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Apollo-12

広告とか、コミュニケーションとか。
社会貢献とか、社会起業とか。
まちづくりとか、コミュニティデザインとか。
そうしたものたちの、少し先とか横の話。

$Hello, my dear.


さて、前編では

社会貢献ブームやら、社会起業家やら
ファクトの紹介ばかりにとどまりまってしまいましたが...

ようやく本題の
「なぜ若者は社会貢献をしたがるのか」ということについて

そしてその前段の
「なぜ若者は社会起業家に憧れるのか」ということについて


僕なりの考えを述べていきたいと思います。



"あの雑誌"と社会起業家との関連性

$Hello, my dear.


僕はこの社会起業家、ある意味"あの雑誌"にとても関連性があると思っています。


"あの雑誌"とかいってますが、タイトルにもある通り...



そう、週刊少年ジャンプです。

$Hello, my dear.


知らない人はいませんよね。

僕は本当にもうシャンプっ子で、中二からほぼ毎週欠かさず買って読んでますが(笑)...


とにかくそんなんだから、売上げは他誌とは歴然の差。

$Hello, my dear.


イマドキの男の子で、ジャンプもしくは掲載作品のいずれかを読んだことがない!
なんて子、いますか?

ワンピース、ブリーチ、ナルト...
これらの作品に出会わずして生きる方が逆に難しい気さえします。笑


男の子なら例外なく、これらの作品に心奪われ没頭する。
こんな壮大な物語の中で、かっこよく活躍できたらなぁ...と思うわけです。


そしてそこに、ヒントがあるのではないでしょうか。



ワンピースなら、ルフィ。
ブリーチなら、一護。
そしてナルトなら、当然ナルト。

これら3人の主人公に、そしてこれら3作品に共通していえることはなんでしょうか?




だいたいの誤差はあるにせよ、

「圧倒的不利(もしくは上には上がいる)な状況から、努力と友情を積み重ねて逆境に打ち勝つヒーローの物語」

ということができるのではないでしょうか。


そしてこれは、

社会起業家をみるときに抱く感覚と類似しているともいえるのではないでしょうか。



さらに興味深いのが

人を励ますことのできる物語を大別した研究によると、
世の中の優れた人を励ます物語とは

「挑戦、絆、創造性」
のいずれかに分類されるそうです。

挑戦とは、主人公が圧倒的な障害に直面しながらもそれに打ち克つ物語。
観る人は勇気づけられ、自分も同じように頑張ろうと奮起します。

絆とは、人種、宗教、階級、民族、人口統計上の違いを乗り越えて人々が関係を育む物語。
観る人は寛容になり、他人を助け、人を愛したくなります。

そして創造性とは、革新的な方法で問題に取り組む物語。
観る人はいつもと違ったやり方を模索し、創造性を発揮し、新しい方法を実践したくなります。



そして週刊少年ジャンプが掲げる三大原則に
「努力、友情、勝利」
というものがある。

これは、先程の
「挑戦、絆、創造性」
に非常に良く似たカテゴリーです。


だとしたら、
週刊少年ジャンプは必然的に優れた物語の条件を満たすことになるのかもしれません。

だとしたら、
優れた物語を持つジャンプと相関性の高い社会起業家の物語も、優れたものだといえそうです。
(優れた物語であることの証明に、ジャンプをわざわざ介在させる必要はないかもしれませんが。笑)



絶望的ともいえる困難な状況で、アイデアと実行力を積み重ねて問題に打ち克つ彼らの姿は
同じ世界にいるはずなのにどこか壮大な物語を生きている気がするし、どこかジャンプの主人公たちに重なる気がします。

若い人たちの間でジャンプが人気であることと、社会起業家への熱視線。
それらが全く関係のないものだとは、僕は思いません。


こうした非現実的なヒーローの物語が、青年たちを魅了している。



裏を返せば、

自分が主人公になれる物語を渇望している

といえるのではないでしょうか?



壮大な物語を活き活きと生きる彼らに少しでも自己投影し
そんな物語を自分も歩みたいと
まるで椅子に座って雑誌を読むときのようにふんぞり返りながら
楽してヒーローたちのように活躍したいと非現実的な憧れを抱いているのではないでしょうか?



なぜ、物語を渇望するのか?

$Hello, my dear.


最近、特に広告界隈ではこの"物語"における論考が炸裂してますよね。笑


僕はこの"物語"というものを定義づけることにあまり意味を感じていませんが...

(受け手の数だけ物語の捉え方は多様化してしまうので
たとえそのすべてを網羅する抽象的な概念レベルで定義づけることができても
その汎用性の高さがかえって具体性を欠き、「だからなんなの?」となってしまうような気がして。)

ですが、

コンシューマーサイド(受け手)の立場で"物語"へ関与するために必要なエッセンスを挙げてみるならば

「設定を信じること」
「自己投影すること」
「ルールに従うこと」

などでしょうか。


たとえばワンピースであれば

大航海時代、悪魔の実の能力者たちが海賊王になろうとするなか(設定)
自分はルフィ率いる麦わらの一味とともに、もしくは新たな登場人物やパトロンとして(自己投影)
敵をなぎ倒しながらヒーローとして活躍する(ルールに従い行動する)

その一連の物語を、読み手は当事者として生きている、気がします。


ここで重要なのは、物語の定義そのものではなく

「受け手は、物語の登場人物として活躍することで自己充足(存在意義の再確認)をしている」

であろうことに注意してください。



なぜ、物語を渇望するのか?

僕は、この"自己充足=存在意義の再確認"こそが最も大きな要因なのではないかと考えています。


つまり。

若者は存在意義を見失っているのではないでしょうか。
だからこそ、存在意義抜群のジャンプの物語に引力を感じるのではないでしょうか。


だとしたら。

なぜ若者は存在意義を見失いがちなのか?


その背景には
蔓延する「引き算思考」があるように思います。



引き算で考える世の中

$Hello, my dear.


さて、ここでようやく「算数」の話題にも入っていきます。

僕が算数(いわゆる足し算、引き算)の概念を用いるのは、
今の世の中の考え方に当てはまるのではないかと思うからです。



ちょっと、考えてみて下さい。

あなたは今、電化製品売り場に来ています。
目の前には多種多様、色とりどりの炊飯器。

さて、どれを買えばあなたにとって一番の「足し算」になると思いますか?


あまりにも恣意的すぎる質問ではありますが(苦笑)、

少なくとも僕にとっては、正直、本当にどれでもいい。
機能面ではおそらく差がほとんどないだろうから、やはり価格が安いものがいい。
費用対効果が最も良さそうなものを選びたいな。

たとえ電化製品でなくても、同じように考える人は多いのではないでしょうか?


