風神 あ~る・ベルンハルトJrの「夜更けのラプソディ」 -84ページ目

大きな嘘なら平気だけれど、チクリと心を刺すのは小さな嘘だ。棘のような小さな嘘。
その理由は誰だって知っている。

我が身のためだけについた嘘だからと。

欺瞞に満ちた嘘。
その場しのぎの嘘。
人を陥れる嘘。

誰しも嘘をつく。
静かに降り積もった嘘の結晶は真実を覆い隠すけれど、誰もそれに気がつかないふりをする。

けれど、相手を思いやるやさしい嘘は、降り積むことなく人の心に舞い続ける。
ふわりふわりと、どこまでもやさしく、果てしなく柔らかに。


盲目のシンガー長谷川きよし1969年のデビュー曲です。
長谷川きよし / 別れのサンバ


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カルマの法則に疑問を呈する!

死んでもカルマは継続される?
前世のカルマを引き継ぐため、今世、生まれてきた?

なんで?
どうしてそんな面倒くさいことをするの?
短い人生、間尺に合わないんじゃないの?

これは僕の抱き続けてきた疑問でした。
そうです、僕はものぐさなのです。面倒くさいことが嫌いなのです。そしてこの法則、釈然としないのです。

なぜそうある必要があるのか、考えても考えても納得がいかないのです。

ざっくり書くと、カルマというのは、行い/行為のことです。業とも呼ばれています。
なにかしらの行いをすれば、必ず結果を受け取ることになる。
この、「行為に対して結果が生まれる」というのが「カルマの法則」なのです。

全ての現象において、その原因があって、その結果がある。自分のしたことが自分に返ってくる……うん、それは至極当然な気がします。因果応報、自業自得ともいえるでしょう。

でも、なぜそれが前世から、あるいは来世に引き継がれるのでしょう。僕はやっぱり釈然としません。
カルマが生を超えて受け継がれることが許せないのです。そうある必然性を全く見いだせないのです。

このカルマ(業)をまことしやかに唱える人たちは多いけれど、否定する人はいません。

でも、カルマの法則を否定するものが僕の前に現れたのです。
そう、僕の愛読書「神との対話」です。



私がこの世で学ぶべき因果(カルマ)の教訓は何なのでしょうか?私は、何を克服しようとしているのでしょうか?

この世で、あなたは何も学んでいない。学ぶものは何もない。あなたはただ、思い出しているだけだ。つまり、わたしを思い出しているのだ。

何を克服しようとしているのか? 克服しようとすること自体を克服しようとしているのだ。(P277)

輪廻転生ということはあるんでしょうか?「因果応報」というのは現実なのですか?

まだ、その質問が出るとは、信じがたい。想像もしにくいな。過去世の経験について、充分に信頼できる情報源からの報告がたくさんあるではないか。驚くほど詳しく昔の出来事を説明しているひとたちもいる。そういうデータを見れば、そのひとたちが研究者や愛する者をだますために話をでっちあげたとは思えないだろうに。(P277)

あなたがたずねているような意味では、因果応報、因果(カルマ)の債務ということはない。債務というのは返済し、償いをしなければならないということだ。だが、あなたには、何も義務はない

しかし、あなたがしたいと思うことはある。選びたい経験はある。場合によっては、以前に経験したことにもとづいて選択をする。以前に経験したことから欲求が生まれる。
あなたが言う、因果応報、因果(カルマ)に近いことといえば、それだろう。(P277ーP278)

因果(カルマ)が、良くなりたい、大きくなりたい、発達し成長したいという内的欲求をさすのであれば、そしてその物差しとして過去の出来事や経験を求めるということであれば、因果(カルマ)は存在する。

だが、それは何かを要求するものではない。要求されることは何もない。あなたはこれまでも、これからも常に、自由な選択をする存在である。(P278)

─神との対話 14章─

どこでもわたしの声を聞きなさい。あなたの世界に目を開きなさい。
わたしの答えは、すでに発表されている記事、製作中の映画、愛するひとの口から出かかっている言葉、これから知りあう友人の心のなかにある。


地球の集合意識が書かせたともいわれるこの本は、やはり群を抜いて素敵だ。

バシャールが勧める「神との対話」



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僕は2か月ぐらい前からピグを始めた。
もちろん、初めてやるわけではなく、3~4年放置していたところに突如復活したのだ。

