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Apollo-12

広告とか、コミュニケーションとか。
社会貢献とか、社会起業とか。
まちづくりとか、コミュニティデザインとか。
そうしたものたちの、少し先とか横の話。

さて、後編②-1.です。

事例がたくさんありすぎて字数制限オーバーになったので、
このパートは記事を2つに分けて公開致します。


②公共物(ハード)を介してシビックプライドを醸成する

Apollo-12

このパートでは、
「周囲の環境を変えることで利他的な行動も生まれるのではないか」という仮説のもと、

2つ目の解決の方向性として、
ある象徴的な公共物(ハード・モノ)を介してシビックプライドを醸成することで、
市民同士の仲間意識と誇りが芽生えて各々が居場所を獲得する

という可能性を探っていきます。


シビックプライド。

そういうカタカナ語を使うとなんだか専門用語っぽく聞こえてしまいますが、
例えば、地元のサッカーチームのサポーター。

Jリーグやプレミアリーグなど、試合会場には必ずといっていいほど、
チームカラーを身に纏った熱狂的なファンたちが声を枯らして応援しています。

地元に根付いたひとつの公共的な物を介在させて、
様々な人々が集まり、初めて会う相手であっても同胞意識を持つ。
そのチームの一員であることに誇りを持ち、
毎週末行くスタジアムが、そこに集まる人だかりの中が、自分の居場所になる。


サッカーチームを公共物とみなすのは少々強引ですが、こうした、
街のひとつのシンボルを通して市民のプライドをかたちづくる、というのが、
シビックプライドにあたります。


しかし、「ある街に住む」ことを私たちが考えるとき、実際に頭をよぎるのは、
大都市や職場へのアクセスの良さや、地価の高さ、コンビニやTUTAYAの位置ばかり。

街との関係の稀薄さが、そこに住む人との関係の希薄さを生み、
そしてそれは、孤立する人を増やしていると思います。


だとしたら。
街のシンボルとなる公共物を行政のものではなく、市民のものと捉え直すことで、
市民が自分たちで街を創り、連帯感と誇りを持って、自らの居場所を獲得していく。

そんな方法はないでしょうか。


以下では、そんな疑問に応える素晴らしい事例を紹介していきます。



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自尊心を芽生えさせ、くすぐり、育てる①
『I amsterdam』
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アムステルダム市の中心にある広場「ミュージアム・プレーン」にある、
「I amsterdam」という、ちょっとダジャレじみた立体のロゴ。

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この文字が、アムステルダムに住む市民、そして訪れる観光客に、大きな影響を与えています。


「I amsterdam」は、
アムステルダムをプロモートする目的ではじまったキャンペーンです。

このシンプルでとても覚えやすい言葉をコアにして、
市民を巻き込んだキャンペーンが次々に行われています。


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amsterdam cardはこの街の市民の証。

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amsterdam T-shirtはお土産にもぴったり。


もともとアムステルダムは歴史と文化のある街でしたが、
世界中の都市が栄える中、近年は世界における相対的なポジションが下がりつつありました。

このことに危機感を覚え、市民へのインタビュー調査を行ったところ、
「クリエイティビティ」「イノベーション」「商業精神」
を市民は大切にしていることがわかりました。


そこで、この3つの価値を柱に据えて立案されたのが、
この「I amsterdam」キャンペーン。

「I am」は一番最初に覚える英語でありながら、
自分自身を名乗るのに欠かせない表現。
「I♡NY」のようにシンプルで力強く、誰もが気軽に真似して使うことができます。


このキャンペーンを広めるために、
まず、有名な写真家に自由に市民を撮影してもらい、
そこに「I amsterdam」というロゴを添えるだけのシンプルな写真集を考案。

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写真集。


写真展を名目に市長が街中を練り歩き、
よその人には名刺がわりに本を配りました。

すると、市民は徐々に、
「自分たちはクリエイティブでイノベーティブな市民なのではないか」
という自意識が芽生え始めます。


結果、アムステルダムにおいて撮影されたどの写真・グッズであっても、
自分たちで「I amsterdam」というロゴを添えるだけで、
統一感のある、立派な広告や商品として成立する構造になっていきました。

きちんとした調査をもとに価値を規定し、
誇りをくすぐり「その気」にさせる。
とても秀逸なキャンペーンだと思います。


そしてこのキャンペーンにおいては、何より、
立体ロゴとして「I amsterdam」のオブジェがあることがポイントだと思います。

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広場の立体ロゴは、公共物としても市民に愛されている。


広告のコピーだけ紙面やCMで踊っていても、どこか説得力がない。

「実物」というファクトをつくってしまうことの強さ。
「文字を大きくするだけでオブジェとして遊びたくなるモノになる」という気づき。
とてもシンプルで力強いアイデアだと思います。

