ブログのタイトルを変えました。 | Apollo-12

Apollo-12

広告とか、コミュニケーションとか。
社会貢献とか、社会起業とか。
まちづくりとか、コミュニティデザインとか。
そうしたものたちの、少し先とか横の話。

執筆連載の途中ですが、ブログのタイトルを変更しました。


「Apollo-12」

アポロ12号です。

Apollo-12


奇跡的にこのブログをご覧の皆様は、

人類初の月面着陸を果たしたアポロ11号でもなく、
ドラマチックな生還を果たしたアポロ13号でもなく、

その間に挟まれてちゃっかり月へ行って帰ってきた、
地味でちょっとバカな愛くるしい英雄たちをご存知でしょうか。


乗組員は、ピート・コンラッド船長、
そしてリチャード・ゴードン司令船操縦士と、アラン・ビーン月面操縦士。

Apollo-12

この3人には、宇宙飛行士とは思えない、
なんとも滑稽で愛くるしい逸話がたくさんあります。


例えば、
人類初のカラーカメラによる放送をするはずが、
船長がうっかりカメラを太陽に向けてしまい、
月面着陸後すぐに放送終了となってしまったこととか。

例えば、
持ち込み禁止のセルフタイマーカメラで写真撮影を行って写真分析官を困らせる予定が、
船外活動中にカメラを紛失して結局失敗に終わってしまったこととか。

例えば、
野球帽のコレクションが好きな船長が、
宇宙服のヘルメットの上からでも被れる巨大帽子を持っていったのに、
余分な荷物になるためロケットに積ませてもらえなかったこととか。

例えば、
乗組予備員たちが船員の使うチェックリストにプレイボーイ紙のグラビアをこっそりはさみ、
船員たちは人類初の月にポルノを持ち込んだ人物となったこととか。



まだまだ他にもありますが、
どのエピーソードも、とても宇宙飛行士とは思えないような。

11号が成し得た「人類初」の偉業と注目もなければ、
13号が成し得た「奇跡の生還」という劇的なドラマもない。


それでも、月へ行って、帰ってきた。

自分たちらしくバカなことをやりながら、
世間の人々からは成功して当然だと思われながら、
無事に偉大なミッションを終えて、笑顔で帰ってきた。

後世の人々から、注目や賞賛もされない。
映画化やドラマ化するにもほど遠い。

でも、だからこそ、
微笑んでウインクしたくなるような、静かな感動がある。


テレビで紹介されるような有名人など人類のほんの1%で、
残り99%の僕たちは、ひっそりと生きて、力強く生きて、死んでいく。

そうした、あまりにも尊い普通の人たちの営みに、人生に、
アポロ12号の乗組員たちの姿を重ねてしまいます。



あと、アポロ12号にまつわる大好きなエピソードがひとつ。

船員たちは、ミッション・パッチと呼ばれる刺繍を胸に宇宙へと飛び立ちました。

Apollo-12

海軍出身の彼らを讃え、1700年代の快速帆船 (clipper ship) 。
APOLLO XIIというミッション名と、乗員3人の名前の刺繍。

そして、宇宙に浮かぶ4つの星があります。

3つの星は、3人の飛行士を。
そして残りの1つは、訓練中に事故死してしまったクリフトン・ウィリアムズ氏を表すそうです。


僕がアポロの乗組員になれるなら、11号ではなく、13号でもなく、
仲間を大切に想いながら偉大な普通を生きる、12号の人たちに寄り添いたいから。

12号の人たちのために、何ができるかを考えたいから。


そんな想いを込めて、
ブログのタイトルを「Apollo-12」にしてみました。

内容も、
・広告などのコミュニケーション領域
・社会貢献や社会起業などのソーシャル領域
・まちづくりなどのコミュニティデザイン領域
を意識して書いていきたいと思います。



