ナンバープレート折り曲げ事件の心理分析 | ボクとその周辺

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あと、日常のこととか、気が向いたら心理学関連も書くかもです。

長野県中野市で、車のナンバープレートが折り曲げられる事件がありました。

あの事件、まだ犯人見つかってないんですかねー。

でも、かなり珍しいことやってます。
傷を付けるとか、ガラスを割るとかじゃありません。
あと、ミラーとかワイパーとか壊してます。

何ででしょうね。
少し興味がわきました。



まず、彼にとってこの行為と、それを行ったときが、どういう意味を持つのか考える必要があります。


これが行われたのは、10日の夜から11日の朝にかけてです。
10日まで3連休で、11日から学校か会社です。

学校や会社などの組織は母の象徴ということはありますが、一旦保留にします。

あと、単に不自由、拘束される日々の始まりですね。
もしそう感じているなら、そういう印象は、学生より社会人の方が大きいでしょう。

11日に休んでる可能性も高いと思います。


そこは見慣れた場所です。

そこには、次の位置に、自由に向かって進む人達が沢山います。

しかし、自分はそうではありません。
彼は不自由から抜け出せません。
このままでは、ひとりだけ取り残されてしまいます。

彼は他の人達をここに留める必要があります。
だから、彼らが走り出すことができないように、いわばパスポートを破壊する必要があったのです。


うーん、そんな感じかな。

車とか乗り物は、次に向かうもの、つまり精神的な成長などを意味します。

そして、ナンバーやミラー、ワイパーに共通するのは、それが無いと公道を走ることが許されないことです。

正しければ、車を持ってる人だと思いますね。
車を持ってない学生とかなら、車をひとつのものとして捉えて、部分を考えないと思うので。

被害は28台ですが、2×2×7 …あんまり関係ないかな。



明日から行かねばならない会社を母親と捉えるなら、

〈母親〉のようなもの、包み込むものに捉えられて、自由が失われて、〈自我〉は力を失い、他の〈コンプレクス〉(心の中の要素)が力を得ていることに気付き、反発すべきである。

といった感じですね。


実際に母親なのか、同じような暖かく見守っている何かなのか、それによって怠けちゃってる、20才前後、いや年齢はわからないかな。
まあ、車をもてる年齢で、仕事は持ってる感じです。

とりあえず、精神的成長をできないでいる可能性が高いです。

母親じゃなくて、会社や組織に振り回される現実に捉えられて、成長を阻害されてるのかも知れませんね。
社会への順応と、人としての成長は、逆とは言わずとも少なくとも一致してません。ちょっとぶっこんどくと、偉い人が必ずしも人として自分より上という訳ではありません。

あ、忘れてましたけど、今回被害にあった車が、高価で持てないと感じる人でしょうね。

わかるのはそのぐらいでしょうか。