また、観光客にとってはこのロゴの前で写真を撮るのが定番となっているそうで、
そうした外からの熱い視線というのも、市民の誇りを醸成するひとつのポイント。


こうした街で暮らす人たちの幸福度は、やはり高いのではないかと思ってしまいます。



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自尊心を芽生えさせ、くすぐり、育てる②
『ベネッセアートサイト直島』
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http://matome.naver.jp/odai/2133661104038461501より抜粋。

「I amsterdam」と同様、
"市民のクリエイティビティをくすぐって誇りを取り戻す"という意味では、
日本でも面白い事例があります。


それが香川県直島町でベネッセが取り組む、
ベネッセアートサイト直島です。

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広い空間にぽつんとある、大理石の球体。(GANZっぽい。笑)
http://matome.naver.jp/odai/2133661104038461501より抜粋。

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かの有名なアーティスト・草間彌生さんの作品。
http://matome.naver.jp/odai/2133661104038461501より抜粋。


ベネッセがもともと直島文化村で行ってきたアート活動が、
次第に街中にも舞台をうつし、今となっては街のいたるところにアート作品が。

さらに面白いのは、外からアーティストを招き、
直島や美術館を見て、作品の展示場所を選んでもらっていること。

つまり、街ごとアトリエとしてアーティストに解放してしまうという視点。


結果、安藤忠雄さんや草間彌生さんといった著名な方々をはじめ、
優れた作品の数々が街に点在しているという面白いことになっています。

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何を読んでいるんだろう。
http://matome.naver.jp/odai/2133661104038461501より抜粋。

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海の駅の横の公園にある謎の椅子。
http://matome.naver.jp/odai/2133661104038461501より抜粋。


これらの取り組みによって国内外から観光客を集めることになったそうですが、
それ以上に面白いと思ったのは、

市民たちが自分たちもアーティストだと勘違いして街に作品をつくりはじめた
ということです。

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普通の民家でも、思い思いの展示がなされている。
http://toyoinfonet.co.jp/blog/より抜粋。


作品と呼ぶにはあんまりかもしれませんが、重要なことはそこではなく、
「市民たちがアイデンティティを持ち、プライドを抱きはじめている」ということが、
とても素晴らしいと思います。


「I amsterdam」でもそうでしたが、それぞれの事例において、
「クリエイティビティ」というひとつのアイデンティティに気づかせ、育て、
シビックプライドとして醸成する。

そのヒントは、
アイデンティティを象徴する実物をつくってしまう
ということの力強さにあると思います。

そしてそれを単発で終わらせるのではなく、
最初だけ質の高いもの次々に打ち出し実現していければ、
それに追いつくように市民が育ち、自走化していく。


「I amsterdam」では写真とコピーで、
「ベネッセアートサイト直島」では外部のアーティストの力を借りて、
それぞれ実現させました。

大きな初期投資が可能な場合には、特に参考になる事例かと思います。



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外部の視点を取り入れる①
『探られる島「家島」』
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http://studio-l.org/projects/q_shima.htmlより抜粋。

さて、ここからは山崎亮さんの事例が続きます。

一つ目は、兵庫県姫路市の離島・家島で行われた、
「探られる島」というプロジェクト。

外部からアーティストではなく、大学生を呼んだ事例です。


とある離島で、産業衰退、人口減少、高齢化...

こういった話はよく耳にしますが、
家島も例外ではありませんでした。

これに対し、もっと観光資源を発信して活性化しようと、
島民たちの手で桜の名所、美しい海辺、由緒正しき神社などを広報しますが、
さっぱりうまくいきません。

どれも島に住む人たちにとっては素晴らしいものですが、
しかし、残念ながら島の外の人たちにとっては、
どれもどこかにはありそうな、ありふれた観光資源。

わざわざ遠く離れた離島に行く理由にはなりませんでした。


「内側の人たちが見つけられないのなら、むしろ外の人たちに見つけてもらえばいいのではないか」

そんな視点から山崎さんが考案したのが、
「大学生などの若者を募って外部の視点で家島の魅力を探り、その魅力を冊子にまとめて島の内外に発信していく」というプロジェクトでした。

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島に上陸する大学生。
http://studio-l.org/projects/q_shima.htmlより抜粋。


まず、学生たちは大阪で4日間の事前ワークショップを受けた後、
家島で2泊3日のフィールドワークを行います。

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漁師による公開調理を見学する様子。
http://studio-l.org/projects/q_shima.htmlより抜粋。


第一回目に行った際には、フィールドワークをする中で、

"家の外なのに、ソファがどかっと置いてある"
"外に出された冷蔵庫の中に、農具がしまってある"

といった、「家の外までも、家の中のように活用している」
という家島の島民ならではの生活習慣を、学生たちは目の当たりにしました。


「家の外にいるのに、まるで中にいるような島だ。」

これらのファクトをこの感覚に翻訳したのは誰なのかはわかりませんが、
とても素晴らしいと思います。


結果、第一回目は「家島におじゃまします」というタイトルで、

港に一歩上陸した瞬間から靴を脱いであがりたくなるような、
そんな島であることを伝える報告書にまとめて島民に発表したそうです。

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島民への発表会。
http://studio-l.org/projects/q_shima.htmlより抜粋。


