バーテンダーを見ると、お決まりですか? そんな目をして微笑んだ。
黒いベストに、嫌みにならない程度に糊の利いたワイシャツ。襟元には長年使い込んだ風情の蝶ネクタイ。髪の大半を白いものが占め、同じ色合いの細い口髭(ひげ)が老練な雰囲気を醸(かも)し出している。
この店を訪ねるのはずいぶんと久しぶりだったが、かつて彼と言葉を交わしたことはない。いつも静かに、客の邪魔をせぬように、必要なときに必要なことを提供するバーテンダーだった。
「ブランコのテキーラは冷えてますか?」
「あいにくと冷えたものはございません。2年前までは冷やしてあったのですが」
昨日や一昨日ならいざ知らず、2年前とはおかしなことを口にするバーテンダーだ。
「じゃあ、グレンフィディックのオンザロックをダブルで。それと、隣にブランコのテキーラのオンザロックと、ライムを半分に切ったものと塩を」
「はい、かしこまりました」
「あ、私も一杯だけテキーラをもらえますか。グレンフィディックはその後でいいです」
ふっと笑ったみずきの息が聞こえる。
「かしこまりました。サングリアはつけますか?」
即座にサングリアと口にする辺りは、やはり手慣れたバーテンダーだ。サングリアと言っても、赤ワインにフルーツを入れたものではない。トマトジュースに唐辛子や塩などを加えものだ。
口に含んだ田舎くさいテキーラとこいつを口中でクツクツとシェイクするとえもいわれぬ芳醇な味になる。
「いえ、同じくライムと塩でいいです。メキシコに?」
私の問いに老バーテンダーは、ずいぶん昔ですがと苦笑した。このやりとりだけで今夜は上等な夜だった。
「どうぞ」隣の席にテキーラとライムと塩を置きながらバーテンダーは軽く頭を下げた。
「早いものです」同じく私の前にテキーラとライムと塩を置きながらバーテンダーが眉根を寄せた。
「今日は命日でしたね」
「ご存じでしたか」私は思わず、カウンターに身を乗り出した。
「ええ、私も密かにあの方のファンでしたから。あの人の歌はよかった。魂と……なんと言いますかね、人の心の根幹を揺さぶりました。だから、あなたのこともよく存じ上げているのですよ」
「あぁ、私を知っていたんですね。でしたら悔やみ酒で一杯だけおつきあいしていただけませんか」
「飲み過ぎはダメよ」即座にみずきの声がする。私は左の頬だけで笑ってみせた。
ベストのポケットから金色の懐中時計を取り出したバーテンダーは、はい、と口元を引き結んだ。掟破りですがと。
バーテンダーが自ら入れたアルマニャックのグラスと、目尻の辺りで乾杯をする。
「では遠慮なくいただきます。乾杯」バーテンダーはカウンターに置かれたみずきのテキーラに軽くグラスを合わせた。

「本当に早いものです。もう2年が過ぎてしまいました」
吐息のような言葉を吐いてテキーラのグラスを回すと、カランと音がした。
バーテンダーは誰もいないステージに顔を向けた。そして、そこで歌っている人を見るようにきゅっと眼を細めた。横顔がボトル棚の光りに照らされて、細いシルエットになった。
「あの方はね、あなたがお見えにならない日はいつもこれを飲んでいました。ステージの終わった後に、よく冷えたテキーラにライムに塩。背中を丸めて、ぽつねんと、どこか寂しげにね」
そのときようやく、2年前までブランコのテキーラを冷やしていたという意味に気がついた。
「そうでしたか……昼間は仕事をしているから気にならないんですが、夜になると、もうどうしていいのか分からないぐらいに辛いんですよね」
「分かります。ご結婚は?」
「いえ、まだです」
老バーテンダーはふむ、と息を吐いた。
「もう一度あの人の歌が聴きたいものです」バーテンダーは再びステージを見た。

「聴きたいです。夢でもいいから聴きたいです。あんなにも近くにいた人が、もう手の届かないところにいるなんて。失って初めて気づくなんて、愚かしいことをしました」
「分かります。私も聴きたいです……みずきさんの歌が」
バーテンダーの声に隣を見た。減らないテキーラ、囓られることのないライム、何かが存在するはずなのに、大切な誰かがいない空虚な空間。
その席にそっと手を乗せた。温もりのないレザーチェアーの感触だけが、左の手のひらを押し返してきた。
「みずき、飲みなよ。ほら、な、飲みなよ」
声はもう、返ってこなかった。
─FIN─
ルパン三世・愛のテーマ/EGO-WRAPPIN' AND THE GOSSIP OF JAXX

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