よっぽど
友人の口コミを信頼していたり
芸能人など(家電芸人とか)が好きだったり
広告に感銘を受けたり
していなければ

機能面に差がない以上は価格やサイズ、デザインの勝負になってくる。

その中でもやはり一番大きい選択要素は価格でしょう。
一番安い(費用対効果の高い)ものを選ぶ。

それすなわち、引き算思考。



今の世の中において、

例えばiPhone4Sのような明確な足し算は、あまり存在していないように思います。


変わりに
自分の引き算を防いだり、
他人を引き算したり、

引き算で物事を考えて、相対的優位を保とうとする思考回路がはびこっているように思います。


書店に行くと
「後悔しないための~」
「周りに差をつける!」
といったタイトルの本がズラリと並んでいるのは、その典型的な象徴ともいえるのではないでしょうか。
(愚痴やいじめもその表れでしょうか。)

ちなみに
「~できるようになるための◯◯の方法」
といった書籍も売れていますが、これは自己への明確な足し算を示している。
確実に自分のメリットになるものは数少ないので、こうした文句に弱いのだと思います。



昔は、足し算の世の中だったと思います。

特に高度経済成長期では、働けばその分きちんと物質的な豊かさを手にできた。
各個人は歯車のように働く時代だったかもしれませんが、それでも豊かさが自分に返ってきた。
個人の小さな物語というよりは、経済成長という大きな物語の中で生きていた時代だと思います。

しかし、90年になってバブルがはじけると一転、
足し算から引き算の世の中に変わったのではないでしょうか。

ドラマのない個々の小さな物語を生きるようになって、反省のような生活をするようになった。
容易には物質的な豊かさといった足し算を感じることができなくなってしまった。


僕はその時代の移り変わりを生きていないので、あくまで憶測で話すことしかできませんが...

いわゆる、失われた10年。
そんな時代を経験したのが僕らの親で、そんな時代に生まれたのが僕らです。

そんな時代を経験した僕らの親は、
子どもには同じ思いをさせまいと、少しでも良い教育水準を目指すようになったのではないでしょうか。
周りの子と比較しながら、減点方式で子どもの人生の持ち点を計算するようになったのではないでしょうか。

そんな時代に生まれた僕らは、
一生懸命働いたところで物質的な豊かさは変わらなそうだと気づいていて、
身の周りの大人は平坦な毎日を繰り返しているようにみえていて、
世の中は割とすでに便利なもので溢れていると勘づいていて、
なのに頑張れと急かされながら周りの子たちと常に比較されていて、
だけど学校の勉強やスポーツで一番になれるのは1人しかいなくって、
クラスの残り39人は一番になれない経験を積み重ねていって、


自分の人生なのに、なかなか主人公になれない毎日。
頑張って生きた先に待ち受けるのは、どこに何を足しているのかも見えにくい物語。
全然ワクワクしない。
自分の存在価値ってなんなの?



そんな背景があって
「引き算思考」は今にいたるまで蔓延しているように感じます。

そんな背景があるから
存在意義が溢れている物語への渇望が生まれているのではないでしょうか。


あくまで仮定の話にすぎませんが、少なくとも自分の経験に照らし合わせて考えると
あながち全部が間違いではないかなとは思います。
(全てが正しいだなんて微塵も思いませんが。)


広告のコピーに

『ほかの子じゃなくて、昨日のボクと比べてよ、お母さん。 』
(人権週間/愛知県/2009/森俊博)

というものがあります。
自分にはとても胸を打つものがありました。


※---
ちなみにこれは完全な余談だと思いますが、失われた10年が終わるのは2002年頃、
そして移り変わりの2003年に『世界にひとつだけの花』が大ヒットしました。
「ナンバーワンになれなくてもいい、もともと特別なオンリーワン」という歌詞が
熱狂的に大共感の渦を巻き起こしたのは、まさに当時のこうした時代背景の中で
「ナンバーワン以外の新たな存在価値をみつけたい!」という
くすぶっていたインサイトを見事に明文化したからだと思います。
次第にエスカレートしていき、我がままな子どもや親が増えた気もしますが...苦笑
---



なぜ、社会貢献という物語が選ばれるのか?

$Hello, my dear.


さて、そろそろ終盤にさしかかってきました。

ここまで
社会起業家や週刊少年ジャンプの人気とその関連性を探り、
共通項として「物語を求めているのではないか」という仮説を立て、
それに関する一考察を述べてきました。


最後に。
なぜ物語の中でも社会貢献が選ばれるのか、ということについて考えていきたいと思います。


その理由を端的にいうと

存在価値の再確認のしやすさ
マイナス領域における足し算の魅力

の2つが重要だと僕は思っています。



ひとつめ。
存在価値の再確認のしやすさ。

社会貢献とは、その名の通り社会に貢献する行為だと思いますが、
特に社会問題と呼ばれる状況下で、困っている人に手を差し伸べる活動、ともいえると思います。
なので、地域的にはより未発達な途上国支援などが真っ先に思い当たるのではないでしょうか。
(またはエコ、それと震災以降は東北支援が主流でしょうか。)

例えば途上国支援を行う場合、
寄付をしたり本や食糧などを贈る、個人レベルでの支援。
起業支援や現地ビジネスなどを行う、団体レベルでの支援。
軍事介入やアドボカシーといった、国レベルでの支援。

この区分が適切ではないことは承知の上であくまでひとつの指標として記載しましたが、

団体レベル以上のことをしようとすると極端に成功率が下がるものの、
個人レベルの寄付や物資支援は、お金と行動力さえあれば比較的容易にできることでもあります。

そして、こうした簡単な支援でも、現地の人たちにとっては非常に有り難いもの。

誰でも簡単にできて、感謝されることはある意味わかりきっている。
(と、途上国の子どもたちをみて直観的には感じる)


感謝されること。
これは、自分の存在価値を感じる最も効果的な方法ではないでしょうか。

※---
ちなみになぜ感謝されると存在意義を感じるのか、という事までは述べる必要ないと思いますが...

