NHKの「大相撲この1年」。今一つだった。まず場所を振り返るというよりトークメイン。それはいいとして45分という時間では難しい。

 

新横綱2人に新大関1人という年だがあまり壮大さを感じるには。

 

相撲の内容より力士の個性が大きい。四つが、安青錦の無双がといってもなかなか番組にならない。

北の富士健在時なら違った?

 

当然成績も。横綱のうち1人は横綱となってから優勝もできない。もう一方は最後の最後に休場。そして新大関はまだ来場所というどこか物足りなさもあるだろう。

 

とはいえそんな理由の一つとして、ほかの話題がもっていったのは大きい。東京スポーツの記事。

 

2025年の大相撲で最も衝撃的だった出来事は、元横綱白鵬翔氏(40)が夏場所後の6月に日本相撲協会を電撃退職したことだった。自身が師匠を務めていた宮城野部屋は弟子による暴力問題の影響で昨年3月に閉鎖され、師弟全員が伊勢ヶ浜部屋へ転籍。それから1年が経過しても部屋を再開できない状況に耐えきれず退職を決断した。

 くしくも、伊勢ヶ浜部屋の師匠が元横綱旭富士から元横綱照ノ富士(現伊勢ヶ浜親方)に交代するタイミング。白鵬氏の退職の理由として一部で報じられていたのが、元照ノ富士との「不仲説」だった。ただ、白鵬氏は「『照ノ富士の下が嫌だ』は、全くありません」、元照ノ富士も「自分と白鵬関の間では一切、個人的な悪い関係はない」と否定している。

 

結局「大」横綱白鵬の角界廃業。これが一番だった。

 

白鵬弟子を預かったのが、何かと不仲といわれた照ノ富士といういきさつも。そして初場所を前に白鵬に決別とばかりにほぼすべての弟子が四股名を変えた。

 

不仲ではないという。確かに酒席を共にしたこともあったとか。しかし先輩後輩という関係があるからこそ。それがひっくり返ることになっては穏やかではないのは当然。

 

白鵬照ノ富士戦は何かと荒れていた。脅威と思っていたのか。

 

そもそも歴代横綱。何かと一癖ある人が多く円満のケースもどれほどあるかというところ。
常陸山は今でこそ英雄視されるが横暴なことも数々あり。

 

あの大鵬柏戸も八百長騒動から親しくなったという。横綱は孤独。

 

若貴は同期だけに円満の仲とはいえ、これも曙の人柄が大きい。貴乃花は角界を飛び出しただけ人間的には…常識人といわれたのが北の湖。だからこそ理事長が長かった。栃錦も理事長時代は苦労がいろいろ。国技館という遺産を残した。

 

横綱は変人が多いとは誰かの評。ともかく白鵬はこのまま収まることが考えにくかった。

 

照ノ富士は大けがで人間的な深みが出た。やはり挫折は必要。白鵬は耐えきれず退職というが、現役時はほぼ耐えたことなどない。これが痛手。

 

白鵬の「引退」が一番のニュース。

 

今年もありがとうございました。

年の瀬も押し迫るところ。今年の相撲収入。大の里が2億3000万、豊昇龍が1億6000万ほど。琴櫻は8800万。大の里は2400本の懸賞。といっても給与が半分ほど。

 

これほどかという話も。だからといってむやみに上げるのも良しとは。協会全体では収益は150億円弱。

 

琴櫻は1年ダメ大関で通した。逆に言えばダメでも大関であるだけ一定の保証はされる。年間46勝で10位にも入らず。8勝「しか」できないといっても数字に反映はされにくい。いいのか悪いのか。

 

昔から相撲界は丼勘定の世界。細かいことを考えず湯水のように入った金を豪快に使ってこそが一流力士とも。

 

明治大正昭和でも太刀山・大錦・男女ノ川あたりはケチと語られることもある。この3人は引退後がパッとしない。大錦はそもそも合わないと自覚していたようだが、他の2人は親方となり、やっぱりダメといった廃業。

 

呼び出し太郎も「この世界は金をまかないとダメなんだ」と言っていたような。

 

栃木山も大正時代に200円(現代なら2000万程?)をドンちゃん騒ぎ、栃錦も神棚に置き忘れた100万(現代なら1千万程?)を付け人を引き連れ一晩できれいさっぱりとかエピソードいろいろ。

 

読売大相撲49年7月号、タニマチのことから。

 

「昨年の相撲界の所得NO1は大鵬親方の2千2百万円だった。
(中略)力士のトップ琴桜の1200万円は意外だった。
(中略)派手な生活をしている北の富士、輪島クラスが姿を見せない点で首をひねった。」

 

琴桜は今の大関の祖父。横綱昇進で実入りがあったのは納得できるが、他の力士がそれ以下はおかしいものだ。大鵬が引退後もなおもトップという、大横綱の看板。

 

上位力士は琴桜と同等かそれ以上は確実のはず。当時の計算では輪島は懸賞金だけで600万程。月給、給金をプラスすれば長く不振だった琴櫻を楽々超えるだろう。

 

琴櫻は実直なだけに額面通りに申告したというところか。

 

脱税といわずとも、相当グレーなことが通用した? 今だって怪しからんところはあれこれあるが…

初場所の番付。横綱2人、大関2人、関脇2人、小結2人の計8人。東西一人ずつ。6年前の初場所もだった。

 

  白鵬 横綱 鶴竜
貴景勝 大関 豪栄道
朝乃山 関脇 高安
阿炎 小結 大栄翔

この時も今も名前があるのは高安だけ。あと3人も現役だが番付を落とした。高安の地力の強さ。

その前は平成4初場所だった。

 

北勝海 横綱 旭富士
小錦 大関 霧島
琴錦 関脇 貴闘力
栃乃和歌 小結 曙

 

しかし横綱はもう晩年。旭富士は引退、北勝海も翌場所後に引退した。以降若貴軍団で大関三役も膨れ上がった。

 

江戸時代はほとんどが東西1人ずつの番付で、張出・3人目は少ない。

三役以上で初めて張出ができたのは文久3年7月。162年前。

 

雲龍 大関 不知火
鬼面山 関脇 鷲ヶ濱
陣幕 関脇
梶ケ濱 小結 小野川

 

陣幕は鬼神と呼ばれるほどの強豪で知られていたが、当時は年功序列。そのため前頭2枚目を4年7場所据え置きという今ではあり得ない編成。この時代には幕下二段目(今の十両)ながら名人と称えられていた両國との足取り、つかみあいの熱戦もあった。これは水入りなしの引き分けという異例のモノ。平幕と十両がその場所一番の熱戦を演じていた時代。すでに実力は横綱並みだったとも。

 

今回満を持しての関脇であったわけ。さすがの実力に特例での昇進だったのだろう。

 

小結の張出で25年後の明治21年夏。嵐山であった。


この嵐山まで張出は13回ある。しかし地位のない張出も多く実際のところはどうだったのか。陣幕の長い据え置きを見ても番付は参考程度だったのかもしれない。

 

ここ2年程の三役以上の人員を見ると

 

横綱1 大関3 関脇2 小結2
横綱1 大関4 関脇2 小結2
横綱1 大関3 関脇3 小結2
横綱1 大関2 関脇4 小結2
横綱1 大関2 関脇2 小結2
横綱2 大関1 関脇3 小結2
横綱2 大関1 関脇2 小結2 

ほぼ毎場所違う。特に大関1はアンバランス以上に問題だった。ようやく収まったともいえるがまだ落ち着きそうにもない。

 

さらに三役増産時代になるのか。あるいは三役枯渇になるのか。