この作品は不思議な部分がたくさんあります。
まず、コミックをなぜ弐瓶勉が描いていないのかというところです。
そして、弐瓶勉作品なのにダークな感じが一切感じられず、令和の『ナウシカ』とか一部で言われてました。
表現にしても、他の弐瓶勉作品みたいに、剣で切られた首が飛んだりとか、腕が切断されたり、投射器にやられて、体に穴が空いたり、首が変な方向に曲がったりしません。
剣で貫かれた敵や、投射器に吹き飛ばされた味方は、雪海に沈んでゆきます。
半端なやられかたで酷い状態で助かり、治療されるシーンはありません。
敵を「殺した」とか味方が「殺された」ではなく、「やっつけた」とか「やられた」という感じです。
最後も、提督は〈建設者〉を遠隔操作していて、カイナは殺していません。
大人の争いは大人が始末を付けてます。
あと、バルギアにやられた国の人は殺されるか奴隷にされるとのことでしたが、バルギアの要塞の中の人達は、奴隷というほどの扱いは受けていませんでした。
あと、リリハが捕まったとき、明確な性的嫌がらせもありませんでした。
ああいう状況では必ずと言って良いほど描かれるものですが。
キャラクターも全く裏がないんですよね。
良い人だと思ったら裏切られたとか、悪いやつだと思ってたら良い人だったとか。
そういうのがありません。
そして、リリハを中心として、主要人物は目先の事態に対して、解りやすい道徳的対応をします。
前回書いた、旗を燃やしても人を救出するみたいなところですね。
アメロテ様も、去っていく親衛隊長を後ろから斬ったりせず、言うこと聴いちゃうし。
これらの結果どういう作品になってるでしょうか。
まとめると、ストーリーの意味がだいたい解れば、小学生が見てもよい感じになってます。
それが、弐瓶勉の独特の世界観の中で描かれてます。
そこに、ファンサービスとして〈建設者〉と〈重力子放射線射出装置〉が入ってきてます。
ただの敵の超兵器と〈樹皮削り〉が実はすごかったってだけで、要素としては十分ですからね。
弐瓶勉がコミックを描いていないのは、自分で描くと、楽しくなってきて、いろいろダークな描写を入れたり、予定していなかったダークな展開にしてしまったりするからです。たぶん。
「ジブリ」と表現されたときに、
「違う、遠未来のSFだ」
って言いたくなりましたが、ジブリのような世界観で、小中学生への弐瓶勉、またSFというものへの入口になり得る作品になっているのです。
お話が全然展開しないと感じてましたが、弐瓶勉作品らしいダークで難解な展開に向かってゆくのを、いまかいまかと待ち望んでいたからですね。
『エルマーのぼうけん』みたいな低年齢向けの冒険のお話だと考えると、世界観も作画も素晴らしいです。
そしてストーリーも王道から若干斜め上ぐらいで、良い感じです。
最後の戦争だけだと、
アメロテ様→ドキンちゃん
親衛隊長→しょくぱんまん
提督→ばいきんまん
建設者→だだんだん
重力子放射線射出装置→アンパンチ
ですかね。シンプルな構図です。
ちょっと違うかな。いらないこと書きました。
最後にちょっと考察も書こうと思ったのですが、長くなりそうなので今度にします。