風神 あ~る・ベルンハルトJrの「夜更けのラプソディ」 -92ページ目

年が明けて春になり、桜がハナミズキにバトンを渡すころ、君は髪を切った。俺は似合うよと、風に震える君のベリーショートを見つめた。



夜になって君は、俺の両親に宛てて手紙を書いた。何枚も何枚も書き直しをしながら、便箋にペンを走らせた。翌々日の朝、手紙を追うように、俺たちは郷里に向かった。

出がけに君は、テーブルに置きっぱなしになっていた分厚い結婚情報誌「ゼクシィ」をひとしきり撫でて、ふぅ、と聞こえないほどの息を吐いた。

「ため息吐くと歳喰うよ」俺は微笑みと共に声をかけた。


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雷門とスカイツリーの観光を終えて、車で新宿に向かった。そう、ネットで調べた歌声喫茶「ともしび」に向かったのだ。後部座席の父は、それに備えてか、ご機嫌に歌を歌い始めた。

「ほら、母さんも歌おうよ」恥ずかしがる母の肩に腕を回し、体を左右にゆすり始めた父と、否応なく体が揺れる母がルームミラーの中に映る。



交差点に差し掛かった刹那、右手の視界に黒いものが映った。右を見た俺は急ブレーキをかけた。その判断が正しかったのかは分からないけれど、それは驚くほど強い衝撃を与えた。
視界に映った黒いものは信号無視の車だった。

車は大げさにスピンしたけど、幸いなことに、父母共にかすり傷程度で済んだ。
あれが両親が乗る後部座席に激突していたらと思うとぞっとする事故だったが、不幸中の幸いだった。

けれど、その夜に予定していた君と俺の両親の食事会はキャンセルせざるを得なかった。

「あの夜は何を食べる予定にしていたの」君はちょっと上を見上げた。
「決めてはいなかったけど」
そう、当日にみんなで相談して決めようと思っていた俺は、「でも、お寿司だったかな」と答えた。そのあとは、居酒屋かな、ほら、いつものところさ。


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君を郷里に連れ帰った翌年、両親が東京に出てきた。観光もかねて君に会うため。

「紗理奈さんは元気なの」東京駅で出迎えた母の第一声はそれだった。
「うん、元気だよ」

「家に来た時にさ、アワビの味噌漬けの作り方を教えてほしいって言ってたから、お前んちに明日、冷蔵で届くからね。漁師の坂上さんに頼んどいたから。でもさ、あれはアワビじゃなくて、小ぶりのトコブシだって教えたかしらね」
「ああ、そんなこと言ってた」

母の作るトコブシの味噌漬けはものすごく美味しい。酒が異様に進むのだ。

「それより疲れなかった?」
「ちょっと疲れたけど、富士山が見えてよかったよ。お父さんは寝てたけどね」
「寝ちゃだめか?」母の後ろで父がふわぁとあくびをした。



電話で聞いておいた父の希望は、雷門とスカイツリーだった。
「遠いんかね」父は心配した。
「ああ、車で行けばそんなに時間はかからないよ。それに、雷門のある通りからスカイツリーが見えるし。母さんの希望は?」
「どこでもいいよ」お前と父さんがいればさ、と笑った。

「二泊三日の強行軍だから、これから向かうからね。今夜と明日はゆっくりしよう」



「紗理奈さんは夜には来られるんでしょ?」
「うん。事務所の引っ越しで休めなかったからね。明日とあさっては一緒にいられるよ」

「それからさ」ちょっと恥ずかしそうに父が口を開いた。
「ともしびに行きたいな」
「ともしび? 何それ」
「歌声喫茶だよ。昔なんだけど、新宿のともしびに連れて行ってもらったことがあるんだ」
「へえ、父さん東京に来たことがあるんだ」
「研修だったな。一回きりだったけど」


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そんな君を両親の元へ連れて行ったのは、出会ってから二年目の夏休みだった。

息抜きの観光に連れ出しハンドルを握る俺の横で、海のない町から就職のために上京してきた君は、感嘆の息を漏らした。
日差しを弾いて象牙色に伸びる砂浜と、彼方まで続く紺碧の海に。

「でもね、車で滋賀県まで飛ばすと」両手を頭上に上げた君は、下ろすその手で大きな丸を描いた。
「海みたいに大きな琵琶湖があるんだよ」君は少し、負け惜しみみたいに口にした。

「琵琶湖って行ったことないけど、滋賀県より大きいらしいね」
「そうなの!?」
「んなわけないでしょうよ」俺はおかしくて、指先でハンドルをポンポンと叩いた。子供をあやすみたいに。

「んだよねえ」海岸線を左にカーブを描いた車の中で、君の頭が俺の左肩に少し触れた。

「だったら滋賀県の人はみんな湖上の民になっちゃうよねー。県境にあるあたしんちも。そもそもあたし、泳げないし」君はくくっと笑った。



「でも、お父さんもお母さんも、いい人で良かった」
緊張から解放された君は、ほっとしたようにその肩をひとつ上下させた。

「それは紗理奈がいい子だからさ」
いい子? 眼(まなこ)を大きくした君は、てへっと舌を出した。

「海っていえばさ、同じ郷里の友達と湘南に行って、あまりの汚さにびっくりしちゃった」
俺はちょっと君を見た。君はずっと海を見ていた。「湘南のどこに行ったの?」
「しーのあるところ」
「sea? 海? ……なんで英語なの」