ピグが7周年で、僕のアイテムの中に一周年のものがあったりするので、始めたのは6年以上前ということになる。
ということは……通算の半分はやっていなかったことになる。

何年かぶりに庭で会った人と会話した。名前はよく知っているけど、久しぶり過ぎて距離感を計りかねた。会話してみて、何度も話したことのある人だったなということを思い出した。僕を忘れずにいてくれた人がいたことはうれしいことだった。

うかつなことに、その人がピグ友でなかったことに改めて気づき申請した。そしてそれは受理された。不思議なことにその人とは短期間で2度も会った。

ピグにプロフィール欄はないから、僕が分かるのは女性であることだけ。仮想の世界だけれど、その向こうにキーボードをたたく人が確かに存在する。そして、それが本当の自分。ゲームの主人公。



ピグもコツコツやっていれば、僕の「庭」「町」も凄いことになっていたかもしれない。

あの頃は川なんてなくて、縁用ストーンとタイルで作ったものだ。そしてそこは、ピグが渡ってしまうのだ。それを防ぐために縁用切り株を隠してある。

ピグが余計なところを通らないように、ちゃんと橋を渡るように、よれた歩きをしないように、散々苦労した。なんて涙ぐましいんだろう。

今はといえば、川さえ設置すればなんてことなく済んでしまう。
それでも僕は、手製の川の一部は残してある。これがここでの歴史の一部だから。

これが、ゲームだ。
ピグ程度では我を忘れることはないけれど、もっとリアルで、たとえば競技や戦い系などだったら、ゲームを操っている本人の血圧は上がり、脈拍も早くなることだろう。

現実はとてもリアルだ。それはそうだ。地球だって、僕たちの肉体だってまぎれもなく存在するのだから。

けれど、操っている自分は違うところにいる。
これが、真実。


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みんながゲームの主人公。

だから、君が操るゲームの中の主人公は君で、僕は脇役。
誰かのゲームの中では、君はちょい役。

そしてそれは、あくまでも仮想の世界。

つまりはそれが、人生ってものなんだろうと僕は思っているんだ。

でもね、コントローラーを奪おうとするお節介者がいたりする。
決して君のゲームの主導権を、渡してはいけない。


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木曜の夜は久々の夜勤だったので、明けて金曜日はスーパーで買い物をして、一度家に帰ってから、文庫本を持って、先週と同じく、近所のセブン・イレブンでワンダの極ブラックを買って公園に出かけた。

悲しいことに、いつも座るアオギリの下には先客がいたので、奥の方へと進んで腰かけた。

するとさらに悲しいことに、お酒を飲んだ声の大きいおじさんがいてやたらとうるさい。電話に向かってがなったり、離れたところにいる友人らしき人を大声で呼んだり。

兄貴だの、親分だのとうるさい。極道気取りのおじさんか。いずれにせよ半端な奴だ。



読んでいてもちっとも頭に入ってこないありさまで、僕は早々に腰を上げた。
せっかくクッションまで持っていったというのに……。

立ち上がってそっちを見ると、隣に座ったおじさんは、僕が相当不機嫌そうなのに気が付いたようで、その眼が僕をなだめようとしていた。
あれたぶん、周りに迷惑をかけているタイプの人なんだろうな。

これが若い頃の僕だったらどうなんだろう……うーん、一発脅しぐらいはかけたのだろうなあ。

ゆらゆらと歩いて行って、目の前に立って、「うるせえんだよ」って低めの声で。「ここはてめえんちの庭かよ」ってね。

公園を歩きながら何度も振り返ったので、僕はやっぱり相当腹を立てていた。
振り返る僕は、かなり危ない。

図書館のある一階に座って本を開いたら、よく見えない。あれ、と思ったら眼鏡をするのを忘れていた。
すると、隣に座る高齢の女性が二人、バッグをひっかきまわしながらうるさい。

失くしただの、いや、入っているだのと、やたらとうるさい。
僕は一行と読まず腰を上げた。

このまま帰るのは惜しいなあと思ったけれど、部屋に向かった。

声って、目指す人にだけ聞こえるぐらいでいいんじゃないのかなあ、あなたたち。
人間だけが持つ貴重な声が騒音になったら、人間失格なのさ。


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ひとつの愛、ひとつの心
さあ皆いっしょに集まろう、そして大丈夫って感じるんだ
ほら子供が泣いている(One love)
泣き声が聞こえるだろ(one heart)

