渡部遼介オフィシャルブログ「Ryosuke’ Note」powered by アメブロ -202ページ目

映画『連鎖』リハ

寸暇(すんか)を惜(お)しんでのリハーサル。とは言うものの、ぜんぜん顔を出せてない。すみません。。。


今日は起承転結でいうところの“承”

物語はガッチリとロックされ、一条(いちじょう)の道が敷かれる。


ここでの成否が、そのままこの作品のそれになる。


爆弾が爆発したり、人が死んだり、お化け屋敷で突然幽霊が飛び出てくるようなこけおどし。
少しでもそのような安直(あんちょく)さが露見(ろけん)しようものなら、すぐさま観客の怒りに触れる。もしそうなってしまえば、ぼくなら椅子を蹴飛ばして退場するだろう。

それくらい用心深くなければいけないシーン。



ところで今回のヒロインはアクションができる。

個人的にぼくはキックボクシングのジムに通ったりしているものの、殺陣(たて)ではむしろアクション俳優に見えないよう心掛けている。だが、実際には少数派だろう。

かのじょの思い切りのよさ、シンプルさが面白い。ひとが変わったようになる。美人だからとくに不思議な気持ちになる。


この動きの美しさに、内面からのにじみが融合すれば、日本人特有のベタついたシーンにはならないのかもしれない。

女の色気。

女の色気。それはそれは貴重なものだと思う。

単純にぼくが女性を好きだからというのもあるけれど。
ものすごい美人なのに、まったく色気のない人もいる。

心理学の受け売りだが、女性のフェロモンは高校生のときがMAXらしい。

あとはだんだんと減っていく、らしい。


さて、この減っていく期間というのが、じつは人生のなかで大半を占(し)めるわけで。

そのあいだを諦(あきら)めたり、無関心でいたりすると、たとえば30歳を境(さかい)に急におばちゃんになったり、男性的になったりする。
また、色気というキーワード自体に拒否反応を示すひともいる。
ほかにも男性に対しての関心が薄れたり、がっかりしたり、諦めたり・・・。

が、ぼくはもう少しあると思う。


それは、仕事に夢中になること。


良い悪いではない。性別を問わず、仕事の出来るひとは総じて男性化する。

ただそれでも、女性を失わないでいられるひともいる。

だからこそ、色気をおろそかにせず、じぶんを磨いているひとにぼくは尊敬し、惹(ひ)かれるのだ。

五感の欠落(けつらく)

役によっては、身体の一部を不自由にする。

ジムでサンドバッグを殴っていて、左手首を痛めるだけでもブルーになり、全身の使い方まで違和感が現れる。


これはその比じゃない。


五感を少しでも奪われるととたんに人間はおっくうになる。このままの状態が続けば、撮影が終わって回復しても、身体のバランスに後遺症が残るんじゃないかとさえ思う。



そして、出番を待っているときに、これが欝(うつ)か・・・、と思う瞬間が現れた。



・・・なんか日常のアベレージがすべて下がる感じ。このままうつむいたまま何時間でも時を過ごせそうな・・・。喜怒哀楽を感じない。水中に漂(ただよ)う感覚。


さいわいここは現場で、だれかが話しかけてくれるし、集団のなかでの役割もはっきりしているからすぐに救われたが、人間いつどこに転ぶか解らないものだ。


怖いけれどこうした外的要因から役にアプローチすることはとても大切なこと。必要であればもう少しいよう。