昔、「感謝は疑似遺伝的行為だから嬉しいのではないか」という仮説を立てた。
生物学的な観点からいえば人間の三大欲求に性欲があって、これは遺伝によって満たされる、
つまり「自分のコピーを増やす」ことが快楽へとつながっていると仮定できます。
しかし、どんな人とも関係を持つような世の中では種の保存が可能な秩序を保てないから
欲望の捌け口としてアートや表現が生まれた。
よく作品のことを「息子のようにかわいがる」なんていうのは、その表れではないでしょうか。
そして、そうした作品がみる人を魅了することは、大きな快楽につながっている。

こうして考えていくと、「感謝される」ということは、ある意味疑似遺伝的な行為だと思う。
相手に自分の感性や思考を伝達することで相手を感化(浸食)することは、
少しでも自分と似た人間を増やす行為で、つまり「自分のコピーを増やす」ことにつながっている。
その成功のリアクションこそが「ありがとう」や「感動した」であり、
その言葉と相手の顔を見ることで、感謝される側は満たされる...

と、本論と全く関係のなく根拠も何もない、一個人の勝手な考えです。笑
---


すいません、余計な話題を挟みましたが...

若い人たちは存在意義を見失いがちだとして、
感謝されることはそんな自分たちを満たしてくれる方法だとして、
気軽な社会貢献であれば割かし容易に他人から感謝してもらえるとなれば、

「社会貢献」は、結構魅力的にうつるのではないでしょうか。


そしてだからこそ、浅い考えで社会貢献しよう、という人は多い気がする。
そういう人たちの社会貢献は、ある種「娯楽消費」に近い。
自己充足できる物語をみつけて支援した気になって、終わりというパターン。

学生がなんか企画してやってみて、その後のケアをしないということはよくある気がする。
自分を棚にあげるつもりはなく、僕自身そうだったと思う。
熱意が継続しなくて、やったきりになってしまう。もしくはもっと面白いことをやりたくなる。
中途半端に問題に関与することが一番良くない。

そして熱意が継続しないのは、やはり「この人を!」というWhoが不在で
「何かやりたい!」「こういう自分になりたい!」というWhat/How発想だからだと思います。


そもそも世の中の企業はみんな社会貢献してるし、誰かを喜ばせることができなきゃ対価なんてもらえない。

松下幸之助も"企業は社会の公器だ"といっていたと思いますが、そうしたことに関して他の人はどう思っているのかまではわかりませんが...

一方、ウォルト・ディズニーは「与えることは最高の喜びなのだ。他人に喜びを運ぶ人は、それによって自分自身の喜びと満足をえる。」といっています。
彼がどんな文脈の中でこの言葉を発したのかがわからないため、解釈に齟齬が生まれているかもしれませんが、このことを自覚しながら社会貢献をやっているか否かって、僕は重要だと思う。


「彼らのためだから」という言葉を平気でつかう人をみると、なんだか胡散臭い。
「この問題、人をどうにかしたいんだ」という人をみると、応援したくなります。僕は。




そして、ふたつめ。
マイナス領域における足し算の魅力。


簡単なアクションで感謝され、存在意義を見出せる
という他に、社会貢献が選ばれるもうひとつの理由として

「社会貢献は世の中における明確な足し算だ」

という理由もあるかもしれません。


上述したように、若い人たちの感覚のひとつとして
「世の中は割と便利」で「足し算の余地があまりない」というものがあると思います。

そうした中、いわゆる"社会問題"と呼ばれる領域では、改善の余地がまだまだたくさんある。

つまり、ある意味「マイナス」の状態です。
そして先進国に住む僕らからすれば、ひょっとしたら僕たちでも貢献できるのではないかと思ってしまうような、マイナスの状態。

ましてや、社会起業家をはじめ特別ではない人たちが大きな足し算を達成するマイナスの世界。
かたや、スティーブジョブズのような超人でしか大きな足し算は達成できないプラスの世界。

大きなマイナスの数字に、大きな足し算をすること。
大きなプラスの数字に、小さな足し算をすること。


その"マイナスをゼロ、そしてプラスへ"や"足し算の幅"といったものが
関わるものに対して大きな存在価値を生むのではないでしょうか。



存在価値の再確認のしやすさ。
マイナス領域における足し算の魅力。

大きく分けてこの2つが、物語の中でも社会貢献を選択させる大きな要因になっていると
僕は考えています。






さて、様々なことを述べてきました。

「結局、だからなんなの?」

といった内容になりました。笑
(すいません、もともと発展的なテーマ設定ではないので...)



「なんで若者は社会貢献をしたがるのか」

という問いを立てていましたが、簡潔にいってしまえば

「存在意義を見失いがちな毎日の中で、自分の居場所を見出しやすいから」
(自らが主力キャラクターとして登場可能な物語に興奮するから)

と"僕は"考えています。



ただし、いくつか注意していただきたい点が...。

まずはじめに、これまで本当に偉そうに述べてきましたが、
「僕の考えは間違っている可能性しかない!」
ということです。笑

というか、正しいわけがない。正しくありたいわけでもない。
これまで考えたことを、折角なのでここにまとめてみよう、と思った程度にすぎません。

ちょうど去年ごろ、就活を前にして「なんで社会貢献したいんだろ...」と考えたのがきっかけで、
ここまで話を膨らませ(すぎ)て、これまで記載してきた内容はほぼ考えていたのですが...
ブログにまとめるのがいかんせん億劫なので、書いていませんでした。笑

書くことでなんとなくまとまったかな、という本当にただの自己満足。。
そのため駄文も多く、読みにくい内容となってしまったかもしれません。
気に障る表現や内容などがありましたら、本当に申し訳ありませんでした。

これからまだ知らないことをたくさん感じて知った気になって、考えをアップデートしていきたいと思います。



そしてふたつめが、
セグメンテーションの概念を理解してほしいということです。

「お前の思っていること、全然ちげーよ」
という前に、確認してほしいのは

"僕は若者を一様にとらえて論じてきたのではない"
ということです。

もっというと、
社会貢献がしたい!もしくはやってみた!(...でも、なんかうまくいかない。。)
というような層を想定してお話しています。


ちまたのギャル、ヤンキー。
スポーツに打ち込む女子男子。
勉強に励む紳士淑女。
ネットやアプリに興奮するデジタルネイティブ。
(新たな足し算領域なので吸引力高めな気がする)

それぞれが、それぞれの思考と行動で、それぞれの物語を生きている。
自分の居場所を見つけている(見つけようとしている)。


「若者」と一様にとらえるのではなく、細分化して考えることをセグメンテーションといいます。
僕と読み手の想定しているセグメントがそもそも違えば、「全然ちげーよ」となるのは必然です。

どんな人を想定して話しているのか、という点には留意していただけたらと思います。

(ご存知の方には本当に失礼な言い分かもしれませんが、一応念のため書かせていただきました。。)




終わりに。僕の場合。

$Hello, my dear.


