今週の暗唱聖句と解説
私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、 キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。 ピリピ3章13,14節
この言葉は、パウロと言ってイエス・キリストの弟子として最も大きな働きをされた人の言葉です。
彼はキリストの救いについてたくさんの事を書いています。新約聖書の手紙の中で半分以上はパウロが書いています。
世界中でパウロの書いた聖書の言葉を知らない人は少ないと思います。なかでもローマ人への手紙はキリスト教の救いについて、教理的に明確に記された信仰の論文とも言えるもので、クリスチャンになるならば、ぜひこのローマ人への手紙はしっかりと勉強しなさいと言われます。
しかもただ一度読むだけでなく、生涯にわたって何回も何回も読み続けなさと言われます。
それほどのキリスト教の指導者であるパウロが、自分はキリストの救いを完全にされたのではないと告白しています。
「自分はすでに捕えたなどとは考えていません」と言っています。もう多くの人に尊敬され、先生と呼ばれるような人になった時、「自分はもういっぱしのものになった、捕えた」と考える人がいるなら、それは傲慢や、堕落の始まりであると言えます。
人が生きている間に知れる事、捕えれることは限りがあり、小さなものなのです。
パウロは、まだまだ求めるものがあると、ただキリストを見上げて一心に走っていると言っています。
スポーツも武道も、芸術も、人生そのものも私たちは、まだ捕えたなどとは考えずに、後ろのものを忘れ(過去の栄光にしがみつくのではなく)、ひたむきに(高校球児のように)前に向かって進み、目標目指して一心に走って行きたいものではないでしょうか。
その姿は、誰かの励ましや慰めになっているかもしれません。たとえそうでなくても私たちは、いつも前を向いて一心に走って行きましょう。