#20 「セデック・バレ 第一部 太陽旗」 / グローバル化!と日々口にする人ほど観るべし。 | なんだかんだ。

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いまんとこ大学生。

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「セッデク・バレ 第一部 太陽旗」



先にこの映画が観たくなる情報を一つ。







キム兄が出ています。







(´-`)







お話はというと、実際の台湾で起こった抗日暴動事件である"霧社事件"というものを映画化したもの。

もっと簡単に言うと、
この映画で描かれている台湾の先住民であるセデック族という人たちは首狩り族で、首狩り族が誇りを掛けて日本人と戦うお話。なんですね。

この映画が描いたのは"霧社事件"という日本人くそったれ事件なので、どちらかに偏った見方でもって描かれるのが普通の作られ方。
でもこの映画は驚異のバランス感覚でもって、公平な作りになってる。なので、政治的プロパガンダを前面に押し出した映画とかではもちろんなく、どちらかというとこのグローバル化に対するアンチテーゼ的な見方ができる。
もっと言えば、日本人が、というかほとんどの人がこの"首狩り族"に共感するべき話になってる。
「首狩り族とかいう、いかにも野蛮な民族に共感するわけねぇだろ…」と思うかもしれないけれど、それは違う。
なぜ日本人でも共感できるのかというと、この映画結局は

「文化が文明にとって食われる話」

だから。
セデック族の未来をなんとか繋ごうとする若者のダッキスが頭目のモーナと話をするシーンで「日本の統治には不満ですか。生活は文明的になり……」と語るシーンがある。前提として言っておくと、セデック族であるダッキスも日本人に対して悔しい思いを抱いてる。その上でこのセリフが出てる。
ここで思うんだけど、これって今の日本人の若者の思考と同じじゃないかな。
この映画内でセデック族が日本にされてることって、戦後アメリカ統治下に置かれた日本がアメリカにされたことと同じだと思うんだよね。その頃の日本の文化とでも言うべき「天皇崇拝」的な思考は、当時のアメリカ人から見たらかなり野蛮であり、排斥すべき対象だったことは間違いない。そんな文化が文明に食われたから今の日本の暮らしがあるんだよね。正直昔の日本のそんな文化は、今の自分達からしても野蛮だと思うでしょ。これって映画内のダッキスとまんま同じ考えなんじゃなかろうか。どこかで文明的な暮らしができるようになって安堵している。

誰が今の世の中で「天皇万歳!!」と言って死ねるやつを賞賛するかね。
誰が今の世の中で、学校の黒板の上に天皇の写真が飾られているのを見て違和感を感じないかね。(高校の先生に聞いた話)
誰が今の世の中で、火事の建物の中を天皇の写真を取りに行くためだけに戻った人間を賞賛するかね(同上)。

結局そんな日本人にとっても普遍的な話がこの「セデックバレ」という映画なんだと思う。セデック族は結局日本軍と戦うことを選ぶ。セデック族は「いかに死ぬか」という選択をする。この「いかに死ぬか」という思考は戦時中の日本と同じ。玉砕できなかった人間は自殺するか、もう一度突撃するかを選ばされた日本人の発想と同じ。(水木しげるさんを参考にしてます。)

ただ、印象的なのは映画内ラストの殺戮シーンのバックで流れている音楽の歌詞

~~~~~~~~~~

お前たちの喜びの涙は魂の中ですでに枯れ果てている
私の真なる子供たちよ
お前たちは知っているか
悲しみは堪えねば祖先の歌は歌えない
屈辱に耐えねば何も語れない
無念を押し殺さねば夢は叶わない

~~~~~~~~~~


誇りを貫いて死ぬか、苦渋を舐めながら生きるか。

当時の人もこの2択を自覚していたことは間違いない。
グローバル化グローバル化と叫ばれる今のこの世の中で、こんな2択に縛られない世の中になればいいなぁ。と思える映画。
そのためには仲裁者になれる人が必要なのかね。水木しげるさんが描いた、妖怪と人間の間を取り持つ鬼太郎のようなね。

今の日本人があるのは、過去の人が苦渋を舐めてくれたからなのかと考えるとまた色々考えさせられるというか、この1つの命の重みが感じられるというか、やるせないというか。どうしたもんかね。

首狩り族だけあって首狩りの華麗さにかけては他の映画の追随を許さない勢いであることは間違いないし、見るべき映画なんじゃないかな。(残酷描写は個人的にはそれほどでもないと思うけど、苦手な人は自己責任で(^^))

もう一つ言っておくと、DVDでは一部と二部に分かれているんだけど、個人的には一部だけで十分かな。気になる人だけ、ぜひぜひという感じ。

というかビビアンスーに似てる美人がいるなと思ったらビビアンスーでした。
どうもありがとうございました。

水木しげるの妖怪図鑑買おうかな…(´-`)