完全におまけのパート。
そんな自分はどうなのよってことを、書いてみたいと思います。ものすごく怖いけど。
こういう話をするとき、語り手の信頼性は内容の説得力にむちゃくちゃ影響するので、一応。。

本文にちょいちょい挟んできましたが、僕はまだ社会も出たこともないひよっこ大学生です。
社会に貢献できたと自信を持って話せる経験があるわけでもありません。
むしろ、失敗ばかりのダメダメなやつです。

話者として、非常に説得力に欠けますね。笑




僕の親は、2度離婚しています。
今は姉と、片親が違う妹と、血縁関係はない父の4人で暮らしています。


自分の人生をコンテンツ化してしまうことには非常に抵抗があるので、
詳しく書くつもりは全くありませんが...

まぁ幼い頃から家や学校では割と辛いことだらけで、
メソメソ泣いてても解決しないので、何かしなきゃ何も変わらなくて。


今となっては平穏無事、ともなかなかいきませんが...
でもそうした経験があるから、

何かと感受性が高くなった。
思考力と行動力が割と身に付いた。
大切なものをきちんと大切にしたいと思うようになった。
何気ない当たり前に感謝し幸せを感じるようになった。

などと、勝手に思っています。笑
どれも今の自分にとっては欠かせない、大切なものばかり。
(失ったもの、できなくなったこともあるとは思いますが...笑)

だからこそ、自分の経験には感謝している。
姉と妹と父のことが大好きで、自分よりも大切な存在だと思う。母のことも。
そう思えることを、幸せなことだと思う。
(それを行動で示すのが非常にヘタクソなので、たびたび自己嫌悪に陥りますが。苦笑)


まぁ僕個人には、そういうバックグラウンドがあって。

そしてある日。
「3秒に1人、世界のどこかで子どもが死んでいる」ことを知った。(今は4秒に1人)
Save the Childrenという、NGOのネット広告でした。

それがむちゃくちゃ衝撃的で。
それをみてから、悩んでる自分なんなのとか、今の世界大丈夫なのかとか、ぐっちゃぐちゃに考えて。
(時間にしたら、一瞬だったと思うけど。)

「あぁ、俺はこのために生きるんだな」と思った。それが、高校一年のとき。
本稿に沿っていえば、運命的な物語と出会った瞬間が僕の場合はこれでした。


それから大学に入ってからは
カンボジアに行って現地の人たちをみたり
むしろ日本国内の問題に関心を持って取り組んだりして
自分には実力もリソースもないことを知った。笑

でも、自分と同じようにこうした問題をどうにかしたいと考えている人たちはたくさんいて、
ちょっとの違いなのにみんなバラバラだったり、他の人たちは極端に無関心だったり。

そこにコミュニケーションを創出することの可能性と意義をなんとなく感じ取って、
他人に共感して考えて行動することは割と向いている気がしたので、
この分野で力をつけたいと思って、トライ&エラーで勉強してみて。

で、今ここです。笑
最近は世界の貧困の他に、日本国内の自分の境遇に似た子どもの問題に寄り添いたいと思っています。
(もちろん修行しつつですが。)

僕のように、運良く前向きになれる子が決して多くないということは、わかっている。
そして何より、熱意と理解が持ちやすいし、また解決による汎用性も高い気がする。
(モデルケースとして日本各国、世界各国へ応用可能だということです。)


なので最近は、心のケアなどの臨床的なもの以外の観点として、都市のデザインに興味があります。
「できない」「やれない」「つまらない」の原因をすぐに意志の弱さに求めてしまいますが、
人間は環境要因によってかなり影響されやすいし、行動も変わりやすいといわれています。
人を気遣い、楽しめる街になれば、自分の街が大好きになる。
自分の街と人に愛着と誇りを持って生きられれば、きっと生活の質(QOL)や幸福度も向上する。
生活の質や幸福度が向上すれば、家庭の問題も少なくなると思うんです。
そして家庭の問題が少なくなれば、学校や社会の問題も、きっとずっと良くなる。

まだ勉強不足すぎるので、どなたか良い本や文献、セミナーなどご存知でしたらぜひ紹介して下さい。笑


まだまだまだまだ、

トライ&エラーが足りず、大切なものも大切にできてるのかも危うく、

色々と毎日悩む日々です。。




話せばきりがないし、字数的にもさすがにもうやめておきますが(笑)、
そんなこんなんで、僕も「社会貢献がしたい!」とか思っちゃってるクチです。
それをより広範化して、社会のひとつのトレンドとして考察してみました。



やはり、むちゃくちゃ長くなってしまいました。
もし最後まで読んで下さった方がいらっしゃいましたら、本当にありがとうございます。
自己満足の固まりのような内容でした。ごめんなさい。

何かひとつでも、新たな気づきがあれば幸いです。


Thank you ^^.

$Hello, my dear.

社会貢献。

そんな言葉がここ数年、溢れていますよね。

「うさんくさいなぁ」という人。
「俺は結構真面目に考えてる」という人。

反応は様々だとは思いますが、特に若い人の間では流行っている考え方(生き方)だと思っています。

というか、僕こそがそういうこと思っているど真ん中、というか。笑



今回のエントリーでは

「なんで若者は社会貢献をしたがるの?」
ということについて


社会起業家やら、
週刊少年ジャンプやら、
算数(+-×÷)やら、


一見なんの関連性もなさそうな事柄を絡めて

自分なりの考えをまとめてみたいなと思います。



多分、若い人の間では社会貢献はトレンド、というよりは価値観?

$Hello, my dear.



昨今、社会貢献という価値観が根付きはじめているともいわれています。

「それって本当なの?」
と懐疑的な人のために、一応データをいくつか掲載してみますか。

$Hello, my dear.
$Hello, my dear.
(出所:内閣府「H23社会意識に関する世論調査」より抜粋)


CSR。
CRM。
エコ。
寄付。
ボランティア。
貧困地域への学校建設。
などなど。


そうしたいわゆる「社会貢献」と呼ばれるやつが、特に90年以降から徐々に浸透してきました。

---
(ちなみにこの辺も参考になりそうです。)
◯観光町『ボランティア等社会貢献活動旅行を通じた旅行性向・意識に関する調査・分析』
http://www.mlit.go.jp/kankocho/volunteer.pdf
◯電通総研『社会貢献に関する生活者意識調査 「ありがとう」の一言がうれしい若者』
http://www.dentsu.co.jp/news/release/2010/pdf/2010062-0616.pdf
◯NTTアド
『社会貢献活動に関する調査』
http://www.ntt-ad.co.jp/research_publication/research_development/report/110425/index.html
『若者はなぜ、「社会貢献×ビジネス」なのか』
http://www.ntt-ad.co.jp/research_publication/publication/kuukidokuhon/06/pdf/kuuki_vol6.pdf
---

まぁこうしたマクロなデータではなかなか実感がわきませんが...