こうした取り組みはたった一回で終わってしまっては効果は薄いですが、
計5年間続けたそうです。

その結果、島を訪れた学生たちは家島に愛着を持つようになることで、
「100万人が1回訪れるのではなく、1万人が100回訪れたい」島になりつつあります。


また、それだけでなく、
こうした新鮮な視点から学生たちの提案を聞くなかで、

島民たちが活気づき、自分たちでNPO法人をつくって特産品づくりを始めているそうです。

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特産品「のりっこ」
http://studio-l.org/projects/45.htmlより抜粋。


「ベネッセアートサイト直島」にも共通してみられましたが、
"外部から継続的な影響を受けることで、内部が活性化する"というのは、
ある種の普遍性を帯びたシビックプライドの醸成方法かもしれません。



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外部の視点を取り入れる②
『笠岡諸島子ども総合振興計画』
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笠岡諸島は、岡山県笠岡市の沖に位置し、
高島、白石島、北木島、飛島、真鍋島、六島の7つの島からなります。

少子高齢化し、若者はどんどん外へと出て行ってしまう。
だから笠岡諸島の未来を語る必要があるし、バラバラの笠岡諸島が一丸となれるものを見つけたい。


そんな思いから考案され、はじまったのが、
「笠岡諸島子ども総合振興計画」。

各島から計13名の中高生たちが集まり、
まとめた未来への提言を諸島の役場で発表する試みです。

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各島から集まった子どもたちが、未来について議論。
http://studio-l.org/projects/100.htmlより抜粋。


当初、大人たちだけで未来について議論して決めていく予定でしたが、

思った以上に各島の大人たちがまとまらない。
「できない理由」ばかり並べる。


そこで、
「子どもたちの目線で10年後の未来のための提案書をつくり、大人が実行しなければ『島には戻らない!』」
とすれば、大人たちは本当に意識を変えて行動するのではないか。

そう考え、実際に多くの大人たちを巻き込んで発表が行われました。

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子どもたちが考えた提案の一部。
http://studio-l.org/projects/100.htmlより抜粋。

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子どもたちの提案書に目を落とす大人たち。
http://studio-l.org/projects/100.htmlより抜粋。

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子どもから大人へ、提案書が手渡される。
http://studio-l.org/projects/100.htmlより抜粋。


この提案書には、前書きとして、
子どもたちから大人へのお手紙がついています。

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拝啓
10年後、笠岡諸島に暮らすあなたへ


10年後の笠原諸島には、変わらず美しい海と砂浜がありますか?

10年後、変わらずたくさんの魚はやってきていますか?
10年後、変わらず観光客のひとたちは来てくれていますか?
・・・(中略)・・・
10年後、私たちの母校はありますか?

10年後、私たちは、どうしたら笠原諸島が楽しく、
素敵な島になるか考えました。

10年後、私たちが、笠岡諸島に帰ることができますように。
///////////////////////////////////////////////////////////


子どもたちの疑問に、思いに、願いに、
心を鷲掴みにされてしまいます。


このパートでは、
「外部の視点を取り入れる」ということをひとつのポイントとして挙げていますが、

内部にいながらおろそかにしていた、子どもの存在」というのも、
ある意味「外部」になってしまっているのではないでしょうか。


きちんとしたコーディネーターがつき、デザイナーがいるというだけで、
提案書にまとめて報告する、というシンプルなアイデアも、とても力強く感じられます。

子どもが大人を焚き付ける、という構図をつくることは、
市民が誇りを取り戻すひとつの方法になるかもしれません。



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②公共物(ハード)を介してシビックプライドを醸成する
まとめ①
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②公共物(ハード)を介してシビックプライドを醸成する
という方法論のまとめ①です。



自尊心を芽生えさせ、くすぐり、育てる

『I amsterdam』『ベネッセアートサイト直島』でみたように、

そこに住む人たちが、「かっこいい」「お洒落」「芸術的」といった、
市民の誇りをくすぐるような見え方をかたちづくること。

それは、
大きなオブジェを街に置くことかもしれないし、
市民の写真集を発売することなのかもしれないし、
共通のスローガンを開発することなのかもしれない。

いずれにせよ、目に見えるものできちんと誇りを表現し、
それが単発ではなく継続的に、同時多発的に行われることが重要
だと思います。



外部の視点を取り入れる

『探られる島「家島」』『笠岡諸島子ども総合振興計画』でみたように、

内部の人たちだけでは考えが凝り固まり、意見もまとまらない地域では、
外部の人たちを参画させて、新しい視点を取り込むことが効果的かもしれません。

それは、
高齢者たちばかりであれば若者たちを連れてきたり、
大人たちばかりであれば子どもたちの目線で物事を語ってみたり、
内部にいながら外部者のように扱ってきた別の市民の参加を促したりすることなのかもしれません。

