年1月14日、23年の間体制を維持してきたベン・アリ― チュニジア大統領の国外亡命を受け、緊急シンポジウム「チュニジアで何が起こったのか?」と題して上智大学アジア文化研究所所主催の下で行われた。当日は会場に入りきらないほどの盛況ぶりを見せており、遅刻した私は立った他ままの聴講をせまられるほどであった!!!比較政治において民主化研究や権威主義体制の権力維持システム(たとえばエリートや軍など)は相対的に(民主主義研究などと比べて)遅れている側面があるだろう。ひとえにも、発展途上国や第三世界諸国においては地域研究と比較政治の垣根が低い事や情報量の少なさなど様々な特殊な要因が存在している事も関係しているだろう。私自身の関心としても昨年のキルギスにおける政変やウズベキスタンないし他の中央アジア諸国における権威主義的体制を考察するうえで、今回のチュニジア政変を知ることは有益であると同時に、中央アジア諸国もいまでこそ世俗主義の国であるが歴史的には豊かなイスラーム文化を内包しているし、現代においても生活と不可分な形で残っている。そのためイスラーム諸国における体制転換は、民主化がある種のドミノ理論に基づき波及していくという事にとどまらず、中央アジア諸国に何らかのアイデンティティーの変化をもたらす契機となりうる可能性すら含んでいるだろう。このような問題関心を設定し、公演を聴講したわけである。以下を自分なりの要約とする。
本公演は私市 上智大学教授、小野 元駐チュニジア日本国大使、宮地 東京国際大学名誉教授、福田 明治大学教授の四名により行われた。複数による講演であり、「誰が何を発言したか」を記録する事に苦労することが予測されたため、あたかも一人の人間の意見であるかのように要約する場所があるかと思うか、四名それぞれの意見は当たり前であるがすべてにおいて一致してはしていなかったという事を予め断るものの、アフリカ研究が一義的関心ではない私にとっては、ニュアンスの違いはあれど、意見の一致は大半に問題において出来ていたので、ひとつに要約しても問題はないだろうと感じた。
公演の冒頭、国境なき記者団による言論の自由・報道の自由度ランキングを元にチュニジアは178位中161位という現状が示された。チュニジアという国は平和・外への開放などのよい印象を与えるとともに、このような自由のなさというもう一つの側面をも抱えている国である事がまず主張された。今回の政変の背景となった要因は経済面において富の不平等・失業率の高さ・民営化された国有企業の多国籍企業による支配が指摘されるも、20年間で経済成長5-6%・インフラ整備の充実・9割を占める中産階級など決して、貧しい国というわけではなかったという点に複雑性があるように感じた。政治面では与党RCDは下院214議席中161議席を有しおり、野党は存在するものの実質的にはヘゲモニー政党制に近いのだろう。注目すべきは党員の多さであるとの指摘もあり、175万人を有しておりその数は各家族に一人RCDの党員がいるというほどの数であったという。イデオロギー純度などからどのくらいの拘束力があったかは明らかではないが、社会的エリート育成の側面と市民の監視の側面を政党が有していたといえるだろう。文化人類学的には宮地女史がチュニジアの都市文化の強さや市民の成熟度(教育水準の高さや女性の社会進出の多さ)が指摘されていたのは注目に値する。その他にも福田氏いわく人間としての尊厳と自由を取り戻すという動機が大きく作用していたというコメントがあった。昨今のインターネットデモクラシーとでもよべる現象はそれ自身の果たす機能よりも、個々の国における政治文化などの基礎があって初めて成り立つものという前置きがされていた。政変の際に最も重要なファクターとなるのは暴力装置としての軍であるが、チュニジアにおいては公平な中立性(宮地)が守られ、自制力がきいていたという事であったが、体制崩壊が明らかになってから公共建造物などの保護のために出て来たようである(27日現在)。しかしより本質的にはベン・アリ―の権力基盤は二十万人の治安関係者にあり、チュニジア国軍はわずか四万という数であったようである。チュニジアの対外政策において隣国との領土問題解決による安全保障の維持により旧体制下では軍事予算は削減が続いていた事は大きな要因であったという事実は国内における治安関係者の重用という流れに影響を与えたことだろう。私市氏は今回の政変において対仏独立時にわき起こったナショナリズムの再復興とでも呼ぶべき現象であると指摘していた。汚職体制前の祖国への思いが要因として存在するとされていた。福田氏はチュニジアをイスラミズムにたいする壁として強権体制を容認していたアメリカ・フランスの姿勢を指摘。70-80年代の大衆運動が東欧諸国のように成功せず、諦めを感じていた市民が今回の政変で「不可能と思われていたことが、できてしまった」という事が持つ意味は大きく対外波及の蓋然性を指摘されていた。政変が全国規模に波及していく際に、UJTTなる労働組合の役割。イスラーム復興勢力に関しては傾向は確かにある(モスクの増加)ものの、ファナティックな復興はないのではないかとの指摘。新政府の下でも対外債務の多さによる、従属的な構造を変えるように努力することの必要性。RCDの社会への浸透が大きいためRCD抜きには何もできないという矛盾も存在するということも指摘されていた。
チュニジアという国は日本からあまりにも遠すぎるのかもしれない。私自身、フランスの元植民地、マグリブくらいの知識しかもちあわせていなかった。北アフリカの一つの国で起こった政変が中東に与える影響は、現在耳目を集めているエジプトを見ても明らかであろう。「不可能と思われていたものが、できてしまった。」この言葉が表わす意味は想像よりもずっと大きいのかもしれない。シンポジウムにおいては積極的に革命という表現を使っていたが私自身は政変を、現段階では使うべきだとも感じた。しかし、中東の専門家があえて革命という言葉を使うほど今起こっていることは革命的なのかもしれない。