前橋が歴史に裏打ちされた文化的な薫りに包まれた都市であると私は思う。縄文・弥生の時代~古墳時代~律令の時代から始まる、前橋の歴史はこの大地の下に眠っている。

 

私の知っている、また私のスクラップに保存している資料から前橋の歴史の一部の一部を紹介します。

 

 

上細井の上武国道の北側、広大な農地改良の工事中に発見された住居跡

 

大室公園の古墳群

 

 

元総社の区画整理事業の工事現場で発見された建物跡。

元総社や総社には古墳と国府と放光寺が眠っている。

 

今、元総社は二つの区画整理事業で大きく変化している。

関越自動車道の東に拡がる道路や住宅市外地が整えられてきました。この区画整理事業には危険な交差点で有名な下部の17号ヤマダ電機交差点の改良が含まれている。

 

たくさんの遺跡が見つかるだろう。そして歩いて見れば

こんな歴史遺跡の案内地図を発見した。

 

 

総社神社に掲示されている蒼海城の城郭地図

 

 

今。元総社から榛名の麓を安中や富岡へ向かう道路が工事中です。いろいろな発見が続くでしょう。

 

 

多くの防人の歌が万葉集に残されている。あの時代、防人はふるさとの赤城や榛名の家族のもとに戻れたのだろうか。

 

日の暮れに 碓氷の山を 越ゆる日は 

        背なのが袖も さやに振らしつ

 

鎌倉時代には法然上人との交流で有名な大胡氏、その眷属である牛込氏は新宿牛込の開祖とも言われる、神楽坂の上に赤城神社があるのもこの故からも知れない。

 

三夜沢の赤城神社は空気が違う

 

戦国時代は上杉謙信の関東管領支配の拠点でる厩橋 長野氏、上泉伊勢守、滝川一益

 

江戸時代では酒井、秋元、牧野、松平の4大名家

酒井の菩提寺である龍海院に残る酒井家の歴代藩主の墓は

よく保存されています。

 

 

秋元公が開削した天狗岩用水が世界灌漑遺産に登録

 

下村善太郎と生糸商による経済的中枢となった前橋

臨江閣も下村善太郎市長さんからの贈り物

建物をふさぐ大木を伐って、歴史文化財らしく大改修

 

でもすべての財産を前橋市の為に使い果たして下村家は大変。でもお孫さんは弁護士の下村善之助氏、糖尿病の権威である下村洋之助医師、お金がなくても血脈の名声は続くものです。

 

下村善太郎の残した家は慎ましいく長昌寺の隣の利根川の左岸にたっています。お宅訪問。これは当時の算盤かも。

 

 

 

戦争とその復興も前橋市の忘れてはならない記憶です。

今前橋市は戦争や空襲の歴史を繋ぐ展示施設を検討中。

 

大手門が発見され、昔の前橋駅を描いた絵画が修復されヤルベキことがたくさんです。でも少しづつ前進しています。

 

ざっと私の記憶だけでも、連綿とこの土地は関東の一隅で際立った存在感を持っていた。それをこれからえ目に見えるモノにしていく挑戦が始まる。

 

それが前橋市が国土交通省へ登録をすすめる「歴史まちづくり法認定都市」への挑戦だ。

 

【歴史まちづくり法とは==城や神社、仏閣などの歴史上価値の高い建造物が、またその周辺には町家や武家屋敷などの歴史的な建造物が残されており、そこで工芸品の製造・販売や祭礼行事など、歴史と伝統を反映した人々の生活が営まれることにより、それぞれ地域固有の風情、情緒、たたずまいを醸し出しています。「歴史まちづくり法」は、このような良好な環境(歴史的風致)を維持・向上させ後世に継承するために制定されました。】

 

https://www.mlit.go.jp/toshi/rekimachi/toshi_history_tk_000010.html

群馬県では甘楽町と桐生市が認定されている

 

新たな価値とは眠ている価値を磨く事でもある。