仲間はずれにしてきた仲間たちを見つけ出し、彼らの話に真摯に耳を傾けさせる
といった、場をコーディネートする存在の力量が問われる手法
だと思います。



以上が後編②-1.のまとめです。

まだまだ他の事例と方法論を紹介して参りますので、
ご関心のおありの方は、次の記事:後編②-2.をご覧いただけますと幸いです。



thank you.
執筆連載の途中ですが、ブログのタイトルを変更しました。


「Apollo-12」

アポロ12号です。

Apollo-12


奇跡的にこのブログをご覧の皆様は、

人類初の月面着陸を果たしたアポロ11号でもなく、
ドラマチックな生還を果たしたアポロ13号でもなく、

その間に挟まれてちゃっかり月へ行って帰ってきた、
地味でちょっとバカな愛くるしい英雄たちをご存知でしょうか。


乗組員は、ピート・コンラッド船長、
そしてリチャード・ゴードン司令船操縦士と、アラン・ビーン月面操縦士。

Apollo-12

この3人には、宇宙飛行士とは思えない、
なんとも滑稽で愛くるしい逸話がたくさんあります。


例えば、
人類初のカラーカメラによる放送をするはずが、
船長がうっかりカメラを太陽に向けてしまい、
月面着陸後すぐに放送終了となってしまったこととか。

例えば、
持ち込み禁止のセルフタイマーカメラで写真撮影を行って写真分析官を困らせる予定が、
船外活動中にカメラを紛失して結局失敗に終わってしまったこととか。

例えば、
野球帽のコレクションが好きな船長が、
宇宙服のヘルメットの上からでも被れる巨大帽子を持っていったのに、
余分な荷物になるためロケットに積ませてもらえなかったこととか。

例えば、
乗組予備員たちが船員の使うチェックリストにプレイボーイ紙のグラビアをこっそりはさみ、
船員たちは人類初の月にポルノを持ち込んだ人物となったこととか。



まだまだ他にもありますが、
どのエピーソードも、とても宇宙飛行士とは思えないような。

11号が成し得た「人類初」の偉業と注目もなければ、
13号が成し得た「奇跡の生還」という劇的なドラマもない。


それでも、月へ行って、帰ってきた。

自分たちらしくバカなことをやりながら、
世間の人々からは成功して当然だと思われながら、
無事に偉大なミッションを終えて、笑顔で帰ってきた。

後世の人々から、注目や賞賛もされない。
映画化やドラマ化するにもほど遠い。

でも、だからこそ、
微笑んでウインクしたくなるような、静かな感動がある。


テレビで紹介されるような有名人など人類のほんの1%で、
残り99%の僕たちは、ひっそりと生きて、力強く生きて、死んでいく。

そうした、あまりにも尊い普通の人たちの営みに、人生に、
アポロ12号の乗組員たちの姿を重ねてしまいます。



あと、アポロ12号にまつわる大好きなエピソードがひとつ。

船員たちは、ミッション・パッチと呼ばれる刺繍を胸に宇宙へと飛び立ちました。

Apollo-12

海軍出身の彼らを讃え、1700年代の快速帆船 (clipper ship) 。
APOLLO XIIというミッション名と、乗員3人の名前の刺繍。

そして、宇宙に浮かぶ4つの星があります。

3つの星は、3人の飛行士を。
そして残りの1つは、訓練中に事故死してしまったクリフトン・ウィリアムズ氏を表すそうです。


僕がアポロの乗組員になれるなら、11号ではなく、13号でもなく、
仲間を大切に想いながら偉大な普通を生きる、12号の人たちに寄り添いたいから。

12号の人たちのために、何ができるかを考えたいから。


そんな想いを込めて、
ブログのタイトルを「Apollo-12」にしてみました。

内容も、
・広告などのコミュニケーション領域
・社会貢献や社会起業などのソーシャル領域
・まちづくりなどのコミュニティデザイン領域
を意識して書いていきたいと思います。



