黒くなった乳首は戻らない。母の日に思ったこと。 | ミニピンりんちゃんの日記

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ミニチュアピンシャーのりんちゃんの日記です。





ななぴぃです
こんばんは




毎年ながら夫夫そろって
「母の日」を当日のTwitterを開いて知る




いつも贈りものとか
してもらってばっかりな
長男同士の夫夫ですチーン
ほんとごめんさい




私が親不孝なのは
今に始まったことではありません
(ひらきなおり?w)




ななぴぃの高校時代の話をします




あんまり良い子じゃなかったです



高校に入って
部活、最初は一生懸命にやってたのだけど
先生と喧嘩してクビになりました。
そもそも先生という生き物が
嫌いでした



小学生のときから先生という生き物に


「先生からみてもオカマにみえる」

「七崎君をいじめる子の気持ちがわかる」

「ブリッこしてるからいじめられるんだ」

「クネクネするな」

「彼女ができれば少しは
男らしくなるんじゃないか
彼女をつくれ」



彼女を作れと言われたときに
僕は同性のハセに片思いを
絶賛もがき苦しんでいる最中でした



自分でも自分がよくわからない
恐怖のなか
この言葉たちは
若い私の心の中心を
エグりにエグっていきました
そこでムクムクと育ったのが
反骨精神です



今思えばその先生個人の問題なのだけど
当時は
先生はこういう生き物
大人はこういう生き物
と偏見を私が持っていたと思います




今考えたら驚くことなのですが
私は本当に、昔から
良い意味でも、悪い意味でも「素直」です




だから大嫌いな先生の授業のとき
いまでも覚えていますが…




先生を視界に入れたくない私が
ずっと下を向いていて
呼ばれても無視!




先生が痺れを切らし
「七崎、前を向け」と言ったとき
私は椅子を反転させ
教室の後ろを向いて座ったのです
(ほんとにそういう子だった…)



ありえないよね……
でも当時の僕の精一杯の意思表示だったと
思います(高校を辞める気はなかったから)




驚く後ろの席の子に
「ごめん。あの先生が嫌いすぎて顔が見たくない」と言って
「何があったの?」って言われた気がするけど
それが誰だったかは覚えていません
けど、何があったかを話すことは
しませんでした(ゲイバレしたくないから)
迷惑かけてごめん……汗



バイトを始めて
当時はゆるかった
ススキノで朝まで飲みあるくような
高校生活をおくっておりました



いまも覚えてるのは
当時、ななぴぃ
「泣き上戸」だったんです……



飲んで
泣いて
学校に行って
バイトに行って
飲んで
泣いて
の繰り返し……




なんか、溜まってたんでしょうね
思春期の心は宇宙くらい複雑です



日サロに通いまくっていたのも
反骨精神の一つだったかもしれません



まっくろ……









お母さんが
「大人になってから後悔するから
日焼けするのやめたら?」



って言ってくれたのにね



いまめちゃくちゃ後悔してます



もともと美白だったのに…
黒くなった乳首は
もうピンクには戻りません……えーんえーんえーんえーん




私は美白で、清楚に売っていくべきでしたニヤニヤ
日サロに通ってた自分を
ビンタしたい…



お母さんにカミングアウトしてから
7年くらい
ギクシャクした時期がありました



よかったら読んでください




それでも今では1番の理解者です



僕の自伝本を
家で一人で読みながら
涙を流していたのを
たまたま目撃しちゃった…と
義理の弟から報告を受けたときに



その情景も目に浮かびました



一緒に散々泣いたもんね



でもありがとう



お母さんは
これからも僕のお母さんですニコニコ



30過ぎても甘えてばっかりだし
心配かけてばっかりだし



やー、
どうしたもんかね



まぁ、しょうがないか!チュー



なんかぐるぐると
想いを巡らす母の日でした



感謝の念を送っときます