「ていうか、アルファベットのC」
「ああ、茅ケ崎ね。湘南は泳ぐ海じゃないからね」
「友達がなんとかビーチって」
「サザンビーチでしょ」




「降りてみたい」君は右手に広がる海に身を乗り出した。
「じゃあ、もうちょっと行った先に、入り江になったちっちゃい砂浜があるからそこで降りよう。そこは波も静かでいいところだよ。明日は水着を持って広い海水浴場に行こうよ」

スニーカーを脱いで砂浜を走った君は、寄せては返す波に、飽きることなくはしゃいでいた。

サザンオールスターズ - 涙の海で抱かれたい~SEA OF LOVE~



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イタリアンのお店に行きたいと言ったその機会は、すぐに訪れた。
「ワインってあんまり飲まないから、飲みやすいのがいいな。癖のないのがいい」

君のリクエストに応えて、白ワインの「エスト・エスト・エスト」をチョイスした。

専属のソムリエがいるほどのお店ではなかったせいか、栓を抜くのにウェイターが悪戦苦闘していた。彼は運が悪かった。確かにイタリアワインは純正のコルクではないから、ひどく抜きにくい時がある。



「あ、美味しい!」驚いたようにグラスを見つめた君は、嬉しそうに笑った。君の思い切り脱力したような笑顔は、心とろかすようだ。

もしも猫が、笑顔というものを獲得したら、きっとこんな顔に違いない。

たっぷり二人前はあるイタリア風ブイヤベース「カチュッコ」を、ガーリックトーストのお替りまでして、君はほとんど一人で食べてしまった。



パスタも食べた。仔牛肉と生ハムのサルティンボッカも食べた。そうだ、白ワインを飲みながらの前菜盛り合わせのアンティパストミストも、追加で頼んだ青かびチーズのゴルゴンゾーラも、生ハムのプロシュートもよく食べ、あんまり飲まないと言ったワインもよく飲んだ。

「なんでこうもぺらっぺらのお肉なんだろうね」
「サルティンボッカって、口に飛び込むって意味で、すぐできることだからさ」

「へぇ~なんで飛び込むの?」
「サルトが飛ぶで、インが英語と同じだね。で、ボッカが口ね。合わせて口に飛び込む。だからちゃちゃっと作ってさっと食べられるからこの名前なんだろうね。分厚いお肉じゃすぐにできないでしょ。しかしよく食べるね」

「別腹だからさ」
「なんでも別腹なんだね」

君は聞こえないふりをした。ように見えた。そして、聞かれてもいないのに言った。「パエリアはいいや」
もう、いいでしょね、実際。

「デザート食べなくちゃ」
はい。


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「ほんとですか! 奇跡ですね!」俺を見上げた君は、黒目がちの眼(まなこ)をくりくりとさせた。

「うーん、沢井さん。それって一般的には奇遇っていうんだね」俺は初めて君の名を呼び、初めて砕けた口調を使った。でも俺には、ほんとに奇跡に思えた。

「でも、家の近くまで送って、それから会社に戻って……」俺は夕暮れ時の空を見上げて腕を組んだ。
「そこから電車で帰るっていうのも面倒だな」

「ですよね」
「じゃあ、電車で送ってあげよう」
「ですね……って、新藤さんの会社まで車で行くんですか」
「だって、車だったらすぐそこだもん。路線は違うけど、そこからなら乗り継がなくて一本で帰れるよ」
「あ、それ助かります!」



君が住んでいるのは北口で、俺は南口だった。北口は公園がいくつかあってのどかな雰囲気で、南口は商店街が続く活気のある街並みだった。

想像を覆すぐらいに君は料理が上手だったし、想像をはるかに上回ってお酒も飲んだ。

家賃の節約という実利主義的名目の元、俺の部屋で一緒に住み始めるのに、さして時間はかからなかった。

「今度はあそこのさ」冷酒のぐい飲みグラスを左手に持った君は、右手でツンツンと居酒屋の壁を指差した。
「イタリアンのお店に行ってみたいね」その方角は完璧に間違っていた。

君が敬語ではなくて普通に話してくれることが、そんな仲になれたことが、こそばゆい感じで嬉しかった。


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どっちが先にデートに誘ったのかと訊かれてもよく分からない。なんとなく成り行きだった。

新しくリースしたコピー機がトラブルを起こして、修理に行ったときはすでに夕方だった。俺はそもそもメンテナンスの部署ではない。でも、人が出払っているときは駆けつける。事務関係でコピー機が使えないというのは致命傷だからだ。