そしてあと、もうひとつの意味が。

これは、連載執筆のテーマが「真っ暗な森で、ロケットを探す」
になっていることとも関係するのですが、


毎日の日々を、真っ暗な森で迷うことに。
人生の目標を、夜空に浮かぶ月に。

それぞれ喩えて考えています。


どういうことか。

最近、学生時代にお世話になっていた奨学金団体に
「卒業生としてエッセイを寄せてくれ」と頼まれて、
その際書いた文章がちょうどあるので、それをこちらに転載します。

たいした文章じゃないです。
ほんとしょうもないエッセイです。

ですが、先程述べた喩えの意味はわかっていただけるかと思いますので、掲載します。



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『これまでのこと。これからのこと。』

最初は、なだらかな平野だった。
どこを見渡しても素晴らしい景色が広がっていて、
足枷となるようなことは何ひとつなくて、
だから僕は、どこへでも行けるはずだった。

ところが、気の赴くままに歩き始めたら、
色々なところで躓いたり、時には誰かに強引に手を引かれたりして、
気がつけば僕は森の中にいた。

もう日は暮れて、辺りは暗く、心細い。
こんなところで立ち止まるわけには、いかないのに。

ふと見上げる。月があった。
暗い夜でも、僕が進むべき道を照らしていた。
暗い夜だからこそ、僕が進むべき道を照らせていた。

月明かりを頼りに、僕はまた歩き始める。歩き続ける。
いつか月に、手が届く場所を目指して。


人生もこれと同じようなものだと思ったのは、ちょうど去年の今ごろ、就職活動の真っ最中だった。
生まれたときはあらゆる未来と可能性を持ち、どこへでも行けたはずなのに、気がつけば、僕は今の僕を選んでいた。先や未来のことをちょっとは真剣に考え始める大学入学したての頃には、まるで夜の森に迷い込んだかのように進むべき方向がわからず、不安だった。
授業、サークル、ボランティア。目の前の木々に矢印を刻んで進んでみても、また同じ場所に戻ってきてしまったかのような日々。大学2年生の頃に海外ボランティアと国内旅館の再生事業に取り組んだのは、どこかに行きたいというよりも、ここにいたくないという想いの方が、実は強かったのかもしれない。

でも、そうした試行錯誤の末、ようやく気がつくのでした。
木を見て森を見ず、もっと広い視野で自分の人生の歩み方を考え直す必要を。
森を見て月を見ず、森を抜けた先に、自分は結局どこへ辿り着きたいのかを知る必要を。

ボランティアや社会事業をやってみて気がついたのは、僕は社会を良くしたいのだということ。そして社会を良くするには、アイデアが必要だということ。ボランティアという社会貢献はもう何十年も続いていて、でも何十年も繰り返していて解決しないのであれば、何かやりかたを変える必要があるのではないか。でも、やりかたを変えてやってみた社会事業では、興すよりも継続させることの方が難しかった。
だとしたら、課題をきちんと解決していけるような発想力と実行力を、きちんと鍛える必要がある。そんな思いが2年生の終わり頃には既にあって、だから就職先は「あらゆる課題をアイデアで解決する」を仕事にする広告代理店にしたし、その選択は間違いではなかったと、幸い今のところは思っている。

あのとき気がついたのは、まだ23年分しか生きていない未熟者がいうのも大変畏れ多いが、人生の歩み方だった気がする。
日々は森林のように鬱蒼と生い茂っていて、そこをなんとか切り抜けていかなければならない。文字通り、お先真っ暗、なんてこともあるだろう。それでも、目の前の木々にとらわれず森全体を見渡して、どんなルートで切り抜けていくべきかを考える中長期的な視座は必要だと思う。そしてそれ以上に、森をなぜ抜けたいのか、森を抜けた先にどこへ辿り着きたいのか、という疑問に答えられるだけの、人生の目標が必要だと思う。つまり、自分だけの月が必要だと思う。
僕は、社会を良くしたい。世界が教室なら、隅にいるような子に声を掛けたい。教室にも来られないような子の力になりたい。これが、僕の月。
目標がなくても歩き続けられるほど、僕らはきっと強くない。

月は、ときどき欠ける。雲に隠れもする。
いつでもいつまでも、満月のようにはっきりくっきりと目標を定め続けられるわけではないし、日が昇れば月は姿を消してしまう。
それでも月は、「そこにある」。忘れてしまっても、また夜空を見上げて思い出せばいい。
そうやって自分だけの月をいつも探して、見つけて、目指して歩んでいきたいなと思います。

...と、ここで終わってもいいのですが、皆様書かれるのが平均2000字だということですので、もう少し(笑)。

最近は、「木の葉を見つめること」「星を見ること」「ロケットの材料を探すこと」を気に掛けています。
「木の葉を見つめること」。高くて広い視座からばかり物事を俯瞰してみていては、小さくても大切なことを見逃してしまうかもしれません。目の前のことにも真摯に、謙虚に、ひたむきに。向き合いたいと思います。
「星を見ること」。月もいいですが、周りに輝く星も美しい。目標しか目に入らないような狭い視野を持つのではなく、好奇心旺盛に、素晴らしいものには目を向けること。後々星座となって、思わぬつながりやかたちとなるかもしれませんから。
「ロケットの材料を探すこと」。月はただ見上げていても、手は届きません。いつかどこかで月に旅立てるよう、ロケットが必要です。そしてそれを組み立てる部品と、協力するクルーが必要です。常にアンテナを張って、チャンスを掴みたいと思います。

そして、最後に。
「月を見て太陽を見ず」という視点の大切さ。

「月はなぜ光っていられるのか」ということは、忘れてはならないと思っています。裏には、太陽の存在がある。これまでの人生や家族、僕を支えてくれていた全てのことがエネルギーとなって、目標を照らし続けてくれているのだと思います。