特に僕ら若い世代において「社会貢献」の意識がある人は多いなぁ、と、大学の友達をみていても思います。
僕の通う慶應義塾大学でも、「国際協力」や「社会貢献」をうたったサークルはいくつもある。


そして最近では、こんな映画も上映されてますね。
$Hello, my dear.


この辺りは枚挙にいとまがないのでこのエントリーでは比重を置きませんが、
とにかく事実としてこうした動向があるかと思います。

なんとなく「社会に貢献したい」という人が増えているなぁ、という実感はあるのではないでしょうか。



注目を浴びる社会起業家たち

$Hello, my dear.



社会起業家って、ご存知でしょうか?
社会貢献ブームをさらに加速させたのが彼らの登場だと思います。

簡単にいってしまえば、
「ビジネスで社会問題を解決する」職業、でしょうか。

英語では、ソーシャルベンチャーとか、ソーシャルアントレプレナー、チェンジメーカーとも呼ばれる生き方。

2005年くらいからでしょうか?
CSRなどといった企業の社会的責任が騒がれたのと並行して、ずいぶんと話題になっています。

(最近のクーリエやハーバードビジネスレビューでも、この社会起業家やBOP(Bottom of the Pyramid)市場に関する特集が多く組まれていました。)


せっかくなので、そんな社会起業家さんたちをいくつか紹介します。
取り組みの内容はもちろんですが、「どうしてその活動をするに至ったのか」にも注目します。
その理由は後から説明させてください。

***

グラミン銀行
$Hello, my dear.

有名すぎて紹介するのもちょっとひけますが...(笑)

マイクロファイナンス(クレジット)という手法を実践し、広めたことで知られるグラミン銀行です。
総裁のムハンマドユヌス氏は、2006年にノーベル平和賞を受賞しています。

活動内容は、

ざっくりいってしまえば"貧困層に無担保で小口融資をおこなう"というもの。
$Hello, my dear.

また、お金の貸し出しだけではなく、起業支援など様々な取り組みと組み合わせて行われていますね。


そして活動の経緯ですが、

"ユヌス氏は1940年生まれ。フルブライト奨学生として米国に留学、バンダービルド大学で経済学博士号を取得した。その後バングラデシュに戻り、同国のチッタゴン大学経済学部で学部長を務めていた。ところが、経済学は国内の貧困解消には役立っていないと感じるようになった。

1974年に、彼は竹製の椅子を作っていた貧しい女性に少額のお金を貸した。それまで彼女は材料を仕入れる際に高利貸しからお金を借りていたため、1日の収入のほとんどが利払いに充てられ、手取り収入はわずか2.5円だった。ところがユヌス氏には法外な利子を払わずにすんだため、それが150円に増えた。

彼女と同じ村には同様の境遇の人が42人おり、27ドル(約3200円)さえあれば、その全員を貧困の悪循環から助け出すことができると分かった。ユヌス氏が彼らに個人的にお金を貸してみたところ、全員がきちんと返済してきた。この経験からユヌス氏は、貧しい人に適切な利率で融資することが出来さえすれば、彼らの生活は向上すると確信した。そこで大手銀行に、貧しい人にも融資するよう働きかけたが「当時は貧しい人がきちんとお金を返すとは誰も思っていなかった」。それなら自分でやろうと考えたのが、グラミン銀行の設立のきっかけだ。"
(出所:http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20061023/112169/?rt=nocnt)

ご存知でしたか?


motherhouse
$Hello, my dear.

こちらもかなり有名ですが、とっても大好きなので...(笑)

バングラディッシュから世界に通用するバッグブランドを目指すmotherhouse。
僕は著書「裸でも生きる」を読んでから、山口絵里子さんの大ファンです。笑

$Hello, my dear.

活動内容は上記の通りですが、この活動をはじめた経緯もまたすごい。

山口さんは高校時代、柔道に打ち込んでいたそうですが(それも並大抵ではなく)、
慶應SFCに進んでからは途上国開発のゼミに入ったそうです。

そこで実際に支援の現場をみたいと思った山口さんは、米州開発銀行にインターンへ。
しかしそこでは途上国に訪れたこともない人たちが、優雅に仕事をこなす姿。

疑問を抱いた山口さんは、「アジア 最貧困」と検索。
そこで出てきた国が、バングラディッシュ。
すぐに、現地へ。

そこで出会った現実を目の前にし、あらためて何かしたいと思ったそうです。
そんなとき、貧困国バングラディッシュでも輸出産業が盛んな「ジュート」という生地に目を付けて...

といった経緯で、先進国にも通用するバッグを現地でつくろう、と至ったそうです。


僕なんかの言葉で語るのは本当に恐縮過ぎるので、気になった方はせひ書籍や情熱大陸をご覧いただけたらと思います。


エコスクラップ(eco scraps)
$Hello, my dear.

さて、壮大な取り組みの紹介が続きましたが、こちらはもっと身近な事例かもしれません。
エコスクラップ社を牽引するのは学生です。

この企業のビジネスモデルはいたってシンプルで、「廃棄される食物を肥料にする」。
$Hello, my dear.


この取り組みを行うに至った経緯をみてみると、

もともと彼らが通う大学の近くにバイキングレストランがあったそうですが、
そこでは毎日膨大な量の食糧廃棄物がでます。

「これを肥料にできないか?」
そう思った彼らは、教授の助けも借りつつ肥料化の技術開発に着手。
通常は3ヶ月かかる加工工程を3週間、しかも化学肥料に負けない肥料の開発に成功しました。

***

さて、これも挙げるときりがないのでこのあたりでやめておきますが...

何を隠そう、僕は大学に入ってすぐにこうした生き方を知って、むちゃくちゃ興奮しました。笑
すごく、すごくかっこいいと思った覚えがあります。


マネゴトにすぎませんでしたが、

・地域のおばあちゃんを講師として一人暮らしの学生に料理を教える「料コン」
(おばあちゃんにいきがいを提供し、学生には健全な合コンを提供。笑)

・障碍者と呼ばれる方々の個性を生かした「デザイナーズプロジェクト」

・留学生に古き良き日本旅館に宿泊してもらうことを通して外国人の宿泊促進を目指した「旅館再生」


といった取り組みに、1~2年の時にチャレンジしちゃったり。
どれもうまくいきませんでしたが。苦笑


ですが。

社会貢献がブームのさなか、きっと僕だけでなく、
こうした取り組みに憧れてチャレンジしては失敗した学生も多いのではないでしょうか。


なぜ憧れやすいのか。
なぜ失敗しやすいのか。

ここをもう少し掘り下げてみようと思います。



なぜ、社会起業家に引力を感じるのか?

