2015年8月30日(日)
おはようございます。
長かった8月も、もう残すところ1日・・・・。
日が経つのは早いと実感するこの頃です。
8月30日
今日は何の日カレンダーから・・・・
▲マッカーサー元帥、厚木飛行場にサングラスにコーンパイプ姿をはじめて
日本人の前に現した(1945)
1945年8月15日の終戦を受けて、
占領軍最高司令官として、日本に降りたちました。
15日後だなあ・・・・。と思います。
どんな思いで当時の人々はマッカーサー元帥を迎えたのだろうかなあ・・・と想像します。
「鬼畜米英」と恐れられ、何をするかわからない。鬼のような人だろうと恐れていたでしょう。
その姿は、サングラス(レーバンのサングラス:空軍で正式採用されて不朽の名作)コーンパイプを口に加えて・・・・・。
傲岸不遜と言うか、まさに占領軍の大将と言う感じでした。
この写真は有名です。
良くも悪くも、戦後日本はこのマッカーサー元帥によって復興の道を歩むのです。
マッカーサーはスコットランド貴族の末裔で、由緒正しき家柄です。
そしてアメリカの陸軍士官学校を史上まれな好成績で卒業した秀才でもあります。
また数々の軍歴の中で功績をあげ、元帥にまでなった方です。
アメリカ大統領選挙にも名前があがり、一時は有望視されていました。
当時の大統領(トルーマン)と折り合いが良くなかったようですが、信念の人でもあり、大統領のいいなりではなく、自分の考えで日本の占領政策を進めて行ったようです。
大統領にも逆らう事もいとわない人でした(後に朝鮮戦争の時の指揮の方法でトルーマン大統領に最高司令官の地位を更迭されています。)
このマッカーサー元帥によって日本の占領政策が導かれた事は、これもいろいろな見方がありますが。日本にとって大いに恵まれたと思います。
彼は、日本の復興のために、また日本をソ連、中国から守るために(彼は共産主義が大嫌いだった)非常の尽力をしてくれています。
日本国憲法も、彼(GHQ:連合国軍最高司令官総司令部)の意見は大いに用いられています。
歴史を私たちは、どうしても一方的な見方でしか学ぶことが出来ません。
マッカーサーの占領政策が良かったのかどうか?
日本国憲法はGHQのお仕着せだと言う人もいます。
しかし、GHQの圧倒的な力があったからこそ出来だ憲法だとも言えます。
全てが悪い、すべてが正しいと決めつける事が出来ないのが歴史ではないでしょうか。
さてマッカーサーは、サングラスに、コーンパイプと言うラフな、考えようによれば傲慢そうな服装で日本に立ち降りました。
そしてそのような態度で、天皇に会いました。(9月28日)
天皇は戦争犯罪人のトップとして処刑せよとの空気は強い中です。
マッカーサーの前に正装して現れた天皇は会談の中で「自分は処刑されてもいい。全責任は私にある。しかし、国民をどうか助け導いて欲しい」との真実な誠実な言葉を聞き、
天皇を非常に尊敬し、天皇を日本国再建の柱とする事を決めます。
その時の一枚の写真も、非常に有名です。
失礼と言えば失礼な姿です。しかし、これが今の日本の現状であるとの認識も人々に与えました。
マッカーサーがGHQに天皇を呼び出して、出迎えもせず、会談を行い、記念写真を撮ったものです。
今まで現人神(あらひとがみ)と讃えられていた天皇がたとえ、負けたとはいえ、このような屈辱的な写真に納まるとは・・・・
日本はこの写真の掲載に抵抗したようですが、力はGHQにありました。まさに占領された国だったのです。
しかし、マッカーサーは会談の中で天皇陛下の人格に痛く感銘し、また尊敬し、この人を殺してしまって日本を再興する事はできない。この天皇は大切に扱う必要があると考え、当初は予定になかった見送りに玄関まで出たそうです。
しかし、この写真は掲載した・・・・。
ここに日本人の心を、研究したアメリカの占領政策のすごさを覚えます。
日本が戦中、「鬼畜米英」と言って彼らを鬼か獣のように考えていた時、
アメリカでは「菊と刀」という本が書かれていました。
それは、敵国である、日本人はどのような考え方をしているかと言う事を、真面目に、研究した本です。
日本の占領政策をどのようにして行けば良いかと言う事を、研究しています。
ルース・ベネディクトという日本に来た事もない女性が研究した本ですが、日本人の特性を非常に良くつかんでいます。(すべてが正解ではないですが)
その中で日本人には、まずガツンと傲慢な態度を見せておく・・・。
これもあるようです。
私たちは案外高飛車に来られると弱い(笑い)
そして天皇陛下を虐待する事は、かえって日本人を反抗させることになる。
天皇の持っている日本国民をまとめる力と言うものを、形だけは大切にしよう。
そんな考えが出て来ています。
日本はマッカーサーの占領政策によって、よくも悪くも(良い方が多いと私は思います。奇跡的な事です) 復興してくることができた大きな要素ではないかと思います。
そのマッカーサー元帥が初めて、占領軍最高司令官として日本に降りたった日
サングラスとコーンパイプを口に加えて、彼らしい、登場の仕方をした日が8月30日でした。
彼を中心とした占領政策によって、日本は大いに救われたように私は感じています。