トーシャ・シルバー著
「私を変えてください」より
トーシャの元に時々こんなお便りが届く。
「私はカトリック系の学校に通っていたので、
”正しくない”お祈りをすると恐怖を覚えます。私は過ちを犯したくありません」
聞いてほしい。
神を愛として全面的に人生に招き入れるなら、そんな心配はいらない。神はただ、勘定に入れてもらいたいだけなのだ!
いかようにでも祈れば、やがて神はあなたの最も身近な恋人になり、あなた自身の直観を通して、絶えず語りかけてくる存在になる。重要なのは、絶えず招くこと、そして覚えていることだ。
心をひらいてすべてを捧げれば、誤った方向に行くことはない。
受けとるべくしてばからしいほど全開になること。
これはあなたの準備具合によって、たった一分で理解できるかもしれないし、四十日かかるかもしれない。あるいはすぐかも。
神はひたすらあなたが全開になること、それだけを待っているのかも?
愛しいあなた、私を変えてください。
どう与えるかは宇宙にいかようにもまかせる者に。
あなたが自分の完全源と知り、私はうけとるべく全開でいられますように。
この「祈り」は あれが欲しい こうなって欲しい、などの”お願い”の祈りではない。
ついつい神さまは”願いを叶えてくれるもの”だと思ってしまいがちだ。
エゴが”お願い叶えて”という顕在意識の自分で、
”潜在意識=神さま” なんじゃないのか?と思えてきた。
全開になるということは、エゴを手放して、潜在意識にすべて委ねることなのかもしれない。