僕の「これまで」が、「これから」を照らしている。
そう思って、いつも心のどこかで感謝しながら生きていきたいと思います。
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執筆連載の続きは、また来週にでも更新します。


thank you ^^.
さて、後編です。


前回の記事( http://ameblo.jp/ryrientar/entry-11441207347.html )では、
周囲の環境を変えることで利他的な行動も生まれるのではないか、という視点から、

①公私のつながりをなだらかにする
②公共物(ハード)を介してシビックプライドを醸成する
③システム(ソフト)を通じてコミュニティを構築する


という3つの解決の方向性があるのではないかと述べました。


この後編では、
それぞれの方向性に該当しそうな事例を挙げながら、
重要な要素をピックアップしていきたいと思います。

まずは、後編①として、
①公私のつながりをなだらかにする から。
(書いてたら長くなったので、3回に分けて書きます。。)



①公私のつながりをなだらかにする

Hello, my dear.

まず1つ目の解決の方向性は、
主に住環境における「公」と「私」の境目をなだらかに変化させることで、
他の人に気づかれやすくも住み心地の良い環境をデザインする

という方法です。


防音ガラスに厳重セキュリティ、徹底的なプライバシー保護。

今の住環境では、隣に誰が住んでいて何をしているのかもわからない。
少数の危ない事件が過度に報道され、極端に「個」のスペースを守ろうとした結果、
かえって「孤」のスペースに人が暮らさなければならなくなった気がします。

そのような住環境では、近くにいる誰かに気を配ろうと思っても、
そもそも変化に気がつくことも難しい。

だとしたら、住環境における「公」と「私」の在り方・つながり方を変えていくことで、
外から内を気遣えて、内は外とつながることで開放感や連帯感を手に入れられるような、
そんな環境をデザインすることはできないのでしょうか。

ヒントとなりそうな事例を、いくつか挙げてみます。



地域社会圏主義構想

僕がこれまで述べてきた事柄を考えついたのは、約1年前。
でも当然ながら、それ以前に考えて実践してきた人がいました。

それが、山本理顕さんが提唱する「地域社会圏主義」です。

Hello, my dear.
http://www.tozai-as.or.jp/mytech/09/09-yamamoto16.htmlより抜粋。

詳しくは著書『地域社会圏主義』をご参考いただきたく存じますが、
不遜ながら内容をざっくりまとめてしまうと、

・500人程度の住人をひとつの単位として生きるコミュニティを想定した住居を建設
・各人のイエは「見世」と「寝間」で構成され、「見世」は外に向かってガラス張りの開かれた空間、「寝間」はプライバシーの高い場所となっており、住居人は自分のイエの構成を好きに選べる
(「見世」を広くとってお店を構えてもいいし、「寝間」を広くして普通の家に近づけてもいい」)
・共有物/スペースが各人のイエ同士をつなぐ空間に散りばめられ、自然と交流が生まれるように設計されている
・コミュニティには育児所や医者も常駐し、ひとつの経済圏として成り立つシステムになる

といったところでしょうか。

個人のスペースを守りつつも、周りの住民との共有物/スペースを創出することで、
自然的自発的に他人との交流が生まれるような住環境。

これだったら周囲の人との交流が生まれますし、
異変があればすぐに気がつきますし、
何より教室や職場以外の「自分の居場所」がきちんとできる気がします。


また、これはこれまでの文脈とは全く別の視点ですが...
「自助」「公助」ではなく、「共助」が生まれる生活環境の整備が可能です。


2050年の世界と日本の予測を鑑みると、
世界の人口はピークの90億~100億人に達し、大半の国家が「先進国」になります。

一方で、日本の人口は9000万人を割り、人口の4割は高齢者。
若者1人で1人の高齢者を支えることになるため、年金制度は瓦解するとも言われています。

そこで間違いなく起こるのは、まず社会保障関係費(福祉、失業保護等)の増大。
2015年には消費税が10%になるとも言われていましたが(政権交代でまた代わりそうですが...)、
その大半は高齢者増加に伴い膨れ上がる社会保障費の歳出に当てられ、歳入はあまり増えません。

また、その一方で、世界各国が続々と「先進国」になり、
特に人口が多く、資源の多いアジア諸国が工業製品の生産を担うようになるため、
「超先進国」である日本には、これまでの工業製品に対する需要は期待できません。

結果、ロボットや医療といった超先端技術分野や、
ハイコンテキストや国民性が要求される弁護士などの専門職種や公務員の分野、
観光資源を活用したツーリズムの分野など以外で、国際的に生き残るのは難しいかもしれません。


つまり、現行のシステムでは「公助」(公的機関の税金による支援)には限界があり、
かといって「自助」が成り立つほど、日本に働き口は残っていないかもしれない。

そこで必要となるのが「共助」のシステムであり、
この地域社会圏主義の構想は、それを可能にする先進的な取り組みになるかもしれません。
共助によって社会保障関係費が抑えられれば、国家成長のために別の分野に投資することも可能です。