そしてあと、もうひとつの意味が。

これは、連載執筆のテーマが「真っ暗な森で、ロケットを探す」
になっていることとも関係するのですが、


毎日の日々を、真っ暗な森で迷うことに。
人生の目標を、夜空に浮かぶ月に。

それぞれ喩えて考えています。


どういうことか。

最近、学生時代にお世話になっていた奨学金団体に
「卒業生としてエッセイを寄せてくれ」と頼まれて、
その際書いた文章がちょうどあるので、それをこちらに転載します。

たいした文章じゃないです。
ほんとしょうもないエッセイです。

ですが、先程述べた喩えの意味はわかっていただけるかと思いますので、掲載します。



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『これまでのこと。これからのこと。』

最初は、なだらかな平野だった。
どこを見渡しても素晴らしい景色が広がっていて、
足枷となるようなことは何ひとつなくて、
だから僕は、どこへでも行けるはずだった。

ところが、気の赴くままに歩き始めたら、
色々なところで躓いたり、時には誰かに強引に手を引かれたりして、
気がつけば僕は森の中にいた。

もう日は暮れて、辺りは暗く、心細い。
こんなところで立ち止まるわけには、いかないのに。

ふと見上げる。月があった。
暗い夜でも、僕が進むべき道を照らしていた。
暗い夜だからこそ、僕が進むべき道を照らせていた。

月明かりを頼りに、僕はまた歩き始める。歩き続ける。
いつか月に、手が届く場所を目指して。


人生もこれと同じようなものだと思ったのは、ちょうど去年の今ごろ、就職活動の真っ最中だった。
生まれたときはあらゆる未来と可能性を持ち、どこへでも行けたはずなのに、気がつけば、僕は今の僕を選んでいた。先や未来のことをちょっとは真剣に考え始める大学入学したての頃には、まるで夜の森に迷い込んだかのように進むべき方向がわからず、不安だった。
授業、サークル、ボランティア。目の前の木々に矢印を刻んで進んでみても、また同じ場所に戻ってきてしまったかのような日々。大学2年生の頃に海外ボランティアと国内旅館の再生事業に取り組んだのは、どこかに行きたいというよりも、ここにいたくないという想いの方が、実は強かったのかもしれない。

でも、そうした試行錯誤の末、ようやく気がつくのでした。
木を見て森を見ず、もっと広い視野で自分の人生の歩み方を考え直す必要を。
森を見て月を見ず、森を抜けた先に、自分は結局どこへ辿り着きたいのかを知る必要を。

ボランティアや社会事業をやってみて気がついたのは、僕は社会を良くしたいのだということ。そして社会を良くするには、アイデアが必要だということ。ボランティアという社会貢献はもう何十年も続いていて、でも何十年も繰り返していて解決しないのであれば、何かやりかたを変える必要があるのではないか。でも、やりかたを変えてやってみた社会事業では、興すよりも継続させることの方が難しかった。
だとしたら、課題をきちんと解決していけるような発想力と実行力を、きちんと鍛える必要がある。そんな思いが2年生の終わり頃には既にあって、だから就職先は「あらゆる課題をアイデアで解決する」を仕事にする広告代理店にしたし、その選択は間違いではなかったと、幸い今のところは思っている。

あのとき気がついたのは、まだ23年分しか生きていない未熟者がいうのも大変畏れ多いが、人生の歩み方だった気がする。
日々は森林のように鬱蒼と生い茂っていて、そこをなんとか切り抜けていかなければならない。文字通り、お先真っ暗、なんてこともあるだろう。それでも、目の前の木々にとらわれず森全体を見渡して、どんなルートで切り抜けていくべきかを考える中長期的な視座は必要だと思う。そしてそれ以上に、森をなぜ抜けたいのか、森を抜けた先にどこへ辿り着きたいのか、という疑問に答えられるだけの、人生の目標が必要だと思う。つまり、自分だけの月が必要だと思う。
僕は、社会を良くしたい。世界が教室なら、隅にいるような子に声を掛けたい。教室にも来られないような子の力になりたい。これが、僕の月。
目標がなくても歩き続けられるほど、僕らはきっと強くない。

月は、ときどき欠ける。雲に隠れもする。
いつでもいつまでも、満月のようにはっきりくっきりと目標を定め続けられるわけではないし、日が昇れば月は姿を消してしまう。
それでも月は、「そこにある」。忘れてしまっても、また夜空を見上げて思い出せばいい。
そうやって自分だけの月をいつも探して、見つけて、目指して歩んでいきたいなと思います。

...と、ここで終わってもいいのですが、皆様書かれるのが平均2000字だということですので、もう少し(笑)。

最近は、「木の葉を見つめること」「星を見ること」「ロケットの材料を探すこと」を気に掛けています。
「木の葉を見つめること」。高くて広い視座からばかり物事を俯瞰してみていては、小さくても大切なことを見逃してしまうかもしれません。目の前のことにも真摯に、謙虚に、ひたむきに。向き合いたいと思います。
「星を見ること」。月もいいですが、周りに輝く星も美しい。目標しか目に入らないような狭い視野を持つのではなく、好奇心旺盛に、素晴らしいものには目を向けること。後々星座となって、思わぬつながりやかたちとなるかもしれませんから。
「ロケットの材料を探すこと」。月はただ見上げていても、手は届きません。いつかどこかで月に旅立てるよう、ロケットが必要です。そしてそれを組み立てる部品と、協力するクルーが必要です。常にアンテナを張って、チャンスを掴みたいと思います。

そして、最後に。
「月を見て太陽を見ず」という視点の大切さ。

「月はなぜ光っていられるのか」ということは、忘れてはならないと思っています。裏には、太陽の存在がある。これまでの人生や家族、僕を支えてくれていた全てのことがエネルギーとなって、目標を照らし続けてくれているのだと思います。

僕の「これまで」が、「これから」を照らしている。
そう思って、いつも心のどこかで感謝しながら生きていきたいと思います。
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執筆連載の続きは、また来週にでも更新します。


thank you ^^.