最初の標的、宮本は派手好きで、
女好きだった。
その夜も、
彼は西麻布の会員制ラウンジで、
取り巻きを侍らせて高級シャンパンを
浴びるように飲んでいた。
その中に、ひときわ目を引く女がいた。
白石麻衣だ。
彼女は、宮本が懇意にしている店の
新人ホステスとして、
数日前から潜入していた。
その夜、
宮本がトイレに立つため席を外した一瞬を、
麻衣は見逃さない。
混雑するフロアですれ違いざま
彼女の体がふわりと宮本に寄りかかる。
「あら、ごめんなさい」
甘い声と香水の匂いに、
宮本は一瞬、表情を緩めた。
麻衣が彼を支えるように、
その逞しい腕にそっと手を添える。
彼女の指に嵌められた、
大ぶりのカクテルリングに埋め込まれた石が、
鈍い光を放った。
宮本には、その石の裏側から、
チクリと蚊に刺されたような微かな痛みが
走ったことすら、気付かなかった。
「いえいえ、お姉さんこそ大丈夫?」
下卑た笑みを浮かべる宮本に、
麻衣は妖艶に微笑んでみせると、
人混みの中へと消えていった。
宮本がVIPルームのソファに深く沈み、
次のボトルを要求しようとした時、
異変は起きた。
指先が痺れ、視界が急速にぼやけていく。
声を上げようにも喉が痙攣し、
ただ喘ぐような音しか出ない。
強力な神経毒が、
彼の体を内側から支配していく。
やがて、シャンパングラスが
床に落ちて砕ける音と共に、
宮本の体はソファから崩れ落ちた。
周囲は急性アルコール中毒か、
薬物の過剰摂取だと騒ぎ立てる。
その喧騒を背に、
麻衣は静かに店の裏口から夜の闇へと消えた。
彼女の指輪は、
ただの美しいアクセサリーに戻っていた。
幹部の一人、楠井は用心深く、
そして何より暴力的だった。
彼のねぐらは、歌舞伎町の雑居ビルにある
違法カジノの奥の部屋。
だが、その夜は違った。
金の回収を終え、
一人で立体駐車場に停めた愛車に向かっていた。
雨がアスファルトを叩く音だけが響く
薄暗い駐車場。
楠井が車のキーを開けた瞬間、
背後の柱の影から、人影が音もなく現れた。
平手友梨奈だった。
楠井は歴戦のワルだ。
殺気を感じて即座に振り返り、
懐のナイフに手をかけた。
だが、それよりも早く、友梨奈の体が宙を舞う。
彼女は壁を蹴って距離を詰めると、
ジャケットのホルダーから引き抜いた
サバイバルナイフを逆手に構え、
楠井の腕を切り裂いた。
「ぐっ…!」
悲鳴を上げる間もない。
友梨奈は一切の躊躇なく、
楠井の体にナイフを突き立てる。
それは「殺し」というよりも、
獲物を仕留める獣の動きに近かった。
抵抗しようとする楠井の喉元に、
最後の一撃が深々と突き刺さる。
友梨奈は返り血を浴びたナイフを
楠井の服で無造作に拭うと、
ホルダーに収めた。
その瞳には何の感情も浮かんでいない。
ただ、やるべきことをやっただけ。
彼女は再び影に溶け込み、雨音だけが、
そこに横たわる亡骸を濡らしていた。
組織の金庫番である田辺は、
都心のタワーマンションに住んでいた。
何重ものセキュリティに守られ、
自分は安全だと信じきっていた。
深夜、自室の書斎で
帳簿の整理をしていた田辺は、
ふと背後に人の気配を感じて振り返った。
そこには、いつからいたのか、
黒いコートを着た女、
松井玲奈が立っていた。
「誰だ、お前は…どうやってここに…」
驚愕に目を見開く田辺に対し、
玲奈は何も答えない。
ただ、静かに一歩、
また一歩と距離を詰めていく。
その冷たい瞳に、田辺は死の予感を覚えた。
「ま、待て!金か!?
金ならいくらでも…!」
命乞いも虚しく、
玲奈は田辺の目の前で立ち止まる。
そして、彼女の左腕が僅かに動いた。
コートの袖口から、まるで蛇のように、
鋭く研がれたアイスピックが滑り落ち、
その手に収まる。
玲奈は田辺の顎を掴んで固定すると、
抵抗する間も与えず、
アイスピックを寸分の狂いもなく
首筋の延髄へと突き立てた。
声も、苦悶の表情もなかった。
田辺は操り人形の糸が切れたように、
その場で崩れ落ちる。
玲奈は死体には目もくれず、
部屋の隅にある観葉植物の葉についた埃を
指で払い、静かに部屋を後にした。
彼女にとって、それは日常の延長にある、
一つの作業に過ぎなかった。
そして、最後の夜。
リーダーである久住の潜伏先、
古びた倉庫を改造したアジトに、
一人の男が足を引きずりながら現れた。
北村匠だ。
「…久住さんに、お話が…」
匠は杖をつき、
見るからに弱々しい情報屋を演じていた。
あやめから得た情報、
そして麻衣が裏から手を回した情報で、
彼は久住への謁見を取り付けたのだ。
アジトの奥、鉄製の椅子にふんぞり返る久住は、
値踏みするように匠を見る。
「…で、何の用だ?
手土産は持ってんだろうな」
「はい…対立組織の情報を…」
匠は震える手で書類を差し出すフリをして、
ゆっくりと久住に近づいた。
一歩、また一歩。
杖に仕込まれた銃は威力が弱く、
至近距離で、急所を正確に
撃ち抜かねばならない。
「…ちけぇよ」
久住が眉をひそめ、
匠を突き飛ばそうと手を伸ばした、
その瞬間だった。
匠は杖の柄を強く握りしめた。
カチリ、と微かな金属音が響く。
彼は全ての憎しみを、
友の無念を、その一点に込めた。
「隼人の…友達だ」
ドン、という鈍い破裂音。
至近距離から放たれた弾丸は、
久住の心臓を正確に貫いた。
驚愕の表情で、久住は自らの胸を見つめ、
そして前のめりに倒れこんだ。
部下たちが騒ぎ出す前に、匠は踵を返し、
元来た道を戻る。
もう足を引きずってはいない。
確かな足取りでアジトを
後にする彼の背後で、
東京の闇がまた一つ、静かに口を閉じた。
杖を握る匠の手は、震えていた。
それは恐怖ではない。
果たされた復讐の重さと
友の涙を思った、人間らしい震えだった。