「脳死が人間の死であるかどうかは、残される俺たちの問題のような気がするんだ。そこでさ、よく考えてみよう。
本当の問題は、脳死の肉体では、もはや地上に存在しえないという母さんの魂なんじゃないかな。
生命維持装置という機械の力を借りて生き続ければ、爪も髪も伸びるそうだ。でもな、俺は思うんだ。それで母さんが生きていると言えるだろうかって。母さんは、それで満足だろうかって」
病院へ向かう道すがら、俺は思いを語った。俺たちのエゴを母さんに押し付けていいのかと。日南子も翔次郎もただ黙って聞いていた。
目を細め空を見上げた。またやってきたよ美紀子。お前と俺の大好きな、まばゆい夏が。

「日南子いいか」
赤子を抱いた日南子が静かに頷いた。
「翔次郎いいな」
目を閉じた翔次郎は、それとかすかに分かる程度に項垂れた。
「お願いします」俺は医師を見た。
「ほら、ばーばにさよならだよ」日南子の震える声がする。
お前に抱っこされたことなんて、この幼すぎる孫は忘れてしまう。お前は動くこともない、写真の中の遠い昔の人になる。確かに、俺の隣で生きていたのにな。人生ってむごいな。
人工心肺装置、急性血液浄化装置、人工呼吸器……。
お前の体から生命維持装置が外された。
「お母さん!」日南子と翔次郎の悲痛な声がする。
「旅立たれました」医師の声がした。
あえて臨終という言葉を使わなかった医師に感謝した。
嗚咽をこらえる正次郎の姿が見える。母の手を握り続ける日南子がいる。
思い返せば短かったな。まるで夢みたいだったな。今までありがとう。迷惑かけたな。苦労させたな。
俺はさ、まだお前の元に帰り着いていないんだよ。だって、最後に聞いたのは「いってらっしゃい」というお前の声だったから。
振り向けばよかったな。手を振ればよかった。
「おかえりなさい」という声を聞きたかった。
お前のいないこの世界を、俺はどう生きて行けばいいのだろう。このやるせなさをどこにぶつければいいのだろう。
美紀子、お前、早すぎたよ。
CB750FOURの、腹に響くエンジン音が聞こえる。風を感じる。背中にしがみつくお前の存在を感じる。
あの時俺たちは、確かに風になったんだよな。

絶対また会おうな。また二人でタンデムしような。その時まで、さよならだ。
再び巡り合った時は、俺を先に死なせてくれよな。
約束だからな。
─FIN─
ポチポチッとクリックお願いします。
短編小説 ブログランキングへ