さあ、”主に感謝しよう、そうすれば大丈夫”
さあ、集まろう、”皆一緒にいればなんてことない”

one love one heart let's get together and feel alright
一人ひとりの愛と 思いやる心を集めてひとつにすれば 全てはきっと上手くいくさ

遠い昔、僕が初めて耳にしたのは、ボブ・マーリーの「エクソダス=脱出」だった。なんだかとても感激してLP版のレコードを買った。

レゲエの神様 ボブ・マーリー 1981年5月11日36歳没。

何が正義で、何が過ちだなんて、僕たち愚かしい人間に決められるだろうか。そもそも、人間の定規で測った正義なんてものが存在するのだろうか。

正しいのはひとつ、loveだけだと思うのだけれど。
それを忘れなければ、正義もきっと見えてくる。

すべての行為が愛に根差したものであるなら、世界はきっと変わる。コロリと変わる。

そんな日を、僕は目撃したい。

Bob Marley - One Love



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福島大学経済学会の「商学論集 1995年9月 第64巻 第1号」という純然たる学術論文集に、とある論文が掲載された。

<研究ノート>「生きがい」の夜明け生まれ変わりに関する科学的研究の発展が人生観に与える影響について。
─福島大学経済学部助教授 飯田史彦─

上記の論文「生きがいの夜明け」発表後、1996年には「生きがいの創造」が出版され、「決定版 生きがいの創造」、文庫版の「完全版 生きがいの創造」へと加筆修正されている。

その他の生きがいシリーズの多くも僕は読んでいるけれど、「生きがいの創造」に関しては、最初に出版されたものしか読んでいない。


─完全版 生きがいの創造─
これでもし、最終版なんてものが出たら、笑うしかありません。

ご本人のブログによると、加筆する前のものは回収したいほどだという。
*何年かぶりにブログを開いてみたけど、相変わらず飯田先生はセンスがありません(笑)
飯田史彦研究室

まあ、人様のブログの出来栄えは云々は置いておくとして、「生きがいの創造」は、これまで一体何冊、人に差し上げただろう。

あいにく持ち合わせがない時は、自分の本も送った。ただし、やみくもに送ったわけではない。これがいま必要と思われる人にだけ、送ったり手渡ししてきたのだ。

あの世、生まれ変わり、この世に偶然や無意味なことなど起こらないことを、信じるも信じないも本人の自由だ。

けれど、この手の話に関心を持つことなく過ごしてきた人には、死生観のみならず、人生を変えるほどのインパクトがある本だと思う。だからこそ僕は、必要と思われる人だけに限ったのだ。

いつもの如くに手元に残っていなかったから、「決定版 生きがいの創造」は2冊買った。一冊はもちろん人にあげるため、もう一冊は自分の書棚に置くため。


─決定版 生きがいの創造─

そして、自分のために買ったその一冊も、一度も開くことなく、やがて近所のクロネコヤマトから発送されることになる。

だから僕の書棚には、その日以来「生きがいの創造」が抜けたままだ。

かつてこの本を、人づてに貸したことがある。反応が良かったため、手持ちのシリーズを次々と貸すことになった。

出会いと気づきは違うと感じさせる瞬間だった。出会っても気づかなければ、それは出会わなかったと同じことなのだから。

すっかりファンになったその人は、「飯田先生に手紙を書こうかなあ」と口にしていたという。だから僕は伝えるように頼んだ。「ぜひ書きなさい」と。

その手紙はのちのシリーズの一冊、「生きがいのネットワーク」に掲載された。

先天性の病で、幼いわが子を亡くしたその若き母親を、この本は救った。一切の反応がなく無駄と思われた僕の行動も、それだけで報われた思いだった。

後年、すれ違い程度にその母親に会ったことがある。新たなる我が子を抱いたその母は嬉しそうで、楽しそうだった。

僕の手から渡った本であることを知らないその人とは、それに関する話は一切しなかったけれど、その子が、亡くした子の生まれ変わりだと信じていただろうし、僕もそれに違いないと思った。

そして今、ふと思う。僕の役目はあの時に終わっていたのではないかと。

だからというわけではないけれど、僕の書棚に「生きがいの創造」が復活する日はこないだろうと思っている。

短き夢に」の主人公にも読ませたい本です。

これにて「天からの声」はひとまず終わります。


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昨日は、古い(本能)の脳は主語を認識しないって話だったね。

