聖書の言葉です。1/2 | 牧師剣士     (堺育麦キリスト教会牧師)

牧師剣士     (堺育麦キリスト教会牧師)

48歳から28年ぶりに剣道再開。
すっかりはまってしまいました。
57歳で五段をいただきました。長年クリスチャン剣士でしたが、2010年11月に牧師になりました。これからも神と人に仕える者となっていきたいと願っています。剣道修業も続けていきます。

2015823日(日)

おはようございます。

まだまだ暑さが厳しいですが、少し秋の気配を感じる頃となりました。

小学生、中学生の生徒さんにとっては、長い夏休みがもうすぐ終わる・・・・。

ブルーな一週間かも知れません。

私なんかは、宿題もバッチリ終わって、もう学校に行って勉強がしたいので、「もうすぐ夏休みが終わる!!!」とお正月を待つように新学期を楽しみにしていた一週間でした。(全く、逆です)

さて今日は何の日カレンダーから

会津白虎隊が自刃(1868)

この出来事が目に飛び込んできました。

一昨年のNHK大河ドラマ「八重の桜」でもご存知の方も多いと思います。

私は司馬遼太郎が大好きで、幕末の話はちょっとマニアックなくらいです。

坂本龍馬、高杉晋作、吉田松陰、西郷隆盛、大久保利通、江藤新平・・・・。など明治維新の立役者となった人々の事は良く学びました。

そして歴史観は、ほぼ討幕派の見方で漠然と考えていたように思います。

ただ、新選組や河合継之助、最後の将軍:徳川慶喜などなどで、幕府方の事も少しは理解していました。

その中で幕末、誰も引き受け手がないような損な役回りの京都守護職(動乱の京都の町を守る警察のような役回り)を引き受けた会津藩(藩主:松平容保)には、何か犯しがたい武士としての矜持(きょうじ)を感じていました。

討幕側にとっては憎むべき相手ではあるが、一本筋の通った、幕末にあって最も武士道に立った藩のように思い、

会津藩と言うのは尊敬していました。

あの時期、藩として最も強く、誇り高き、正義の藩のように感じていました。

しかし、時の流れは、勤皇倒幕に流れ、王政復古の詔勅をもった官軍(この時点で会津藩が賊軍になる事もおかしな話ですが、勤皇と言う事については、会津藩ほど勤皇はなかった)との鳥羽伏見の戦いを初めとした戊辰戦争で徳川幕府を守る最前線に立った会津藩は滅ぼされるのです。

何も会津藩が滅ぼされなければならなかったと思うのですが、

歴史の残酷さ、政治の残酷さ

明治維新の討幕と言う中で、スケープゴート(犠牲のこひつじ・いけにえ) 見せしめのように会津藩は滅ぼされるのです。

幕末にあって、学問的にも文武において優れていて尊敬され、また恐れられていた会津藩は、徹底的に滅ぼされたのです。

戊辰戦争は日本国内で起こったいわば内戦です。同じ国民が、この間までは縁戚、友人関係にあった者たちが、互いに殺し合うのです。

悲しい戦争です。

戊辰戦争は、徳川幕府が恭順(天皇につつしんで従う姿勢)を示し、江戸城明け渡しの時点で終わっていても良かったように思うのです。

しかし、討幕運動の中で、幕府方の先頭に立った会津藩への憎しみは薩長などの官軍の中であったのです。

確かに、会津藩によって自分の親兄弟を殺された人々がたくさんいて、「会津憎し!」との感情は、政治的に江戸城開城(これは徳川幕府の無条件降伏にあたります)だけでは、無血開城だけでは済まなかったのです。

この解決には血が流される必要があったのです。

それが会津藩への徹底的な攻撃でした。

当時会津藩は文武両道とはいえ、軍備は旧式

官軍の圧倒的な、最新式の火器(大砲・銃)には全く太刀打ちもできなかったのです。

しかし、官軍はこの会津藩を滅ぼすと言う事が維新を完成させると言う思い(これもわかります)で会津に攻め込むのです。

かたや、会津は旧式の武器、刀、槍で対抗するのです。そこには会津藩としての武士の誇りのようなものがありました。

そして戦いは続くのです。

会津戦争は明治元年922日に会津藩の降伏により終わるのですが、その一か月前 明治元年(1968年)823日 白虎隊の自刃と言う悲劇が起こるのです。

白虎隊とは会津の軍制の中で、本来は戦闘に加わる事のない予備役の隊です。

会津藩の高級武士階級の16~17歳(数え年ですからもっと若い)の少年とも言える武士の子弟で構成された隊です。

会津藩への攻撃が激しくなる中で、防戦のために、本来は戦争に行く事のない白虎隊まで戦闘にでたのです。

太平洋戦争の終わりに、兵役を免除されていた将来の国をになうべき大学生が、学徒動員で出兵したようなものです。

白虎隊は、出陣したその日に、敗戦退却をせざるを得ぬようになります。

落ち延びた飯盛山で、白虎隊士20名は、はるかにのぞむ会津若松城が黒煙に包まれ落城したと思い(これには異説があるようですが)

生きて、敵軍に捕えられ生き恥をさらさないようにと全員が自刃するのです。

武士の子弟としてそのような教育を受けて来ていましたから

太平洋戦争の時の、「玉砕」と言う言葉を思います。

生きたかった人もあったと思いますが、それは口に出せなかったのです。

16歳ぐらいのまさに前途ある若者が、集団で自刃したのです。

この時、蘇生した一人の人によってその顛末は残されています。

本来罪もなかった会津藩が、討幕軍の見せしめとして、スケープゴートとして、いけにえとして血祭りにあげられた。

死ななくても良かった白虎隊が死ぬことによって、会津が滅びる事によって、戊辰戦争は一つのかたがついたような気がします。

戦争の悲惨さ、政治の残酷さを覚えます。

その中で、死んでいった白虎隊の若者の事を思うと涙を禁じえません。

話はずれるかもしれませんが、私たちの罪のためには、血が流されなければなりません。誰かが罰を受けなければなりません。

それを罪のないイエス・キリストが十字架にかかって、私たちの罪の罰を代わりに受けて下さいました。

それゆえに私たちは、イエス・キリストの十字架の死のゆえに私たちの罪は帳消しにされ、今、神の家族とされているのです。

イエス・キリストこそ、まことのスケープゴートです。

147年前 日本の会津の地で起こった、白虎隊の自刃 それが823日の出来事でした。

今週も皆様の上に神様の祝福と守りがありますように、

夏の疲れが癒されていきますように

惠みがたくさんありますように、お祈りいたします。

今週の暗唱聖句と拙い解説をお送りします。