ある日、突然
軍歌が流行りだした…。
なんて書くとギョッとされるかも知れませんが、戦後日本の一時期、実際にそんなことがあったようなんです。
これは1960年代初頭に起こったリバイバルブームと関係しているらしいですが、そのあたりの背景をちょっと探ってみました。
※ 尚、推測で書き進めてゆく部分もあります。
当時のリアルな事相をご存じの方がいれば、間違いなどご指摘頂ければ幸いです。
さてこの頃、
日本の若者はどんな音楽に夢中になっていたかと言うと、ひとつには歌声喫茶のブームがあり、もうひとつにはロカビリーブームがあったようです。
歌声喫茶は、日本共産党員だった関鑑子を中心とした「うたごえ運動」から派生したもので、元は喫茶店に集まった若者が、ロシア民謡、反戦歌、労働歌などを共に歌い、連帯を高める活動拠点だったようですね。
ベトナム戦争(1955年~1975年)に反対する学生運動や平和運動のうねりとも重なり、最盛期に歌声喫茶は全国に100店舗以上もあったそうです。
もんたよしのり、上條恒彦、さとう宗幸などは、歌声喫茶のステージリーダーでした。
歌声喫茶の老舗「ともしび」
(元々はロシア料理店だったそうです)
対して、ロカビリーブームは、進駐軍を通じてアメリカのポピュラー音楽が日本に持ち込まれたのが発祥と言います。
米軍クラブ等で演奏していた日本人歌手がプレスリーの影響で白人のロックンロールを始めたところ、これが若者に熱狂的に受け入れられ、一大ブームを引き起こしたもののようです。
ハイアースの看板の水原弘や、坂本九といった人もロカビリーの人気歌手でした。
坂本九
(日劇ウエスタンカーニバル)
まあ、今から考えれば歌声喫茶は親ソヴィエト文化、ロカビリーは親アメリカ文化と言っちゃって良いのかも知れません。
時代はまさに冷戦の真っ只中・・・
ただここで注目なのは、歌声喫茶ブームにしても、ロカビリーブームにしても、共にアンチ流行歌(オルタナティヴ)だったという点です。
このあたり、今も変わらない若者文化という気がします。
しかし、単純に流行歌のほうが好きな人もいれば、歌声喫茶やロカビリーについていけない人もいますよね。
ましてやご年配の面々など・・・
そんな状況下の中で巻き起こったのがリバイバルブームなのでしょう。
1960年代初頭、戦前・戦中に流行した歌が再び注目を集めるようになったと言うのです。
このブームの先駆けと言われるのが村田英雄の「人生劇場」(1959年(昭和34年))。
戦前の流行歌手、楠木繁夫が1938年(昭和13年)にリリースした同曲の再録です。
村田英雄「人生劇場」
やると思えば どこまでやるさ
それが男の 魂じゃないか
義理がすたれば この世は闇だ
なまじとめるな 夜の雨
トロイカ(露)でもない、ハウンドドッグ(米)でもない、これはまさに日本魂Σ(゚Д゚)
このヒットをきっかけに「君恋し」「無常の夢」「雨に咲く花」など、戦前のヒット曲が若手の歌手によりドンドン再録されていったそうです。
戦前の伝統への回帰、日本的価値の復古とでも言うべきムーブメントでしょうか。
そこに登場するのが、アイ・ジョージ。
フィリピン人の母を持つ、米軍キャンプ歌手出身のシンガーです。
彼はこのリバイバルブームに乗り、1963年(昭和38年)、軍国歌謡の「戦友」をカバーレコーディングします。
(元は1905年(明治38年)の楽曲)
アイ・ジョージ
1933年9月27日(現在90歳)
と言っても、アイ・ジョージは「戦友」に非戦の思いを込めていたようですね。
実際「戦友」は、戦場で亡くした友を悼む歌であり、太平洋戦争中は禁歌だったと言います。
しかし、この軍国歌謡のヒットは、当時の日本人に相当な衝撃を与えたと想像します。
なにせ1952年のサンフランシスコ講和条約まで、日本は7年間も連合国軍の占領下にあり、主権国家として独立を回復したのは、わずか10年程前。
この占領下時代、GHQは戦意高揚につながるものとして一切の軍歌を禁止していたからです。
「戦友」
「それ、聴いちゃっていいのか?」
「歌っちゃってもいいのか!?」
当時の日本人は、おそらくこんな感覚だったんじゃないでしょうか。
さらに1959年には東京オリンピック(1964年)の開催が決定、来るべき明治百年(1968年)への盛り上がりもあり、この頃の国民の間には「日本は誰にも憚ることのない独立国」という機運が醸成されていたと思います。
「GHQはもういない」
ならば、と、
さまざまなレコード会社が「愛馬進軍歌」「麦と兵隊」「暁に祈る」「同期の桜」といった昔の軍歌を若手歌手に歌わせ、次々とヒットさせてゆきます。
リバイバル曲だけでなく「あゝ特別攻撃隊」(橋幸夫)といった軍歌の新曲までもがヒットする盛り上がり様だったようです。
日本歌謡学会、古茂田信男氏の以下の回想は非常に興味深いです。
「本来ならば反戦の歌、戦争反対の歌が放送されるべき終戦記念日は、軍歌・軍国歌謡のオンパレードになり、まさに好戦記念日になってしまった。」
この軍歌復活は、一種の社会現象にまでなり、軍歌が聴ける、軍歌を歌える店が全国にオープンしていきました。
「軍歌酒場」「軍国酒場」「海軍倶楽部」「戦友」・・・・。
軍国酒場
(鹿児島市天文館)
このブームを受け、軍歌を子ども達にまで広めたのがドリフターズでしょう。
ドリフターズはクレージーキャッツと異なる路線という意味で、楽曲のモチーフに民謡や軍歌等、日本で歌い継がれてきた古い歌謡を積極的に取り入れたそうです。
たとえば「ドリフのズンドコ節」の元歌は出征兵士を歌った「海軍小唄」、「ドリフのほんとにほんとにご苦労さん」は軍隊生活の悲哀を歌った「軍隊小唄」、「ド、ド、ドリフの大爆笑」は銃後の団結を題材とした「隣組」といった具合・・・。
子どもにウケが良かったのも、親しみあるメロディの他、当時のヒーローものTVの主題歌がほぼ軍歌調だったこともあったんじゃないでしょうか。
ドリフはこんなアルバムもリリースしています。
ドリフの軍歌だよ全員集合!!
(東芝音楽工業株式会社)
またフジテレビ系列「ドリフ大爆笑」のオープニングテーマは、当初「ゆくぞ日の丸 日本の艦(ふね)だ」という歌詞が印象的な海軍軍歌「月月火水木金金」だったそうですね。
当時の映像が残されていました。
ドリフ大爆笑オープニング
戦後世代が軍歌のメロディーを知っているのは、少なからずドリフターズの影響ではないでしょうか。
さて、
GHQが禁止していたものは、国粋主義につながるものとして「任侠」「義理人情」「仇討ち」なども同様でした。
占領からの解放により、こちらは映像方面に影響を与え、やがて「ヤクザ映画ブーム」として復活してゆくことになると思います。
その話はまた、別の機会に・・・。