こうした観点からも、地域社会圏主義が提唱する新しい住環境への取り組みは、
おおいな魅力と可能性を秘めているように感じています。



スガモフラット

先程の「地域社会圏主義」ではまだ構想段階の話でしたが、
既存の住環境とはいえ、それに近い実験的な取り組みが既に実現しています。

それが、「スガモフラット」です。

Hello, my dear.
http://share-living.jp/living/post219/より抜粋。

スガモフラットは、コレクティブハウスと呼ばれる戸数11戸の小規模な集合住宅で、
ひとつ屋根の下にそれぞれの住戸と共有スペースを持ちます。

Hello, my dear.
http://www.chc.or.jp/chcproject/sugamo/about.htmlより抜粋。

現在の居住者は大人が15人と子どもが5人だそうで、
月1回の定例会などで暮らしの中のさまざまなことをみんなで話し合いながら、
交代で料理や掃除をしたり、テラスでガーデニングをしたりと、
家事を分担しあってハウスの自主管理・運営を行っているそうです。

素敵なポイントはほぼ「地域社会圏主義」で述べたものと、なんら変わりはないです。
ただ、「地域社会圏主義」のような大きな住環境整備がなくとも、
他人とのうまい共同生活が可能だという一つのブライト・スポットになるかもしれません。


ここで育った子どもたちは、何を想い、どんな大人に成長するのでしょうか。
ここで暮らす親は、おじさんおばさんたちは、何を感じているのでしょうか。

とても気になりますし、今後が楽しみです。



スマートコミュニティ稲毛

こうした「他人と共同生活をおくる」生活環境のデザインは、
高齢者に特化したかたちでも実現しています。

それが、「スマートコミュニティ稲毛」です。

$Hello, my dear.
http://www.smartcommunity.co.jp/community/より抜粋。

千葉市の郊外に異色の分譲マンションとして建築された「スマートコミュニティ稲毛」は、
50歳以上で介護を必要としないことが入居条件という、
『アクティブシニアタウン』と呼ばれる独自のコンセプトを掲げています。

十分な入居スペースや広い庭はもちろん、懐石料理からダンス・カラオケ、
さらにはゴルフやテニスコートもあるなど、ここには充実した街規模の設備が揃っています。

さらに、24時間フロントスタッフが常駐しており、強引な勧誘販売やしつこいセールス、
外部からの侵入犯罪などもシャットアウトできるのだとか。
健康管理の面では、医師や介護スタッフも充実させるなど、安全安心面にも力を入れています。


また、住民の方々は、陶芸やゴルフなど、
約20のサークルを立ち上げ、日々それぞれのコミュニティで楽しんでいるそうです。

Hello, my dear.
http://www.yurutsuna.jp/report_inland/pg188.htmlより抜粋。

50歳以上で介護を必要としないことを入居条件としている大きなポイントとして、
こうして住民同士が自発的に繋がり合い、
自ら生きがいを創出するエネルギーを持っていることが挙げられそうです。

また、それにより共用で使える設備やスペースも増えてくるので、
ひとり当たりのコストを抑えることにも貢献しているといえます。

2010年に開業以来、入居者数は現在約200人となっているそうですが、
今後の目標を最大1千人とするなど、まだまだこれからが楽しみな取り組みです。



禅の庭と住居の融合

これまで、主に住環境の構造と住居人の関わり方にフォーカスした事例をご紹介してきましたが、
全く別の視点から考えて、個人的に「禅の庭」が面白い可能性を秘めている気がしています。

Hello, my dear.
京都・曼殊院にて撮影(2011.11.24)


庭、特に禅の庭には、大きく2つの効能があるように思います。


1つは、自分と向き合い時間を与え、"今"という時間を愛せるようになるということ。

禅の庭は、訪れるものをハッとさせ、優しく包み込み、そこを漂う空気と時間を愛させ、
そしてゆっくりと自分と向き合う時間を流してくれるような。

言葉にしてしまうと嘘くさくて的確な表現は出来ませんが、
禅の精神が宿った庭は、人を包み込むような大自然の包容力を持ち、
余分なものを身体から洗い流して、ゆっくりと自分と語り合う時間を与えてくれるように思います。

そしてそれこそ、都会に住む人々が忘れてしまった時間であり、
週末に京都や鎌倉に旅行してでも手に入れたい感覚なのではないでしょうか。


こうした実感をもとに、
実際に禅の庭をつくられているのが、枡野俊明さん。

Hello, my dear.
枡野俊明さん
http://doraku.asahi.com/hito/runner/070816_02.htmlより抜粋。

Hello, my dear.
『三貴庭』(外務省 中庭 /2005)
http://www.kenkohji.jp/s/japanese/majojwork/japanese_g.htmlより抜粋。


