『赤ずきん』調べてみました。 | ボクとその周辺

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あと、日常のこととか、気が向いたら心理学関連も書くかもです。

友人が帝王切開での出産を控えており、医者に
「危険は無いのですか。」
と訪ねると、
「猟師がオオカミのお腹を切って『赤ずきん』を出すよりは難しいけど、同じぐらいすぐ出てくるよ。15分ぐらいかな。」
と軽ーい感じで言われたとか。

で、「どんなお話だっけ」と調べてみると、奥が深かったですね。



日本でよく知られてるのは〈グリム版〉です。


お婆さんの家に向かった赤ずきんは、途中でオオカミと遭遇、真っ直ぐ向かわずに道草を食って行くように言われます。

そして赤ずきんは両親の言いつけを無視して、回り道をしてお婆さんの家に辿り着くわけですが、既にお婆さんはオオカミに食べられています。

家に入ると、お婆さん(実はオオカミ)はベッドの中におり、赤ずきんは誘われるままに、ベッドに入ります。

で、有名な問答がいくつか繰り返されて、
「お婆さんの口は、何故そんなに大きいの?」
「それはお前を食べるためさ!」
と、食べられてしまいます。

しかし、通りかかった猟師がハサミでオオカミの腹を割き、お婆さんと赤ずきんは九死に一生を得ます。

オオカミは気絶してるあいだに、腹に石を詰められて、喉が渇いて井戸を覗き込み、腹の石のせいでバランスを崩し、水没。めでたしめでたし。

そして赤ずきんは悔い改めて、両親の言いつけを守るようになった、という教訓が入ってます。


それ以前にヨーロッパのサロンとかで語られた〈ペロー版〉があったようです。

そのお話では、ベッドに入るまえに赤ずきんはオオカミに言われるがままに裸になります。また、お婆さんと赤ずきんは食べられて終わりです。助かりません。

オオカミみたいなのには気をつけましょう。という教訓はありますが、何か救われません。



しかし、このお話はペローという人が作ったわけではなく、それ以前から民間伝承として存在してたらしいです。

そしてそのお話では、主人公は単に女の子となっていて、赤いずきんとか帽子とか被ってません。
ペローがその辺を付け足したようです。


女の子はお婆さんにパンとミルクを届けに出かけます。

途中でオオカミに遭遇し、「縫い針の道」と「まち針(留め針)の道」のどちらに行くか聴かれます。
どちらを通ったかは判りませんが、それを聴き出したオオカミは、お婆さん家に先回りします。

女の子がお婆さんの家に入ると、お婆さんはベッドの中にいます。

お婆さんは、女の子に戸棚のワインと肉を勧め、言われるがままに女の子はワインを飲み、肉を食べます。


もちろんベッドの中のお婆さんの正体はオオカミなのですが、このバージョンではオオカミは、お婆さんを食べていません。

つまり…そういうことです。

民間伝承では、お婆さんを食べたのは、主人公の女の子です。


女の子が食事を済ませると、お婆さんは一枚ずつ服を脱ぐように言います。

そして女の子が裸になると、ベッドに入るように言い、ベッドの中で、やはりあの問答が行われますが、口が大きいのは女の子を食べるためだ、と言った後も、オオカミはまだ正体がバレていないと思っています。

そこで、正体に気付いた女の子はトイレに行くふりをして、裸のまま家から逃げ出します。


だいぶ濃いですね。



ところで、フロイト派が精神分析して、赤は月経の血だとかなんとか言って、民間伝承では赤い帽子はなかったのだから、変態的な思い込みだったのが暴露されたとか言われたそうですね。


しかし、フロイト派が何でも性的に捉えることには相容れませんが、馬鹿にした人も間違ってるます。

より古いものが正しいというわけではなく、新しいものでも、人の心に響いて、支持されているなら意味があります。


心理分析するなら、まず女の子を、男性から見た理想の女性像〈アニマ〉とするか、女性から見た〈自我〉とするかですが、後者が自然ですね。

お婆さんの家は森の奥にありますが、そういう深い森、深い水とかは無意識の象徴です。

オオカミとは、動物的な部分とも捉えられますが、錬金術ではアンチモン、ゴミくずのようなものに隠された、あの赤い石と道義です。

また、入れ違いに登場するモノは、同じモノであって、別の面を表します。

お婆さんとオオカミは表裏一体です。
〈太母〉というより、女性から見てますし、心の中心〈自己〉と道義である〈老賢者〉の女性版ですね。

そして、キリストの血と肉を、ワインとパンとして取り込んだ神父は、儀礼のあいだはキリストの代わりができます。

血と肉を取り込んだ女の子は、神の表の部分を取り込みました。

そして、神の裏の面〈トリックスター〉であるオオカミの誘いで、人間としての顔〈ペルソナ〉を脱ぎ捨てて、さらに神に近づきます。

危うく〈トリックスター〉に取り込まれるところでしたが、なんとか脱出して逃げおおせます。

しかし、一度神に近づいたものは、人間の世界に戻っても変容したままです。

既に周囲の状況や人間たちに振り回されることはありません。
既に彼女の〈ペルソナ〉は取り除かれたのです。

それはオオカミが陥れようとした結果でもあります。
女の子がここまで到達するにはオオカミに捕まることは必要でした。

『ファウスト』の「悪を求めて善を成す、あの力(神)の一部」メフィストフェレスと同じ役目です。

しかし、そのままオオカミに食べられることは、〈自我〉が無意識の中に飲まれてしまうということです。
彼女はすんでのところで、人間の世界に踏みとどまりました。

イメージ的には『ガンダムUC』のラストです。


やはり昔話は神話に近いものがありますね。
今回はこれにて終了です。