「上着、脱いでいいかな?」
「いちいち断らなくてもいいのよ。どうぞお楽に」みずきが軽く頷いた。
ダブルのジャケットを脱ぐと、近づいてきたウエイトレスがすかさず両手を差し出した。
「お預かりします」
「あ、椅子の背に掛けるからいいよ。内ポケットに大金が入ってるし」
年若いウエイトレスは、そうですか、とふっと笑った。冗談は通じたようだ。
「みずきは何にする? マティーニ?」
私の問いかけに「ううん」と短い髪を揺らした。
二人が腰を落ち着けたのは、古びたバーのカウンター席だった。何より背の高いスツールではなく、ゆったりと座れる肘付きの椅子なのが気に入っていた。

古びたバーといっても、薄汚れ寂れているわけではない。
オークの使い込んだ風合いが、店内の落ち着いたブラウンによく溶け合い、カウンターの壁面には、バックライトに照らされたスピリッツやリキュールボトルの数々が小気味よいぐらいに整然と並んでいた。
奥の中央にはステージが設(しつら)えられ、その近くのボックス席もゆったりとした作りになっている。キャパシティはざっと80人ほどだろうか。
ジャズマンたちは休憩時間とあって、黒いグランドピアノとドラムとウッドベースが、店内照明を鈍く照り返していた。
「たまにはテキーラが飲みたいわね」
しっとりと潤んだ瞳をこちらに向けると、耳に付いている小さいシルバーリングのピアスがきらりと揺れた。
何年前だろう、どこかの路面店でおふざけのように買ってあげたこのピアスを、みずきはいたく気に入っていた。
世間でいかに評価された物を身につけているかなんて無意味なのよ。そんなものに価値を見いだそうとする人間は病んでいるわ。
身につける本人が気に入っていればそれでいいの。そこに人様の作り上げた価値観をはめ込もうとする人間は哀しいわ。
「マルガリータか」みずきはまた首を振った。
「というか、キンキンに冷えたテキーラに真っ二つのライムと塩が欲しいわ」人差し指でナイフのまねをする。
「冷えたのがなければオンザロックでも」
「テキーラ日和か。なんかやけになってるのか?」笑いかける私に、ふふっとみずきの含み笑いが返ってきた。
「ヤケにならない方がいいのは、あなたよ」
「よせよ」
ほんと、よしてよねぇ。みずきの言葉がかぶってくる。
「うじうじと悩んで過ごせるほど人生は長くはないわ」
「そうか。人生は長くない、か。かもな。どうする? アニェホがいいかな」
「ううん、熟成なんてされてないのがいい、安いのでいいのよ。ブランコでいいわ。チビチビじゃなくてクッと飲みたい」
口元でグラスを傾ける仕草に、私は微笑んで頷いた。
華奢な体に細いあご。私はみずきの口から紡(つむ)ぎ出される物語が大好きだった。
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