実際に生きている石、樹木等をそのまま組み合わせ、
命を活かし、生きた庭をつくる。

そこに込められた技法や想いはあまりにも尊く、
人間が為せるワザの範疇を超えているとも思えてしまいます。
(詳しくは著書「共生のデザイン」をご参照ください。)

そうして人々は庭に対峙し、自分らしさを取り戻す悠久とした時間を過ごす。
そこは間違いなく自分の「居場所」となり、心の拠り所となる。

対峙した人は自分を見つめ、肩の力を抜き、もっと優しくなれる気がします。
そしてそのあなたこそが、本来のあなたであるような気もするのです。

こうした空間と時間が住環境にあるということは、
とても大切なことなのではないでしょうか。


禅の庭には大きく2つの効能がある、といいましたが、
もう1つは「公」と「私」のつながりを曖昧にする効果だと思っています。

庭とは開かれた空間であり、自然が息づく環境。
それは、現在の住環境の「内部」においてはあまり見られない空間でもあります。

しかし、住環境の「内部」に庭があると、どうなるか。

「私」の空間に「公」の空間が入り込むということは、
私と公の環境が"隔たれたもの"ではなく、"共有され、続いているもの"という
感覚につながるのではないでしょうか。

そしてそれは、他の住民や街とつながっている感覚につながり、
開放感や連帯感の醸成にまでゆったりとつながっていくような気がしています。


実際、最新の先端建築の事例を紹介するdezeenでは、
そうした趣のある住環境が最近は積極的に取り上げられている気がします。

$Hello, my dear.
Pit House by UID Architects
http://www.dezeen.com/2012/10/10/pit-house-by-uid-architects/より抜粋。

Hello, my dear.
Villa SK by Atelier Thomas Pucher
http://www.dezeen.com/2012/08/14/villa-sk-by-atelier-thomas-pucher/より抜粋。

Hello, my dear.
The Park House by Formwerkz Architects
http://www.dezeen.com/2012/02/21/the-park-house-by-formwerkz-architects/より抜粋。

Hello, my dear.
Cube Court House by Shinichi Ogawa & Associates
http://www.dezeen.com/2012/02/27/cube-court-house-by-shinichi-ogawa-associates/より抜粋。


また、これは余談になると思いますが...

僕はふらふら色んなカフェに行くのですが、
特にスターバックスは空間設計の在り方として面白いヒントをくれます。

Hello, my dear.
スターバックス 新宿サザンテラス店

スターバックスの店舗は往々にして、

・奥行きのある、細長い店舗の空間設計になっている
・細長いが故に多くのスペースが大きな窓に面しており、開かれている
・店内の照明は明るすぎず、色彩や素材の使い方でうまく世界観を維持している

といった特徴を兼ね備えた店舗が多い気がしているのですが、
これによって、

・奥に行く=今までいた自分の世界と切り離され、違う世界に行ける感覚をいざなう
(神社では鳥居をくぐってから境内に行くまでに奥行きがあり、進むにつれて日常空間から離れて神聖な場所に辿り着ける、という感覚を醸成している仕組みと類似している気がします。)
・常に空間が開かれ、開放感と外部とつながる心地よさを与えている
・それでいて内部の世界観がきちっと構築され、外とは別の世界にいるという感覚を残す

といった感覚の醸成に成功しているような気がします。


で、これってまさに、
今まで考察してきた住環境にもヒントを与える空間設計だと思います。

「プライベート空間もきちんとありながら、スタバの店舗のように閉じているのに開かれた家」
って結構住みたいですが、これって僕だけの感覚なのでしょうか。笑



「公私のつながりをなだらかにする」
各事例を通してのまとめ


これまで、
・地域社会圏主義構想
・スガモフラット
・スマートコミュニティ稲毛
・禅の庭と住居の融合
(・スタバの空間設計)

といった事例をもとに、「公私のつながりをなだらかにする」ことで、
利他的な行動が生まれやすい環境をデザインできないか、ということを考察してきました。

大きな特徴として、
*「近くに誰が住んでいるのか」に関する住居人のアイデンティティ情報の一部(家族構成、年齢、入居理由等)を共有できると、理解・共感が生まれて一体感や協調を生みやすい
*生活の一部を自発的/強制的に共有させる物・スペースを設置することで、他の人々との交流が自然に生まれる
*禅の庭を設置することで、外部とつながりながら自分と向き合い、居場所を見つけたり優しくなれたりする可能性ができる

などが挙げられるかと思います。

ただ、その一方で、
アイデンティティ情報の一部を共有したり、共有物・スペースを活用したりするには、
これをうまくマネジメントする人の存在が欠かせません。
また、こうした住環境そのものを改築する体力のないところも多いはず。


では、どうすればいいのか。

そのヒントを、
②公共物(ハード)を介してシビックプライドを醸成する
③システム(ソフト)を通じてコミュニティを構築する

を通して探っていけたらと思います。


Thank you^^.