$Hello, my dear.



これまで事実の列挙で退屈だったかもしれませんが、

...いえ、退屈でしたよね。すいませんでした。


ここから先は、一個人の見解ということで読み進めていただければと思います。



なぜ、僕らは社会起業家に憧れを抱くのか。

「かっこいい大人が周りにいないから」
「個人が多大な影響を他人に与えられる仕事は他になかなかないから」

そんな言葉で終わっては浅はかな議論になってしまいますので別の観点から述べていきますが、

先に「なぜ、僕らは失敗するのか」を考察していきたいと思います。



いきなりですが、質問です。

先程紹介した3人の社会起業家、活動は全く異質ですが、彼らの成功に共通点があるとしたら。
何だとだと思いますか?





僕は、

「個人の具体的で衝撃的な経験からはじめている」

ことこそが、最大の成功要因だと考えています。



経験。

ここから生まれるのは、圧倒的な「熱量」(passion)だと思います。


"この人"のために、何かしたい。

その強い想いが具体的な行動を引き起こし、
それは多くの人や資源に巡り会う機会(chance)と、
つらくても知略と根性で踏ん張る継続性(sustainability)を呼び込むはずです。


では、社会起業家をみて憧れる僕らは?


経験がない。
「こういう取り組みがあるんだ」という知識で興奮しているにすぎません。

「面白い!」「自分もああなりたい!」
といって食いつくものの、一番喜ばしたいのは"自分"であって、"この人"ではない。
喜ばしたい相手の具体的な悩みがわからず、その手法と結果ばかりに目がいきがちです。


失敗する人たちに共通するのは、こうした「What」や「How」ばかりに注目していて
肝心の「Who」や「Why」への思慮がうすっぺらいことだと思います。


知識と経験は違うと思う。
知識は熱しやすいですが、時間が経って外気にふれるとすぐに冷めてしまうものでもあります。
経験はそれ自体が熱源なので、どんなに冷えきった状況でも火を灯し続けられる。

経験を通して"この人"の顔が見えないから、相手への理解や熱意が足りない。
相手への理解や熱意が足りないから、機会や継続性につながりません。



だから多くの若者は、いったんは社会起業家といった職業に憧れを抱くものの、
就職活動の時期になって「やっぱり自分には無理だから...」と無難に就職していき、
第二、第三のmotherhouseが生まれないのだと思います。

(あーもうこれ、完全に僕のこといってるんですけどね。苦笑)


日本では失敗が許されない環境下で、みんなチャレンジを怖がってしまうから

という理由もよく耳にしますが、

僕はこうした経験と熱量の関係の方が大きく作用していると思っています。
(だって、結局はリスクへの恐怖が熱意を上回ったというだけの話だから)



さて、少し脇道に逸れてしまいましたが、

では、
なぜ、そんな社会起業家に憧れを抱いてしまうのでしょうか?
なぜ、「What」や「How」といった手法や結果ばかりに目がいってしまうのでしょうか?
なぜ、「こんなかっこいい自分になりたい!」と思うのでしょうか?



僕はその理由をひとことでいうと

「自分が主人公になれる物語への渇望」

だと思っています。



それってどうゆうこと?
なぜ物語を渇望するの?
なぜ社会貢献でなければならないの?


色々と疑問符が出てきてしまいました。

続けて書いていきたいんですけど...
まだジャンプとか算数とかに触れてないんですけど...


このまま続けると、多分倍以上の文量になります。笑
とても読者に優しくないブログになってしまします。笑

なので、前編と後編に分けることにしました。


持ち越して読んでいただけるほどの"ひき"があるかはわかりませんが(苦笑)、
明日までには後編を更新しますので、もしよろしければ、ご覧いただければと思います。


thank you ^^.
さて、前回お話しした通り
今回は僕のすごく好きなソーシャルマーケティングのキャンペーンを紹介します。


「あ、ちょっと待って、ソーシャルマーケティングって...?」な方。
お手数ですが、前回の記事を読んでいただくなり、Google先生に質問してみたらいいと思います。

ごめんなさい。


はい、それで。

今回紹介したいキャンペーンの題材は、タバコです。
$Hello, my dear.


なのでソーシャルマーケティング的にいえば、

目的は「健康促進」
目標は「未成年の喫煙率を低下させる(=喫煙をやめさせる)こと」

でしょうか。


そして。
そのキャンペーンとは、アメリカで実施された「truth」キャンペーン。
$Hello, my dear.


このキャンペーン、日本ではあまり有名ではないと思いますが
キャンペーンが開始されてから1999年から2002年の間で

米国の青少年(中2・高1・高3)の喫煙率は25.3%から18.0%まで低下し、キャンペーンの寄与率は22%

と、成果は凄まじいものがありました。

ソーシャルマーケティングにおいては紛れもない成功事例で、キャンペーン寄与率まで正確に計測しているところにその特徴が滲み出ているように感じます。


ちなみに、なぜ「未成年に喫煙をやめさせること」が社会に良いことなのかを一応解説しておくと、
2004年当時のアメリカにおける死因とその原因を見れば明らかですが、

死因は1位の循環器系疾患(29%)を筆頭に、2位のがん(23%)と続きます。
一方原因は、1位は喫煙(18%)、2位は身体活動と食生活(16.6%)と続きます。

アメリカでは日本と比べ、若年層から喫煙する傾向が見られるために、喫煙は健康を損ない死に至らしめる、大きな要因となっていました。
ですので、「未成年に喫煙をやめさせること」は、死因低下と健康促進につながるので社会に良いこと。
(あらためて言うほどのことでもないかもしれませんが...)

しかし、そうとはわかっていても。
ご存知の通り、喫煙者にタバコをやめさせることはむちゃくちゃ難しい。


そうした中で成功したこのキャンペーン、では、どういったものだったのか。

ここですぐtruthを紹介してしまう前に、このキャンペーンの前身となった「失敗事例」を紹介させて下さい。
じらすようですいませんが、より深く理解するにはもってこいだと思いますので、しばしご辛抱を。。


さて、その失敗事例とは、「Think. Don't smoke.」というキャンペーン。
$Hello, my dear.