そんな俺と、退社する君とがたまたまタイミングが一緒だったのがあの日だった。

というか、帰り支度を始めた君を横目で見ながら、俺は猛スピードで作業を終わらせた。うむ、成り行きではなかった。

もちろん、手抜きなんて、プロフェッショナルとしては……したかも……まあ、問題ない程度に。だって、人間だもの。

俺は、江頭をはじめとするメンテナンスの連中が出払っていることに、再び感謝した。
新しいコピー機を設置に来たときは、悲しいかな君の姿がなかったのだから。
おお、神よ。迷える仔羊に救いの手をありがとうございます。

「近かったら送っていきましょうか? 車だし」急いだ俺は少し息が切れていた。
だんだんと昼が長くなる季節の空は、まだ充分の明るさを保っていた。



「ほんとですか? あたし○○なんです」と右手を指した。その方向は完璧に間違っていたけど、俺の心臓は撥ねた。
「地元です!」そう、彼女と俺の住んでいる町は一緒だったのだ。おお、神よ!


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「あ、いえいえ、これ時々故障するんです。すぐに見ますから。○○の新藤と申します」
さすがに名刺は出さなかったけれど、俺は君に向けて微笑んだ。

「古いからさ。そっちは新しい沢井くんね。可愛いでしょ」専務がドアに向かいながら背中で笑った。
思い切り肯定したかったけど、俺ははい、とだけ小さく頷き、ドアの向こうに消える専務のふとっちょの後ろ姿から、君に視線を戻した。

目の前の君は、自分が壊したかもしれないそれを一度振り向き、ただただ不安そうな顔をしていた。
「大丈夫ですよ。すぐに直します。これ」俺は声を潜めた。
「ほんとに古いから、よく故障するんです。さ、仕事を始めてくれていいですよ。後は任せて」
どうもすみません。君は安心したように薄く笑って頭を下げた。

ああ、江頭をはじめとするメンテナンスの連中が出払っていてよかった。僕は席に戻る君の背中を見つめた。

「新藤さん、トナーの在庫……あ、そりゃ江頭ちゃんの仕事か」長くいる事務員のおばちゃんの声に、念のために積んできましたからと微笑んで、体調不良を起こしたコピー機に向かった。




「どうもすみませんでした」先ほどの店長が頭を下げて出てゆく。俺はちょっと会釈をした。
「ちゃんとやれよお前」背中で本部長の声がする。

「お、新藤ちゃん」本部長が妙な笑顔を浮かべて俺の肩を叩いた。
「あ、お疲れ様です」
「いや、疲れてないよ。それより見積もり、安くあげてきたんだよね。いつもありがとうね」
俺と専務の話が聞こえてる。

僕の両肩に乗せた手が、柔らかくマッサージを始めた。

怖ッ!

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君を初めて見たのは4年前の春だった。取引先のこぢんまりとした事務所に、ちょこなんと座っていたのが新入社員の君だった。本部こそ小さかったけれど、飲食店や遊技施設を手広く展開している、上り調子の会社だった。



「おお、新藤ちゃん、毎度申し訳ないね。そろそろ新しいのをリースするからさ」
中央のデスクから片手を上げた専務に、俺は、ありがとうございます、と頭を下げた。

「カタログを持ってきました。今日はお時間ありますか」
「んとね、これから出かけなくちゃならないから、もらっとくよ。後で見ておくから」
「はい、ありがとうございます。見積もりも上げときましたんで、挟んでおきます」

奥の方で、この会社の本部長に説教を食らっている店長らしき人がいる。この本部長、バリバリの現場上がりだから、怒ると怖いらしい。
店長とはいえ、一国一城の主ではないのだから仕方のないことだけど、あまりのしつこさに同情心が沸いてしまう。

本社のお偉いさんを除けば、事務員さんを含めて本部詰めの人たちの数は10人とちょっとだろうか、みんな顔見知りだった。
そんな中、走り寄ってきたのが君だった。

「あたしが壊しちゃったかもしれません。あ……さーいです」
あ、さーい?

おろおろとする君のネームプレートには沢井と彫られていた。


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このYouTubeを僕は初めて見た。いいものを見つけちゃった。

普段着みたいな服装がかなり違和感を感じさせるけど、何かの番組の中で歌ったように見える。

しかし、なんて上手いんだろう。

晩年は奇行が目立って、自殺という悲しい最期を迎えたのが悲しいけれど……。

僕はこの人が大好きだった。
後にも先にも、ファンレターなんてものを書いたのはこの人だけだった。ランドセル少年は机の上で一所懸命似顔絵を描いた。

歌も声も好きだったけど、どこか親近感を覚えるこの顔がとても好きだったような気がする。

ひとつ注文があるとすれば「涙を絞る」の「絞る」のところは、唸ったりしないでご本家の美空ひばりのように、切なさを保ったまま、さらりと歌ってほしかったな。

なんだかんだ言っても、表現力は娘の宇多田ヒカルよりお母さんの藤圭子の方が上のような気がする。

では、僕の大好きな Movin' on without you と併せて親子共演で。

みだれ髪/藤圭子



Movin' on without you/宇多田ヒカル



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