渡部遼介オフィシャルブログ「Ryosuke’ Note」powered by アメブロ -264ページ目

俳優個人ではできないことも多い。

先日見た邦画は救急医療現場のシーンがあって、たとえばアメリカのテレビドラマシリーズ『ER(イーアール)』とつい比較してしまう。

重傷患者が次々と運ばれてきて息もつかせぬ展開が、臨場感やスケールを生む。。。
はずなのだが、そもそもどう見てもメインの医者はまだ子供で医療現場の新人にしか見えない。なぜ日本の俳優はいつも幼いのだろう。

出演者もただ大勢なだけで、患者が叫び、医者が怒鳴りあい、バラバラに雰囲気を醸(かも)し出している。
正直言って、抽象的でよく解らない。これって、ぼくの目が厳しいからではないと思うのだが。

俳優は頑張っているのは伝わるが、悲しいかなそれは個人の限界を超えている。やはり全体的な演出がなければシーンにすらならないだろう。


ところで、国内の映画やドラマも、じつは海外の作品が元ネタだったりすることはけっこうありますね。

なにも考えないこと。

走っていると、いつしか無心になっている。一点ではなく、周りの空気すべてが触覚となる。


なにも考えないこと。


演じるときは、いつもなにかを達成してやろうなどと、なにかしら集中している。


なにかに囚(とら)われず、意図的に無心にはなれるのだろうか。

1分以上のアプローチ

荻窪のスタジオ。撮影が始まって二日目以降になると、共演者同士も親交が深まりお互いがよく見えてくる。本当は会ったその瞬間からそうなれればいいのだが、それぞれ現場に入ってくる体温やアプローチが違うので、できるだけそういうのは尊重(そんちょう)したいと思う。

おそらく舞台を経験している俳優の方が同業者同士のコミュニケーションに長(た)けていたりする。べつにこちらの演技を押しつけるつもりもないが、少しでもシーンについて会話しようとすると拒否反応を示されるケースは少なくない。
たしかに即興や粒立(つぶだ)ったキャラクターも才能だが、1分以上の作品であれば、時間をかけてそれだけのシーンを作ることのほうが大切だと思う。ただ意外にも時間のかけ方が解らないひとも多く、これもアプローチの違いか。

そういう核心(かくしん)に触れるのも大事なこと。また、まったく関係ない日常を話し合って相手の価値観を知ることもシーンに重要な要素を与える。とくに初対面のシーンというのでもない限り。

ひとはなにかを話すとき、このひとの場合、これを言ったらどう思うだろうとか、どうアプローチすれば真意が伝わるか、どうしたら喜んでもらえるか、そんな期待をしながら喋っているもの。相手を知らずに台詞(せりふ)を言えば現場も滞(とどこお)らず便利かもしれないが、ありていなシーンになる。