たとえばお酒を飲むと、思わぬ羽目を外しちゃったりする。



酔いがさめてから、なんであんなことしたんだろうとか、なんであんなこと言っちゃったんだろうとか、自分の信じられない言動に愕然としたりする。

それは新しい脳(大脳新皮質)の働きが鈍くなって、理性がうまく働かなくなるから。古い脳に支配されたからなんだね。

本能といえば、猿が蛇を怖がるのはよく知られた話だけど、これには、本能ではなく、大人の猿が恐れるから、子ザルも怖がるようになるという説もある。

後者は、実験室で育てられた猿は、蛇を怖がらないからだというのが根拠になっているようだけど、実のところは僕にもわからない。

一方、日本の研究で、3歳児でも蛇を怖がる反応を見せるというのがある。これをもって、本能だという結論を導き出しているようだ。

僕自身の経験だけでいえば、蛇に何かをされたことも、怖いものだと教わった記憶もないけれど、やっぱり子供のころから怖い生き物だった。だから、本能なのではないかと思う。

これらの恐怖感によって、心拍数や血圧の上昇が起こる。これは生存のために必要なことなんだね。火事場の馬鹿力もここから生まれる。

話は戻って、この古い脳が、主語を認識しないんだ。だから、人への誹謗中傷や悪口陰口は自分自身へのものと認識してしまう。

馬鹿と口にしたら、自分を罵っているのと同じことになるんだ。
第三者に対する悪口を聞いているだけで、どうにも気分が悪くなるのもこのせい。

これとは逆に、人をほめているとき、自分自身も高揚していくことがあるのを誰しも感じたことがあるはず。
これは自分が褒められたのと同じ効果を生んでいるんだね。

こんなことができるのは人間だけなんだよ。だから人は、助け合い、励まし合い、愛し合い、称え合い、支え合って生きるべき生き物なんだ。



それが、ヒトとして正しい道なんだ。


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脳は主語を理解できないとか、認識できないって、君は聞いたことない?

*「天からの声」はシリーズのはずなのに、文体が度々変わることはご容赦ください。書きたいことが頭に渦巻いて、しっちゃかめっちゃかになっています。紹介しようとしていた「生きがいの創造」はどこへ行っちゃったのでしょう……。

話は戻って、主語ってもちろん、「I,He,She,That」などですね。日本語ってそもそも主語が抜けても通じるというか、よく主語が抜ける言語ですけど。

「この花きれい」の花が抜けることは珍しくないことです。花を見てれば通じるしね。

花を見つめながら「きれい」とか言って、真上の青空のことだったら、変な人だし。



「君は美しい」の、「君」を相手が見つめていれば、主語が抜けても君は浮かれ模様だし。もしもそれが、君の隣にいる友達のことだったら、体半回転させて、ぶっ飛ばしものだし。

でも、脳は主語を認識しないらしい。正確には古い脳の方なんだけど。

NAVER まとめ」をざっと読んでください。かなり省略されてるけど、分かりやすいはずです。(なんて手抜きなんだ。性格丸出しじゃないか…)

「古い脳」は、本能をつかさどっていると言えば分かりやすいかな?
性欲・食欲・名誉欲などの、生存に必要な脳なのです。

一方、「新しい脳」は、人間らしく生きるために必要な脳です。ありえない犯罪を犯す人って、これが発達していないように感じます。

疲れたので、ここで突然聖書。

「何が原因で、あなたがたの中に戦いや争いがあるのですか。あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか。
あなたがたは、ほしがっても自分のものにならないと、人殺しをするのです。
うらやんでも手に入れることができないと、争ったり、戦ったりするのです。あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからです」


─新約聖書 ヤコブの手紙─

続く

今日は食事抜きで12時間働いたので、も…もうだめです。


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人は優しく生きていくように創られている。

いや、誤解を生みそうだから言い換えよう。
人は優しく生きていくと、心身ともに健やかになるように創られている。

人は、譲り合い、助け合い、愛し合い、称え合って生きることで、本来の自分を取り戻す。

人の悪口を言う時、自分自身も傷つくんだ。
それがなぜかは、また今度。

だから、誰の悪口も言ってはいけないんだよ。

たくさん涙を流すんだ。喜びと、同情と、労りの涙。
そして笑顔を浮かべるんだ。



世界が君を変えたりはしない。
世界を変えるのは、君なんだ。


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