渡部遼介オフィシャルブログ「Ryosuke’ Note」powered by アメブロ -366ページ目

もっと魅力的になる。

女性は男性より弱いものだから、必ず守るべき存在であると思う。


彼女たち自身も、もちろん自らを守る。引き際が早かったり、手のひらを返したり、ときには駆け引きを使ったり。多くの経験を経て、知的に立ち振る舞う。もしかすると肉親でなければ、永遠の愛情は存在しないのだろう。


だが、そうではない、と思わせてくれる人もいるかも知れない。ズルさを感じさせず、かといってストイックでもなく盲目的でもない。また、ときには子供のような笑顔で救ってくれたりもする。


そういう人が自分と同じように、自信を持って他人(ひと)前に出られたら。

戯曲『人間ぎらい(孤客)』

フランスの作家モリエールのあまりにも有名な作品だが、個人で読んでいたときと、こうして実際にワークショップで取り組むときとは、自分の中で扱いが違う。現金なモンだ。


まず一言一言の台詞は長い。普段の生活でこれほど話し、句読点を経(へ)ずに喋る人にお目にかかったことはない。

それらを一息に話す、かつ安定した声量で違和感を消していくには、ある程度の技量が要(い)る。僕が以前通っていた俳優座では、現在もそうした基本的な技術の高い人は多い。


ただ、そうした台詞というだけで、現在の観客が疎遠になるのは非常にもったいない。考えてみても現代の戯曲、シナリオでこうして時を超えて僕らに届く作品がいったい幾つあるのだろうか。古典であれ長台詞を聞かせるにはリズムもよく、現代の観客に届く要素は多分にある。


だいたいが嘘を本当にして、楽しませるのがエンターテイメントの真骨頂なのだから。

面白いのレベル

手相で生命線と呼ばれる場所は、親指付け根のふくよかさ加減だし。二日目のカレーがおいしいのは、冷めるとき具材に味が染み込むためでもあるだろう。

そうした理屈を知らないと、どんなに良くできた戯曲もただ漠然(ばくぜん)の中で浪費されていく。


そうなると、せっかくの恋人同士でのシーンでさえ、多くの場合、なにも起こらない。つまり面白くはない。
これは舞台内外のみならず、けっして期待されたことではない。またそれ以上に、そうした雰囲気は演じる側にとっての恐怖だ。では、どうするか?


1、ありえないアクションやリアクションで、ナンセンスに走る。
2、大げさな芝居
3、押しの強い力業(ちからわざ)
4、なにも無いままで諦(あきら)める。


つまりそうした事態では、『そりゃ、ねえだろ』的な笑い声(失笑)でさえ救いになる。観客の反応でリラックスできるかも知れない。


でも人々が求める『面白い』って、そういうレベルじゃないだろう。