CMはこちらのURL先へ。
http://adland.tv/commercials/philip-morris-youth-smoking-prevention-think-dont-smoke-2001-030-usa
(すいません、youtubeにもアップされていないので掲載できず...手間をおかけします)


CMをご覧いただければなんとなく雰囲気は伝わると思いますが、
コアとなるメッセージは「Coolな私/俺は、吸わない」だと思います。

このCMが放送された1998年当時の有名なスポーツ選手を多く起用し、
「Coolな私/俺は、吸わない」とかっこよく爽やかに訴えかけたのです。

想定した米国の青少年(12-17歳男女)のインサイトは
「Coolな存在に憧れを抱く」というもの。

だとすれば。
その"Coolな存在たちはタバコなんて吸わない"、というメッセージが効果的だと考えました。

このキャンペーンは約1000億円をかけ、
学校教育との連動や、全米一の視聴率を誇るスーパーボウルでのCM放映をするなど、
大規模に各種活動が行われました。


そして、結果は。

・タバコ会社のイメージ向上
・喫煙率の向上

でした。
笑えないですよね。

どうしてそのような結果になってしまったのかを紐解くと、
インサイトを履き違えていたからに他なりません。

先程、米国の青少年は「Coolな存在に憧れを抱く」といいましたが、
これって本当なのでしょうか。
いえ、もちろんその通りの青少年も少なからずいるかと思いますが、重要なのは
「マス全体ではなくターゲットはどう思っているか」だと思います。

今回のターゲットは"未成年からタバコを吸ってしまうような"青少年たち。
そんな彼らに「Coolな私/俺は、吸わない」と訴えかけたところで、


タバコを吸わない人って...
学校で勉強やスポーツに打ち込むような、
「いい子ちゃん」だよね...?
俺/私は、そうはなりたくないな。
だから、タバコを吸っちゃうぞ!


となってしまったと考えられます。

CMがかっこよくて勘違いされたからイメージ向上に繋がったのではなく、
裏にはきちんと反発があってのことだと思います。



さて、この反省を踏まえると、どんなキャンペーンが効果的なのだろうか。
ここからようやくtruthキャンペーンの話にうつっていきます。

新しいキャンペーンを考案するにあたり行ったのが、
徹底したインタビュー調査でした。(サンプルは500人以上)

ターゲットは"学校で模範的なCoolな子ども"ではなく
"タバコを吸わないことをCoolだと思っている子ども"です。


...ん、なんでタバコを吸っている子どもにまず話を聞かないの??

と思うかもしれませんが、これにはいくつか理由があるように思います。


ひとつには、無意識レベル(惰性や慣性)で続けているものに対して、人は言葉で理由や本音を話すことはとても難しいということです。

例えばあなたは毎日朝食をとっていないとして(このブログを読む人の中には多い気がしますが笑)、
「なぜあなたは朝食をとらないのですか?」とお尋ねします。


15秒、お考えください。





さて、どうでしょうか。

「面倒くさいから...」
「一人暮らしで朝忙しいから...」

色々と理由はでてきたと思いますが、では

「テーブルの上にパンが置いてあったら食べる?」
「朝時間にゆとりがあったら食べる?」

と聞かれると、いや、なんか気が乗らないんだよなぁ...と別の理由が出てくる。
自分で自分のことを正確に理解することはすごく難しい。

これと一緒で、ましてや12~17歳の青少年に喫煙の理由を聞いても
「なんとなく」
といった曖昧で上辺だけの回答をされることが予測できると思います。


ただし、それはある意味で当然のことで、
インタビュー調査を行う以上はクリアしていかなければならない課題といえます。

そこで大事になってくる、タバコを吸っている子どもに話を聞かないふたつめの理由は、


問題を抱えている本人に聞いてわかるのは「問題の原因」であって、それは「解決の糸口」とは異なる場合が多い

ということです。

ある問題があるとき、大概の人は「それがなぜ問題なのか」ばかりに注目してしまいます。
そして、なぜなぜ...と繰り返していった先には、自分では手のつけようがない大きな問題に当たってしまう。

問題を肥大化して捉えると、本質的な問題とはずれてしまうことが多々あります。

まぁ簡単にいってしまえば
勉強ができない、という子ども個人の問題を、

なぜ勉強ができない?→真面目に勉強しないから
なぜ真面目に勉強できない?→集中力がないから
なぜ集中力がない?→学校の先生がきちんと授業を行わないから
なぜ学校の先生はきちんと授業を行わない?→国の採用制度が悪いから

などというヘンテコなロジックで、我が子の不出来を国の教育責任に押し付ける思考と一緒です。
(言い過ぎかもしれませんが。苦笑)

そこまで「なぜ」を繰り返さなくても、例えば"集中力がないから"あたりで
「どうやって」に切り替えることができていれば

十分個人で解決できる範疇の問題であったはずです。
(この「なぜ」から「どうやって」に切り返すタイミングって問題解決にあたってはむちゃくちゃ面白いテーマだと個人的に感じていますが、これはまた別の話で...)


また、よく人は「need」はいえても「want」は口に出していうことはできない、といいます。
解決してほしい問題はわかっても、それをどう解決してくれたら嬉しいのか自分でもよくわからないのです。

例えばiPhoneという商品を考えると、あれは目の前に出されてはじめて「ほしい!」と思うものであって、登場以前からあんなものを自分がほしいと感じることはできないと思います。
ましてやあの商品が、ガラケーだけを見つめながら「もっと良い商品を!」と思っていては到底生まれるとは思いません(現に違いますし)。


この辺の話はしすぎると本題と逸れるので、これ以上は割愛しますが...
(というか余計な話題だったかも...すいません)


ともかく、マーケターはこれらを前提にインタビュー調査を行い、インサイト発掘は自力で行わなければなりません。


そこで誰に話を聞くと解決の糸口を見つけられるか、と考える時に有効な手法として
「ブライトスポット」というものがあります。

これは先程の話の繰り返しにもなりますが
ある問題があるとき、大概の人は「それがなぜ問題なのか」ばかりに注目してしまいます。
そしてそれは、解決の糸口には繋がりにくいことも述べました。

そうではなくて、問題の中にも潜んでいる小さな「成功事例」(=ブライトスポット)を見つける。
問題がはびこる中で、同じ状況下でも問題回避に成功している"例外"があるはず。

ほとんど同じ環境で暮らしているのに、なぜ彼/彼女は例外的に問題回避に成功しているのか?
そしてその例外を、他の人にも応用できないか?
親しみのない解決方法を輸入するのではなく、親しみやすい解決方法を伝搬できないか?


と考える方法です。

具体例をまた挙げると「もういいよ!」という声が聞こえてきそうなのでやめときますが、
(面白いんだけどなぁ。)

今回の場合でいうと、タバコを吸っている子どもではなく、タバコを意識して吸っていない子どもに着目することで、彼/彼女らの思考や行動は大きなヒントになりうるのではないかということです。



と、だいぶ紆余曲折してしまったかもしれませんが、そんなこんなで
"タバコを吸わないことをCoolだと思っている子ども"にインタビューを行いました。


「なんで、タバコを吸わないんですか?」

「そりゃ・・・タバコ吸うなんて、バカだと思うからです」

「なんで、バカだと思うんですか?」

「だって、あんなタバコ会社の広告に騙されて吸うのってバカみたいじゃないですか?!」


はい、でましたねインサイトのヒント。
もちろんこんな簡単に出たわけではないと思いますが...(苦笑)


"タバコを吸わないことをCoolだと思っている子ども"たちは、
親や先生ではなく、タバコ会社に反抗していたことがわかってきたのです。


つまり、深層心理は「権威に反抗したい」であると結論づけました。

これをもとに、今度はタバコを吸っている子どもたち確認的なインタビューを行ったところ、
米国青少年は「親や学校の権威に反発して喫煙している」ということがわかってきました。

彼/彼女らも「権威に反抗したい」、ただしタバコ会社はそんな彼らの味方だと考えていたのです。



そうして生まれた新しいコアアイデアは


「実は、タバコ会社こそが権威の象徴だ」


つまり、君らが逃げたがっていた権威は、実はタバコ会社そのものだったということを教えてあげる。

このメッセージを伝えることができれば、


たばこ会社が、俺/私たちを今までだましていたんだ。
もう、騙されずに
真実(=truth)を
しっかりと見つめてやるぞ!


という新たな認知が生まれるのではないか。
タバコを吸わないことは権威への反抗、というパーセプションチェンジを願って
「truth」というキャンペーン名がつけられました。


そしてこれが、クリエイティブ。
(ここまでがなげーよ、って思われてたらすみません。。)

これはローンチ時の一番最初に放映されたCMです。


タバコ会社の前に積み上げられていくBody bag=死体。
お前らは毎日こんなに人を殺しているんだぞ!と訴えます。

先程の「Think.Don't smoke.」をご覧いただいた方にはわかると思いますが、
トーン&マナーが180度違う。
権威に反発する、というメッセージなので、こうした強い訴求がされたのだと思います。


そしてキャンペーンも潮流に乗った頃、続いて流されたCMがこちら。



知ってますかね、マルボロマン。
$Hello, my dear.

この有名なマルボロマンに扮装した、"タバコで喉がダメになってしまった”人が突然街中に現われる。

街中の人たちは何かのイベントかと思って近寄ってきますが、そこでマルボロマンが
「喉も舌もダメになっちまったけど、それでも俺は死んでねぇさ~」と陽気に、皮肉たっぷりに歌うわけです。

これ、よく見ると本当にグロテスクなのですが、このマルボロマンの喉には穴が空いています。
タバコを吸いすぎるとこんなことになりますよ...という、衝撃的な事実も伝えるわけです。


このようにしてキャンペーン開始当初から、米国の青少年、特に男の子たちには大きな影響力を持ち始めました。
しかし女の子にはまだまだ今ひとつ、といった問題がありました。

そこで新たに展開されたのが、以下のCMシリーズ。


明らかにこれまでのトンマナとは異なりますよね。笑

これは、当時のターゲットの女の子たちの間で「歌」や「踊り」が流行していたことから、
このようなメルヘン要素を加えることで「あ、これ私たち向けのCMだ」と思わせたかったのだと思います。


あと、割かし最近だと、こんな広告も展開されているみたいです。


権威への反発。
権威のもつ恐怖。
そうしたコアをもとに表現されるこれらのクリエイティブはとても面白いし、背後を知っていると深みも増す気がします。


さらにチェックしたいかたは、以下のURL先をどうぞ。
(グロテスクな表現も含みますので、あとは個人の責任で...)
Facebook : http://www.facebook.com/truthorange?sk=app_2392950137
youtube : http://www.youtube.com/truthorange



さて、広告の紹介はこの辺に留めておくとして...


もう一度確認しますが、このキャンペーンの成果は

米国の青少年(中2・高1・高3)の喫煙率は25.3%から18.0%まで低下し、キャンペーンの寄与率は22%
でした。

また、その後の調査によって

"Truthにより、19億ドルの医療費削減に繋がった"
ことも明らかになったそうです。


こうしたことからも、世界で最も成功した ソーシャルマーケティング事例といえるのではないでしょうか。



僕はこのキャンペーンを知った時に、それはそれは興奮いたしましたが(笑)、
それはたんに面白いからという以上に、

「平凡な僕でも優れたアイデアに辿り着けるんだ!」

と直観的に感じたからです。
アイデアは非凡な人たちの手中にいつもあるわけではないと感じたからです。


もちろん、気づきや着眼のセンスは問われるに決まってますが...

ソーシャルマーケティングのフレームにのっとれば
良いアイデアを呼び込む下地はつくれる。

平たくいえば、
偶然を呼び込むための、いくつかの必然はつくれる。


ましてや関わりたい分野が

こうした「社会に良いこと」をめざし
「社会に悪いこと」は間違ってもしてはならないから

思慮のない善意ほど怖いものはないから

まがりなりにも勉強すれば多少のノウハウは身につけられると思って、現在関わっているところです。



今回の記事のタイトルにしてみた

「社会に良いこと」を戦略的にデザインする。


学生の分際で生意気な...と、とてもとても思いましたが(苦笑)
あえて挑戦的なタイトルにしてみたのも、可能性を感じているからです。

世の中には非凡な人より、僕みたいな平凡な人の方が断然多いと思うので
何かの参考になればと思って書かせていただきました。


かなりの長文になったと思いますが、最後までお付き合いいただきありがとうございました^^.




...最後、ついでにいくつか反喫煙の広告でも載っけときます(笑)

<表現が美しい反喫煙広告>
Hello, my dear.
禁煙スペースを、お墓で表現。

Hello, my dear.
この表現は美しいなぁ。うまい。

Hello, my dear.
なるほど。




<ぞぉっとする反喫煙広告>
Hello, my dear.
性生活に影響が出ますよ。

Hello, my dear.
タバコにはこんなに有害物質が含まれていることを、ダイレクトに表現。

Hello, my dear.
こちらはタバコにはこんなに有害物質が含まれていることを、もっと親しみやすく表現。
「こんな水あったら、あなたは飲みたいと思うんですか?」



個人的には、最後のやつが一番好きです。
効果が最もありそうだという点で。


最後、余計だった感。笑

thank you ^^.